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スマホでどんな情報でも手に入る時代に、「本」を読む理由

われわれのこの新しい活動は、読書(リーディング)というよりは「画面で読む(スクリーニング)」と呼ぶ方が正しいだろう。
スクリーニングは言葉を読むばかりか、言葉を眺めたりイメージを読んだりすることが含まれる。
※本中より引用


『〈インターネット〉の次に来るもの』を読んだ感想、第13回です!

第1回はこちら↓


この本によると、『過去20年間のアメリカの識字率に変化はないが、読み書きの量は増えている』のだそうです。

似たような話だと、ぼくたちの世代もよく『活字離れ』から国語力の低下みたいなこと言われますが、実際にはSNS上のやり取りを含めると、言葉を発したり受け取ったりしている量は増えているのではないかというアレです。

ただまあ、『本』というフォーマットで文字に触れている量は、全体的に見るとはやり減少してる模様。

ちょい脱線しますが、他の記事もちょこちょこ読んでみた感じ、大学生の世代が一番本を読んでないっぽいですね。

これは世代云々というよりたぶん生活習慣の影響が大きくて、ぼくたちの頃から、小中高では強制的に『読書の時間』みたいなものが朝なり時間割の一コマなどに入っていたので、データを取ると10代20代では大学生が一番読んでないって結果になるんだと思います。

(大学生以降は読書を強制されないから)

大学生以降と社会人になってからは、周りを見てる印象は本当に二極化するという感じ。

読む人は読むし、読まない人はまったく読まない。

読む人よりも読まない人のがほうが多いから、読書量全体を人数で割ると減少ってしてるって感じになるんでしょうか。


閑話休題。


とにもかくにも、世間全体で見たときに『本』を読む人はやっぱり減っていて。

それはやっぱり、最初の引用箇所でも触れたように、電子書籍も含めてぼくたちの身の回りに『スクリーン』が溢れかえるようになったことは大きいです。

スマホはもちろん、町中を歩いていても大きなスクリーンがあって、広告が映し出されています。

パソコンもそうですし、テレビも広い意味でのスクリーンですね。

世の中の大半の情報が、スクリーンに映し出されるという形をとっています。

こっちのほうがすぐに欲しい情報を取り出せて便利だし、内容を変えたりもできるし、他の人とコミュニケーションを取れたりとメリットがあまりにも大きいので、みんな『本』ではなく『スクリーン』に夢中です。

ではこのまま、ぼくたちの文化から『本』といフォーマットはなくなっていくのでしょうか。


筆者は『本には本の役割がある』という主張をします。

その役割のひとつが、『読書による異空間への誘い』です。

本とは実際のところ、読書中に心が赴くバーチャル空間なのだと主張する学者もいる。
それは「読書空間」とでも呼べそうな、想像力の概念的なあり様だ。
こうした学者によれば、読書空間に入り込んでいることで、脳の回路が変化する。
読書をしている状態では、ビットをかき集めようとせわしなく行き来するのとは違い、人は別の空間に呼ばれ、集中して没入するのだ。
※本中より引用


ぼく、この箇所を読みながら『ああ〜その没入する感覚あるわ〜』って思いながら読んでたんですけど、ふだん本を読むみなさんもその感覚ありますか?!

というかむしろ、ぼくはこの『没入する感覚』を求めて、本を読んでるみたいなところがあります。

ぼくは基本的にKindleで読む派なので、別に紙の本ではないんですが、それでもKindkeで本を読んでるときは、世俗から離れていく感覚というか、精神のデトックスをしているような感覚になります。

紙の本を読んでるときは、なおさらですね。


この引用した本中の内容が本当なら、このぼくの『没入する感覚』は、科学的にもある程度信憑性のある現象ってことなんでしょうか。

ネット記事の長文を読むのともまた違う、あの『本』というフォーマット独特ののめり込む感覚が、ぼくは好きなんですよねー。


なので、これからもっともっと世の中がスクリーンだらけになっても、そのスクリーン上でできることがどれだけ増えようとも、ぼくは『本』を読み続けると思います。

なんかきょうはただのぼくの『本が好きだー!』っていうnoteになっちゃったんですけど、みなさんも本を読むときに『没入する感覚』ってありますか??



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藤本 健太郎 / 編集者
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