リビングデッド
まず、タイトル画像で「怖いの嫌だ( ノД`)…」と思われた方がいたら、ごめんなさいm(__)m。
内容も、ある意味ホラーです(笑)。(まあ( ̄▽ ̄;)、人によりますw)
「リビング・デッド(Living dead)=生ける屍」ということですが、個人的には、ホラー映画に出てくるようなクリーチャー(ここでは「化け物」の意)のイメージはなく、むしろ普通の人間と変わらない容姿だと思っています。
しかも、なかには自らが「リビングデッド」とは自覚していない個体も存在します。
「…大丈夫か、コイツ(;゚Д゚)?」と思われる方もいるかもしれませんね(笑)。
ですが、私自身が「リビングデッド」だった、という話が今回の内容です。
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そもそも、ヒトとして「生きている」と「存在している」は違うと、私は考えています。
「生きている」とは、生命力を感じさせる「意志の力」を窺い知ることのできる状態で、「存在している」とは、「ただ、そこに在る」状態。
ヒトとしてのカタチをしていますが、「生きて」はいないのです。
「心の色を失う」
辛いことや悲しいこと、無力感、絶望感…。これらを与え続けると、ヒトはどんどん心の活動が低下していきます。
おそらくは生存本能なのでしょう、心が動かなくなっていくのです。
辛いことを辛いと感じなくなり、悲しくても涙すら出なくなります。そうなると、嬉しいことや楽しいことがあっても、これを感じることも出来なくなっていくのです。
目に映る景色からは色が抜け落ち、モノクロの世界にいるような感覚になります。
このような表現をする時、「目の前が真っ暗になった」的な比喩を想像するかもしれませんが、逆だと思っています。色のない世界が眩しく感じる、それが私の場合でした。
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出口のない森を彷徨うが如く、生きている実感のない状態のまま、月日は驚くほど淡々と過ぎていきます。
このときの私が、まさに「自分がリビングデッドだと気づいていない」状態でした。この状態で数年間いたのですから、今となっては驚きです。
ある日、突然にその時は来る。
過労で倒れ、自律神経障害となり、それでも「存在している自分」は何なのだろう…?フッと、そんなことを思った時に、突然に自覚したのです。
「私は、生きている…?」
今まで止まっていた自分の内なる時間が一気に動き出します。
物語などでは、人生の分岐点には「きっかけ」が存在すると思いますが、現実、そのような「恵まれた偶然」に出会う人は稀だと思います。(反対に私が稀なのかもしれませんが(笑)。)
いきなりどうでもいい余談ですが、私は見た目が年齢よりも若く見えるそうです(・ω・)。それは、時間が止まっていた時期があるからだと、勝手に解釈しています(笑)。
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「死に戻り」というと、どこぞの人気アニメのようですが、それはさておき(笑)。
再び色を取り戻した世界は、以前よりも美しく感じます。
バカみたいに思うかもしれませんが、「目に映るモノを見て」「世界の息吹を感じ」「生命の味を堪能する」って、すごいんです。
だからこそ…。
皆さんは、今「生きて」ますか?それとも「存在して」いますか?
心の色を失い、音を失い、何の味もニオイも感じないようになっていませんか?
もしそんな状態なのだとしたら、「リビングデッド」かもしれません。
ほんの少しでいいんです。ほんの少し、心が動くなら、世界とリンクしてみてください。できるだけ現実社会とは違う世界に。
「リビングデッド」は「ヒト」に戻れます。そして、「死に戻る」ことができたのなら、全身で、「全心」で、世界と自分をリンクしてみてください。
あなたなら、きっと大丈夫。
ということで、今回の投稿は以上です。