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長いこと狭い世界にいると、のちのち大きな弊害に気づくことになるよって話。

は、結局のところ、自分が経験したことしか語れません。

ですから、狭い世界で生きているうちは、その狭い世界が全てであり、そこに居続ける限り、成長はないのだと思います。

noteに限らず、SNSという世界は、現実で幅広く交流がある人にとっては、世界の一部にすぎないでしょうが、狭い世界にいるうちは、果てしなく広大な世界に感じることでしょう。

SNSは、それを扱う人によって、さまざまな姿に変化します。

それこそ、天国にも地獄にもなるものなのです。

ということで、今回は、私も経験したことのある「狭い世界に生きている人に起こり得る弊害」というテーマで書いていこうと思います。

なお、狭い世界とは部屋に閉じこもるといった物質的な意味だけでなく、変化のない日々を指す広義の意味を含むものとして話を進めて参ります。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

男性・建物・屋内・暗い・光が差し込む・スポットライト・モノクロ

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井の中の蛙、大海を知らず

一般的に、自分と比較対象する存在がいない環境にいると、価値観が固定化され、視野が狭くなり、自分を特別視する感情が芽生えるのがヒトの性ではないでしょうか?

そして、比較対象の母数が増える広い世界に出た途端、自らの存在の大きさ広い世界に合わせて下方修正します。

これは極端な事例ですが、会社という環境に耐え切れず、自宅に引きこもった人間が、自宅という狭い世界の住人になった途端に、自らのヒエラルキーが上位になったように錯覚し、親などに対し暴言などを吐く行為などは、人の根源たる悪しき性質なのだと思います。

つまり、狭い世界とは、自分自身の存在が「社会を形成する多くの人々」から「世界を司るわずか数人の存在」であるかのような錯覚に人を陥れる側面を持っているのではないでしょうか?

だからといって、狭い世界があってはならないということではなく、ちゃんとした存在意義があります。

単純な言葉遊びになってしまいますが、「井の中の蛙」が実際に「大海」にその身を置いたら、おそらく、ほとんどの場合、浸透圧により体から水分が出てしまい死んでしまいます。

つまりは、井戸の中である必要はないモノの、カエルにとって大海とは、その身を投じる場所ではなく、眺める程度で良く、その広さを知ったうえで、自らの生活に適した環境を探すことが最適解だと私は思います。

これは現実社会だけに言えることではないでしょう。

女性・部屋・暗い・スマートフォン・画面を見る・チャット

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SNSという大海

これまた言葉遊びとなってしまいますが、人は人であって「蛙」ではありませんから、海水で死んでしまうことはないでしょう。

死んでしまうとしたら、溺れてしまったときです。

溺れる理由は人それぞれでしょう。

準備運動不足かもしれませんし、岸に戻る体力を考えず沖に出てしまったからかもしれません。

あるいは、細心の注意を払っていたとしても、クラゲに刺されたりウミヘビに噛まれたりといった不慮の事故もあるでしょう。

SNSでいえば、リテラシーの低いまま個人情報が漏洩してしまったり、SNS映えを狙うあまり生活水準をコントロールできないところにまで引き上げてしまったり、悪意ある他人に貶められたり…。

このようなことがなぜ起こるのか?

個人的な仮説ですが、「行動に見合うリスク予見できなかったから」だと考えています。

リアルな海も、SNSという仮想世界の海も、油断大敵だということではないでしょうか?

サンセット・高原・人・夜明け・日没・宵闇

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狭い世界の弊害

もっとも大きな弊害は、迷走するということだと思います。

これは私に限った話かもしれませんが、「狭い世界=孤立状態」に陥ると、個人特性思い込みが生じます。

例えば、転職活動を考えてみましょう。

履歴書を作成する際に、自分の強みや弱み得意不得意を棚卸しすると思うのですが、これらは本来は「相対評価」が望ましいはずです。

どれだけ自分自身が…に「文章を書くことが好きで、自分では得意だと思っている」としましょう。

そして、Webライターなどの職種に応募をし、採用面接を受けた際、同じく採用面接を受けた人の中で秀でた能力でなければ「好き」は評価されても「得意」とは判断されないでしょう。

現実社会であれ仮想社会であれ、そもそも「社会」とは無数の個人が連なって形成されるモノなので、他人と比較して優劣が決まります。

ここで言う優劣とは、人としての評価ではなく、経済社会において企業利益になるかどうか?という基準であることは忘れないでくださいね。

採用されなかった=人として劣っていた」ではなく、その企業の評価基準ではそのような評価であったというだけなのです。

…これ、大事です。

ホーム・リラックス・人と犬・ソファ

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弊害をもう一つ…

狭い世界とは、単純にその世界に存在する人数が少ないです。

ということは、競争の原理が働かないので、怠けてしまうこともあるでしょう。

休職の期間を不摂生に過ごしてしまうと、勤労意欲が高まっても、実際に働きだした途端に心身に拒絶反応のような状態が起こることがあります。

私の場合は、ずっと自転車通勤だったので、今の職場に向かう通勤電車は未だに気分が悪いままです。

頭痛や腹痛、吐き気などが押し寄せ、電車を降りて少し休むと治まります

怠ける、とは直結しない症状かもしれませんが、これも狭い世界でのびのび過ごしていた弊害だと思っています(笑)。

…もともと人混みは苦手でしたが、悪化していることに電車に乗るまで気がつきませんでした( ̄▽ ̄;)。

男性・夕日・日没・桟橋・孤独

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良くも悪くも…

さきほど、個人の特性は「相対評価」だと述べました。

私は、能力や技能の自己評価は、社会的評価をさして変わらないと思っていました。

しかし、広い世界に出れば出るほど、偏っていたことを思い知らされます。

私は適応力があると思っていましたが、そうではありませんでした。

私はホスピタリティと優しさを混同していました。

しかも、ホスピタリティビジネス的な視点でしか発揮できていないことを悟りました。

逆に、私は自身の知識量を過小評価していました。

取得した資格の有用性を侮っていました。

…これらから言えることは、自己評価のみで成長しようとした結果、時間や能力最適な状態に出来ず、かなり無駄な労力を費やしていたということです。

男性・天を仰ぐ・手で顔を覆う・紅葉・セーター

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もちろん、結果として無駄な労力ではない方向に軌道修正しつつありますが、このような軌道修正を許容できるかは個人差があります。

私も、もう少し人生経験が浅かった時期に、このことを考えていたら、後悔の念に駆られていたかもしれません。

ですから、結果論で辻褄を合わせるよりも、人生の早い時期に広い世界に身を置くことは、きっと後で軌道修正するよりも豊かな人生を送る上で、必要なことだと思うのです。

狭い世界は、もしかしたら、あなたにとって自由で快適な空間かもしれません。

しかし、その弊害は、将来のあなたに訪れることでしょう。

広い世界は、あなたが望む世界ではないかもしれませんが、あなた自身の居場所を作り、上手に付き合えるだけの居住性はあると思います。

どんな場所でも、住めば都。

少しの勇気と、抱えきれない希望を胸に、広く新しい世界へ羽ばたいてみてはいかがでしょうか?

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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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