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「失う」ことは、「研ぎ澄ます」ことでもある

AIが何かを成し遂げるごとに、それを非AIとして再定義していった。
われわれはAIについて、それが何を意味するのかを定義してこなかった――人間にとってどういう意味があるのかということだけを再定義してきたのだ。


『〈インターネット〉の次に来るもの』を読んだ感想、第7回です!

第1回 現代に生きるぼくたちはみな、「永遠の初心者」
第2回 スティーブ・ジョブズの「最大の功績」
第3回 「変革」を起こすのに最も適した時代は?
第4回 カメラの未来は「撮ったもん勝ち」
第5回 AIの「進化した姿」とは
第6回 「人工知能」という呼び方は変えたほうがいいかもしれない


冒頭で引用した本中の指摘、とっても面白いなと思いまして。

あと筆者は、AIの進歩による最大の恩恵は、仕事が効率化されることでも、パーソナライズが進むことでもなく、『人間性の定義の手助け』だとまで言ってるんですね。

日々の生活で役立つAIのもたらす最大の恩恵が、効率性の増大や潤沢さに根ざした経済、あるいは科学の新しい手法といったものではないことだ。
もちろん、そうしたことはすべて起こるだろうが、AIの到来による最大の恩恵は、それが人間性を定義することを手助けしてくれることだ。
われわれは、自分が何者であるかを知るためにAIが必要なのだ。


ぼくたちはAIが進歩するたびに、『それは(もはや)AIではなく(単なる)機械だ』と非AIを定義して、それによってAI、ひいては人間を定義してこようとしました。

車を運転したり、「ジェパディー!」のゲームで勝利したり、何十億もの顔を認識したりできるのは超知的なAIのみだとかつては主張していたかもしれない。
しかしこの数年、AIがそれらを成し遂げるたびに、われわれはそれが単なる機械であって真の知性とは言えないと考えるようになった。
「機械学習」というラベルを貼ったのだ。


新しい非AIの定義がなされ、それによってAIの定義が変わり、そして人間性の定義が変わる。

そしてそのベクトルとしては、『AIが人間性の領域を侵食してきている』の一方通行と言っても過言ではありません。

よく仕事がAIによって奪われるといった議論で『人間にしかできない仕事をしよう』と言いますが、あれと似た現象であるとも言えます。

『人間にしかできない仕事』を考えることはつまり、『そもそも人間とは何なのか?』を考えることに行き着きます。

なので、変な言い方をすればAIが進歩して、失業の危機にさらされることによって、ぼくたちは『人間とは何か?』という問いに対する解像度がとっても上がっていると思います。

例えば縄文時代とか弥生時代の人とかって、こんなこと考えてる人、ほとんどいなかったはずです。

AIという『鏡』が生まれたことによって、ぼくたちはたくさんの人間性(≒人間にしかできないこと)を捨ててきました。

過去60年以上にわたり、人間に固有だと考えてきた振る舞いや才能を、機械的プロセスがそっくり再現してきたことで、われわれはそれらと分かつものとは何かと絶えず考えてこなくてはならなかった。
より多くの種類のAIが発明されれば、人間に固有だと思われていたものをさらに放棄せざるを得なくなるだろう。

しかし、その一方で、従来の価値観での人間性を捨てることは、それは真の人間性に一歩一歩近づいているということの証左でもあります。

どうせAIが進歩するなら、そんな感じで、ポジティブな側面にももっと焦点を当てていきたいですね。


ということで、きょうのnoteは、AIはぼくたちにとって、『人間とは何か?』を考えるための重要な比較対象だなという話でした!



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藤本 健太郎 / 編集者
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