「AIは『美のイデア』に到達し得るか?(『魂』を持ち得るか?)」
我々が絵画や彫刻を観て音楽を感じたり、音楽を聴いて美しいイメージが脳裏に浮かんだりするのは、感覚器官によらない『美のイデア(魂の世界にある美そのもの)』と言えるようなものがあるからです。
三角錐に真横から光を当てると三角形の影ができ、真上から光を当てると円の影ができるように、この『美のイデア』を聴覚的に表現すると音楽になり、視覚的に表現すると絵画や彫刻となるのです。つまり音楽も絵画、彫刻も、同じ『美のイデア』を表現したものです。
このように全ての芸術は魂の世界では同じものなので、視覚的芸術から聴覚的芸術を感じたり、聴覚的芸術から視覚的芸術を感じたりするのです。
さて、上記の三角錐の例えは、ユング研究家の河合隼雄が心と体の関係を表現するときによく使っていました。
河合によると、心と体が同じもののようであったり違うもののようであったりするのは、この二つが『魂』に別の方向から光を当てた影のようなものであり、三角推の影が光をあてる角度によって三角形になったり、円になったりするのと同じことだそうです。
つまり、現実世界にある芸術作品が『魂の世界にある美のイデア』の影であると同様に、私たちの心と体は『魂』の影です。
さて、そうすると「はたしてAIは美のイデアに到達し得るのか?」という疑問がわいてきますし「もしもAIが美のイデアに到達したならば、それは、魂を持ったと言えるのではないか?」とも思えます。
しかしながら、AIが『美のイデア』を感じさせる作品を作ることが出来たとしても、つまり『美のイデア』の影を作ることが出来たとしても、それが本当に『美のイデア』の影なのか、それとも、影だけを真似して作っただけなのかは、判別不可能です。
そしてこの判別不可能性は、AIだけでなく、人間にも当てはまります。自分以外の人が『魂』を持っているかどうかは判別不可能だからです(自分以外の他者は魂をもたないけれども、人間と全く同じようにふるまえるAI搭載のロボットのような存在かもしれませんが、そうかそうでないかは判別不可能です)。
そう考えると、AIの進歩は、古代ギリシアの時代から語られてきた哲学的問題にリアリティを与えるという効果があるんだなぁと思えてきます。
古代ギリシアの時代から2000年以上「非現実的な想定ばっかりして、何を言っているのだろう?」と言われていた哲学が身近でリアルな問題になってきています。そしてその問題には芸術も深く関わっています。
これからが楽しみですね(*^_^*)
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