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未来を変えたければ本屋へ行け

何かを変えたい、何かに迷っている。

そんな時は本屋に行ってみると良い。本屋には前に進むためのヒントがある。

勉強の指導者である私にとって、本屋は生徒を前に進ませるための「ヒントを探しに行く場所」である。

大まかなアイデアはすでに頭に浮かんでいることも多いため、より正確に言えば、頭に浮かんでいる勉強メニューのアイデアを具現化するためのアイテムを探しに行く場所が本屋である。

時には本屋で出会った教材から新たな勉強メニューが思いつくこともある。

さらには教材というジャンルではないような本から、勉強メニューが生まれることもある。

そしてそのようなメニューによって力を伸ばした生徒が、受験において大きな成果を上げたり、その後も大きな成長を続けていったりする。

教材であるとも限らない一冊の本、その本を私が手に取ったところから一人の生徒の成長ストーリーが幕を開ける。

数多くの成長ストーリーを目の当たりにしてきたがゆえ、私にとっては本屋というものが極めて重要な存在に思えるのだろう。


【私の指導スタイルにおける本屋の貢献度】

中学受験をする小学生から大学受験をする浪人生まで、ありとあらゆる科目の指導を経験し、現在は中学受験中心の指導者である私の指導には、決まったカリキュラムはない。

ひとまずどのような教材を使って指導をスタートさせるかについても、入念な打ち合わせをした上で決定していく。

一人ひとりの生徒は、能力も性格も、成長スピードもその時点での仕上がり具合も、得手不得手も好き嫌いも、目標とする学校の出題傾向も出題難易度も、受験にかける熱意も他の習い事も含めた忙しさも……あらゆる面で違いがある。

先に述べたように私にとっての本屋は「生徒を前に進ませるためのヒントを探しに行く場所」であり、また別の言い方をするならば、生徒の状態と状況を見ながら、「次の一手として最適な教材を探しに行く場所」、「次の一手を決定させる場所」が本屋である。

その子にとって次の一手を打つべきなのがいつなのか、どんな一手になるのかは、指導を進めてみなければわからない。

模試の成績や授業中の生徒の出来はもちろん、生徒の一挙手一投足を細かく観察し、また生徒本人との会話や親御さんからの様々なお話も参考にしていくことで次の一手のイメージが浮かび上がってくる。

そしていくつもの本屋を巡りながら、最適と思える教材を見つけていく。

間接的ではあるが、「次の一手」を探す作業は私と本屋との共同作業のようなもの。

これまでの経験の蓄積により、すでにほとんどの生徒の指導に必要な教材は把握できているが、時代の変化に伴う教育の変化、新たな教材の発売、生徒の成長に必要な新たな次の一手、そういったものがある限り、私の指導スタイルにおいては本屋の存在は欠かせない。


【本屋が提示してくれる「次なる道」】

受験生をはじめとした学生にとっての次の一手、成長につながるヒントが転がっているのが本屋なのだが、言うまでもなく本屋は学生のためだけに存在しているわけではない。

本屋には「誰」にとっても「何かのヒント」となるものがあるはずだ。

本屋に行くという行為は、金額的に見ても最も手軽な「成長の入り口」だと言える。

本屋においては、基本的に本を購入するとき以外、直接誰かと関わるわけではない。ネットにも同じような手軽さはあるが、想定外の「何か」に出会うという偶然性をメリットと捉えると、やはり本屋の方に軍配が上がる。

進歩した技術により、我々がネットの中で出会える情報の偶然性は低下している。興味のあることと紐付けられたものとばかり出会うようになってしまっている。

利便性は向上しているが、意外性は低下している。

その点、本屋(特に大きな書店)には、人類が積み上げてきた叡智のほとんど全てのジャンルの本が揃っており、本屋の中をひと通り歩いてみることによって、その全てのジャンルを短時間のうちにチェックすることができる。

そのため、過去の私の指導においても、教材のジャンルではないような本が勉強メニューになるという偶然の産物的な出来事に恵まれたことが幾度となくあった。

本に記されていることは、これまでに人類が見つけてきたもの。それは知識と知恵。また人類が味わってきた様々な感情についても本に記されてきた。

「知識」も「知恵」も「感情」も、全ては人類の「経験」から得られたもの。「本をつくる」という行為は、広い意味での「経験の伝承」だと言える。

その著者は過去に生きた方もいれば現在を生きる方もいる。様々な方が伝えたい、遺したいと思ったことや、本人でなくとも周りの人が伝えるべきだ、遺すべきだと思ったことが本になっている。

それは言うなれば、古今東西の様々な人が「本屋」という場所で待ってくれているようなもの。

今を生きる誰かにとって次に進むためのヒントとなることを、他の誰かが本という形で伝えようとしてくれているはず。

そう考えると、本屋というのはこの上なく魅力的な場所であるように思える。

あらためてその価値を再認識して、多くの人が本屋に足を運び、自分に必要な「何か」を持ち帰ってほしいものである。

かく言う私もコロナ禍以降はずいぶんと本屋に行く機会が減ってしまったが、こういうことを書いていたら、私も久しぶりに本屋に行きたくなってきた。

今のところは動画コンテンツの作成をはじめ、やるべきことが目白押しなのだが、それらが一段落したらまたどこかの本屋に足を運んでみようと思う。

そうして足を運んだ本屋、そこで出会った一冊の本によって、私の未来もまた変わっていくのかもしれない。


そういえば過去の私の教え子にも本屋によって未来が変わった子がいた。

より正確に言うなら、私が本屋に立ち寄ったことによって未来が変わった子である。

ちょっとしたことで未来は変わるし、私は生徒の未来に影響を与えてしまうような仕事をしているため、このような話は他にもたくさんある。

また、今回は老若男女を問わず、本屋がいかに貴重な場所であるのかについて語ってみたが、本屋にはまた別の意味で学生にとって特別な機能がある。

そのあたりの話はまた別の機会に。すでに下書きに近いメモは準備できているので、近いうちに新たな記事を投稿することになるだろう。

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