嘘をホントに、ホントを嘘に。
人間は嘘をつきます。
嘘は人を騙す行為です。
ですが、人を救う嘘もあります。
反対に、人を殺す嘘もあります。
ということで、今回は「嘘の使い方」について書いていこうと思います。
あなたが嘘をつくのは、どんなときですか?
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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私も嘘はつきます。
人を救う嘘よりも、自分を偽る嘘が多いと思います。
それは、人を騙すというよりも自分を騙す嘘です。
あなたも心当たりがあると思うのですが、大丈夫じゃないのに大丈夫と言ってみたり、悲しい気持ちなのに笑顔でいたり…。
何度も何度も嘘をついて、自分の心を殺す経験、あるんじゃないでしょうか?
とは言え、個人的な意見ですが、心は死にません。
実体がないものに死という概念は、当てはまらないと考えています。
結局のところ、人が死ぬのは物理的なものか病理的なものかであって、心理的・社会的な死は比喩でしかないと思います。
つまり、心理的・社会的な死は、生まれ変わる可能性を示唆しているということです。
このことから、人は輪廻を待たずに生まれ変わることができる、というのが私の持論です。
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話を嘘に戻します。
自分に嘘をつくと、心と体のバランスが崩れるというのは、なんとなくでも想像がつきそうです。
これも認知的不協和と呼ぶのでしょうか?
心身の乖離。
一般的に、このような状態は望ましくありません。
ですから、「人にも自分にも嘘をつくのはやめよう‼」なんてフレーズがいたるところで飛び交うのも自然な流れだと思います。
しかし、先に述べたように人間は嘘をつきます。
個人的な想像ですが、嘘は「社会性」という人間の生存に大きく関わる特性を、進化の過程で獲得した際に生まれた副産物だと考えています。
集団での生活を強いられる中で、個の生存を確立するのに必要なのは、優れた能力があるか、他人を貶める能力があるか、だと思うのです。
響きは悪いでしょうが、事実ではないでしょうか?
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例えば、生物には「擬態」をする種類が存在します。
1.他のもののようすや姿に似せること。
2.動物が、攻撃や自衛などのため、体の色・形などを周囲の物や動植物に似せること。コノハチョウが枯れ葉に似せて目立たなくしたり、アブが有害なハチに似せて目立つ色をもったりすることなど。
(デジタル大辞泉より)
弱者が生きる選択をする上で、騙す行為や偽る行為は、必須能力だと言えるのではないでしょうか?
つまり、嘘とは本来「生存本能」に近い特性なのだと思うのです。
だとするならば、嘘は抑制するのではなく、コントロールすることが、正しい対処となるはずです。
では、具体的に正しい対処とは、どんな行為でしょうか?
私は「容認と活用」を提唱したいと思います。
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要するに、嘘の存在を否定するのではなく、在るものとして活かすという概念です。
それがタイトルにある「嘘をホントに、ホントを嘘に」なのです。
例えば、人は虚勢を張ります。
実際の自分の能力以上の力があると嘘をつく行為です。
先に認知的不協和という言葉を用いましたが、人は矛盾する認知を抱えた状態にストレスを感じます。
嘘の存在を否定せずに活用するならば、偽りの自分に近づく努力をすればいいだけだと思うのです。
これが「噓をホントに」の部分です。
また、ビジネスシーンなど社会的競争を生き抜く場面では、「能ある鷹は爪を隠す」といった駆け引きも求められるでしょう。
ありのままの自分を晒すことも、素晴らしいことでしょうが、出来ないことをやろうとする労力をかけるくらいなら、生き抜く力を身につける方が賢明だと思うのです。
これが「ホントを嘘に」ということです。
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人間は嘘をつきます。
この本能に近い現象を「容認と活用」し生きることは、ある意味では、誰の心も殺すことのない社会への第一歩になるのかもしれません。
これはあくまで愉快犯的に嘘を纏う人間がいない仮定での提唱なので、実際のところ「生き死に」は続いていくのでしょうが…。
ということで、今回も突飛な仮説を立ててみました( ̄▽ ̄;)。
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。