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西欧へ憧れて―加賀乙彦を偲ぶ―

作家の加賀乙彦が2023年1月12日に亡くなったことを一昨々日知りました。初めて読んだ作品は大学一年だった1985年の夏マレーシア、クアラルンプールにいる親元に行った時、親父の本棚にあった自伝的小説『頭医者青春記』。親父と彼は同級生だったのでそのよしみで好奇心が高じ買ってみたのか。というのはのちに分かったのだが前編の『頭医者事始』に貧困者を助けるセツルメント運動に加賀乙彦と一緒に参加した人物が「結核予防会」と呼ばれ登場するが、親父はセツルメント運動をしていたし、のちに「結核予防会」に就職する。

クアラルンプールから日本に戻った秋にちょうどその頃まで朝日新聞に連載されていた『湿原』が終了し単行本化されたのですぐに購入した。当時19歳だったので読書力がまだあったのはもちろんだが、読者を引きこむ面白しさは抜群だったので分厚い上下巻を二日で読んでしまった。この作品の着想は直接には犯罪学者であった加賀が面談、文通を通してつきあっていた死刑囚の横須賀線爆破事件の犯人の若松善紀に冤罪者を主人公にした作品を書いてほしいと言われたことからですが、幼少の頃から世界文学に夢中だった加賀乙彦はアレクサンドル·デュマの巌窟王『モンテクリスト伯』の影響があるのではないか、とみています。

そう、彼の作品はひとことで言えば彼の世界文学への憧れの現れなのです。最初の『フランドルの冬』は彼が大人になってから影響を受けたサルトルやカミュあるいは哲学のメルロ・ポンティの痕跡が露骨と言ってもいいぐらい読み取れるし、キャリア中期の代表作である『宣告』における殺人犯である主人公の突然の回心の場面はドストエフスキーの『罪と罰』においてシベリアに流刑にあったラスコーリニコフがソフィアにいきなりひれ伏して後悔するシーン以上に読者に切迫してくる。そして彼のライフワークと呼ばれる『永遠の都』は彼が少年であった20世紀初頭流行った『チボー家の人々』が代表する大河小説を模範としていて、その第一部の『岐路』のゆっくりとした時間の流れと即物的と言える描写はフローベルを彷彿させます。

平易な文章で書かれたしっかりした彼が残した物語は抜群に面白い。でもちょっと俯瞰して彼の作品群を眺めると、感じられるのは彼の少年からの物語へのあこがれを―少年時代に円本である新潮社の「世界文学全集」と改造社の「現代日本文学全集」をむさぼるように読んだそうだ―おとなになり原稿用紙に、そして開発されて早いうちからワープロに表していたんじゃないか、と思います。

彼は書く人であるとともに「読み巧者」であったと思います。実際愛読者としてドストエフスキーに関して数冊上梓しているし、また数度にわたり小説のアンソロジーを編集していて、特に皓星社から『ハンセン病文学全集』という日本におけるハンセン氏氏病に関する文献の金字塔というべきものを出しています。

福田和也がかつてアメリカの葡萄酒批評家を真似て小説に点数をつけて批評する本を出し、そこで加賀乙彦をかなり低い点数で酷評していたが、それでもそこでの短評が加賀乙彦はもちろん日本の大学教育を受けた知識人と呼ばれる階層を理解するのに示唆的です。福田和也はその批評でかつては西欧へ憧憬する近代というものがあった(つまり加賀乙彦の文学はそれ以上のものではないと言っている)、と書いていたと思うが、そこから思うのは加賀乙彦は西洋ひいてはアメリカによって半ば強制的に明治から始まった日本の近代化、とくに都市における生活の西欧化による作られた、日本の近代において模範とされ、田舎の人から羨望された知識人だったのではないでしょうか。

その日本とは柳田国男の神隠しにあったりざしきわらしなどがでる「遠野」ではないのはもちろん、ずっとあとに中上健次が描いた「路地」ではない。それはむしろそれらを半ば隠蔽しようとする企図が見受けられる例えばアメリカからの帰国子女の林達夫が「歌舞伎劇に関するある考察」で耽美的傾向を擁す徳川時代を、フランス帰りの遠藤周作が『沈黙』ですべてを腐らせる沼地として日本全体を、土着的なものとして切り捨てるが、そのような振る舞いを半ばの諦念と共に自然なものとして受け入れてきたかなり人工的な、つまりある時代が誂え、急ごしらえされた知識人を規範とする近代日本なのです。そして世界文学に憧れる加賀乙彦とは実はこのような知識人を体現してたのではないか、といささか意地悪な視線と共に思うのです。

そしてもちろん僕も西欧に憧れる知識人の末席を汚す身として加賀乙彦の作品はこのページの上にある写真に載っているものは当然、それ以外のかつて潮出版から出ていた『加賀乙彦短篇小説全集』などを耽読してきました。僕がフランス現代思想を研究するのを目指し、フランスまで来てしまったのも直接ではないにせよ、彼からの影響からです。それに関連して統合失調症(精神分裂病)に関して多くの本を読み漁ったのも彼の影響です。

最近高橋幸宏、ジェフ・ベック、デイヴィッド・クロスビーなどが相次いで亡くなっていますが、僕には加賀乙彦がいなくなったのが一番のショックでした。それはきっと西欧に憧れる近代日本が、つまり自分が生きてきた日本が過去になってしまったからでしょう。


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