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イノチ、ミガク
…ちょっと重そうなタイトルになってしまいました。
あなたが命の重さを感じたのはいつですか?
そして今も、その重さを感じることができますか?
多くの方にとって、命の重さを感じる瞬間というのは、おそらく、身近なところでの生死に立ち会った瞬間だと思います。
生まれたばかりの子供の体重というのは、大体3,000gが平均値ですが、実際に、自分の手でその命を抱くとき、数字以上の重さを感じることがあるでしょう。
それが、命の重さではないかと思うのです。
ということで、今回はちょっと難しめな内容となりますが「命について、最近思っていること」を書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
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現在、福祉の仕事をさせていただき、障害を持たれている方の支援をさせていただいています。
彼らの中には、自分一人では日常生活もままならないという人もいます。
そんな彼らの支援をさせていただく時に、フッと思うことがあります。
今の自分が、自分以外の命の選択権の一部を握っているのだと…。
実際に、私もまあ…、今でこそ離婚していますが、我が子を震える手で抱いた時、体重以上の重さ感じる経験をしました。
その後、ほんの数年ではありますが、毎日我が子を抱くたびに、命について真正面から対峙している自分がいました。
それから10年以上の歳月が経った今、何らかの障害を持っている方の支援をさせていただく中で、同じように、命について真正面に向き合う時間を体感しています。
障害を持つ方というのを、一般的には健常者より劣っていると判断される方もいるかもしれませんが、それは間違いです。
彼らの生きる力は、私たち以上に純粋な力なのだと思います。
その姿を間近に見ることで、私自身が磨かれていく…、そんな気がするのです。
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普通に生きている中では、なかなか死について考える機会はないかもしれません(…noterさんは考える方も多いかもしれませんが…)。
あるいは、命の重さというものはどんな意味を持っているかなど考えもしないかもしれません。
命を磨くということは、自分の根源と向き合う時間でもあります。
自分が何のために生まれてきたのか問わずにはいられない、そんな心境になるのです。
このような機会を与えてくれている彼らに感謝するとともに、もっともっと彼らの生きやすい世の中にしたいと、そう思っています。
障害というのは個性です。
ある一面だけ見れば、確かに私達より劣ってる部分はあるかもしれませんが、それは障害者だからということではなく、私達健常者にとっても同じではないでしょうか?
どんな人間も、他人と比べることで優劣は存在するでしょう。
ですが、この優劣というのは命の価値ではありません。
社会で生きていく中で求められる能力を、数値化しただけに過ぎません。
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私が支援させていただいている彼らの中には、私の能力をはるかに超える特性を持つ方も多いです。
その特性に光を当てれば、彼らは障害者ではなく、優秀な一人の社会人でもあるのです。
そんな彼らが自立できる社会を、今、私は夢見て、日々の仕事を全うしています。
きっかけは何であれ、人は生きている以上どこかのタイミングで、自分であれ他人であれ、何らかの選択に迫られることがあります。
どの選択も、誰かが生きるために必要なものかもしれませんが、そこにエゴしかなければ、その人の命の価値というのは推し量られて然るべきだと思います。
私たちが今こうして生きているのは、誰かの、あるいは、何らかの命あってこそです。
それを、どの程度心に刻めるかが、命そのものの成長に必要なのではないでしょうか?
あなたが今いる世界は、命を感じられるでしょうか?
まずは自分の命の重さから、改めて感じてみてはいかがでしょうか?
そして、誰かと触れ合うことで、相互に命を磨き、より高みを目指していける…そんな社会になればいいなと思います。
ということで、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です