人に拾われる人
ビジネスにおいてのみならず、社会という集団に身を置くうえで、他人から声を掛けられるというのは、大切な能力な気がします。
個人的な意見ですが、人には二種類の生き方があって、「自分で自分の存在を主張する生き方」と「他人に認められる存在としての生き方」に大別できると考えています。
前者は個人の能力が高く、一人での作業を好み、己の存在意義を発信する何らかの専用ツールを有しています。
専用ツールとは、人の心に訴える作品を世に排出したり、その人自身が輝くための職能であったり…。
芸術家の筆であったり、文豪のペンであったり、スポーツ選手の競技の道具などを指します。
要するに「天才タイプ」と言えるでしょう。
noteの住人の皆様は、おそらくはこちらのタイプが多いのではないでしょうか?
才能の塊のような方がうじゃうじゃいるのが、noteの魅力だったりしますから。
一方で、「他人に認められる存在としての生き方」とは、自分で輝くには、やや光が弱い人の処世術であるという側面があります。
こちらは俗にいう「凡人が天才に勝つ方法」というヤツです。
今回は、すべての方がそれぞれに個性という光り輝く才能を持っていることを前提条件として、その上で飛躍する方法の一例を書いていこうと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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とりあえず承認欲求を受け入れよう
「嫌われる勇気」で脚光を浴びたアドラー心理学では、承認欲求を手放すことが必要とされています。
ざっくり言ってしまえば、自分の問題と向き合い、他人の問題には干渉しないという思考を持てば、他者から認められたいという欲求と闘うことをしなくて済むというモノです。
この「他人から認められたい」という欲求は、承認欲求の中でも「他者承認」と呼ばれ、マズローの欲求五段階説においては低次の欲求に位置付けられています。
何と比べて「低次」なのかと言うと、それは「自己承認」という「自分自身を信頼したい」という欲求です。
マズローの欲求五段階説において、この「自己承認」は「自己実現欲求」という名称で、自分らしくありたいと求める心を指します。
…なるほど、このように見ると、他者承認ではなく自己承認に思考をシフトすることが、幸福度を上昇させることに繋がりそうに感じます。
ですが、人というのは高尚な理論を提示されたからといって、急激に変化できることは稀です。
「頭では分かってる。でも…」
少なくとも私は自己承認に切り替えることは困難でしたので、自分のペースで進むことを選択しました。
それは一度、他者承認に没入してみるというモノでした。
自己実現欲求という高次の欲求の存在を認識した状態で、他者承認を優先させた結果、ちょっとした気づきを得ることができました。
高次・低次の決め手となっているのが「どこを向いているのか?」という自身の状態だということです。
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自分ではなく他者の視点で捉える
細かなニュアンスの話になるので、ピンと来ない説明になるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。
私が思う「承認欲求」とは、「自分をどう見せるか?」でした。
自分をどう見せれば、他者から認められるのか?
自分をどう見せれば、自分を好きになれるのか?
これが自分中心の視点であることは、ご理解いただけると思います。
…押し売り、に感じませんか?
ちょっと視点を主観から客観に切り替えます。
言葉はシンプルです。
他者の欲求を満たすには、何を承認すればいいのか?
自分の欲求を満たすには、何を承認すればいいのか?
…こうすることで、他者(への)承認は高次に、自己(への)承認は低次に映りませんか?
奉仕とエゴ、こう言い換えられると思います。
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他者承認の欲求を満たすという自己承認
「他人から認められたい」を「他人を認めることが自分らしさ」に置き換えると、さまざまな行動や思考が変化します。
自分の欲求を満たすために、他者への奉仕が始まるのです。
自分らしくあるために、他者の存在を認めると、「自己承認」が「独りよがり」に歪むことを防止するだけでなく、相互に社会性が発展していきます。
「返報性の原理」により、「施し合い」という現象が起きます。
私は、堂々とエゴイストを名乗れてしまうくらいに他者承認を欲する人間でしたし、今もそうなのかもしれません。
ですが、上記の考えに基づき行動するようになって、他者からの恩恵を多く授かるようになったのです。
…他者に認められたいが他者に喜んでもらいたいに切り替わったと書いた方が伝わるのでしょうか?
私の行動自体に変化はありません。
ただ心持ちが違うだけです。
このわずかな違いに気づいたおかげで、人に拾われる人になったのです。
人を拾えるような人は、冒頭の「自分で自分の存在を主張する生き方」をしている方が多いです。
彼らはセンスに溢れていますから、こちらの得るものもハンパありません。
一人では集めきれない情報や、昇ることのできなかった職位、居ることを認められたコミュニティなどなど。
ただ自分の欲求を満たしただけだというのに…。
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花はなぜ咲くのか?
花が咲くのは、種の存続のためのメカニズムです。
にもかかわらず、その容貌を気に入った人によって、図らずも飛躍的に種を拡大させることに成功したものもあります。
このように、野に咲く花からも学ぶことはあります。
私たちは欲求の生き物です。
そして、不完全な魂を持った生き物でもあります。
完全性を求めるのは、無いものねだりではないでしょうか?
今の自分にあるものだけしか使えないのだとしたら、そこに智慧をしぼり、完全以上の不完全さを欲すればよいのだと思います。
それには、他者の存在は不可欠なピースです。
自己実現欲求という歪みやすいモノを求めるよりも、他者承認からでも得られる何かを欲することが、もしかしたら、あなたらしく生きる知恵なのかもしれません。
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…あー、文章力が乏しく、伝えたいことを伝えた感じが全くありませんが、いかがだったでしょうか。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回の投稿は以上です。