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もしも世界中の人が全員「自分」だったら
「もしも世界中の人が全員自分だったらどうなるだろうね?」
ここ数年、どの科目の授業というわけではなく、また学年を問わず、私が指導する生徒に対してよくこの質問を投げかけてみます。
「世界中の人が全員自分と同じ能力だったら」というように質問の表現を変えたりもします。
答えが欲しいわけではありません。そういう視点を持って欲しいな。生徒達にはそんな期待を込めて話しています。
どんな生徒にこの質問を投げかけるか
個別指導を行う私が出会う生徒というのは、先生の言うことが聞けない、大人の言うことが聞けない子も少なくありません。
ですから、このような話についても指導が始まってから間もない時期ではなく、ある程度信頼関係が深まってから、しっかりと話を聞いてくれる態勢が整ってから話すようにしています。
またそういうタイプの子ではなくても、視野が狭かったり、ネガティブな部分を持っていたり、自己肯定感の低い子にはする必要のある話だと思っています。
まあ程度の差こそあれ、どんな子でもそのような性質のいずれかは持っているでしょうから、それほど生徒のタイプを考えずとも、タイミングさえ合えばどの生徒にも話していることではあります。
子供達が失いつつあるもの
大人の言うことが聞けない。先天的にそのような気質を持っている子も一定数いるでしょうが、今の世の中の形からすると、後天的にそうなっている子も数多く存在することでしょう。
特にここ数年、何についても批判的、否定的、特に大人が関わることに対して、そして社会全体に対してそのような姿勢が強く出過ぎてしまっている子に出会うことが増えたように思います。
私の場合、個別指導が主な仕事ですので、たまたまそういう子と出会う機会が増えただけなのかもしれませんが、社会全体の流れとしてそういう傾向にあるのは、あながち間違っていないのではないかと思います。
メディアから流されるネガティブな事件や救いようのないようなニュースをこれだけ目にすれば、子供達が大人に対して、社会に対してそのような感情を持ってしまうのは仕方のないことかもしれません。
ただそうなると、子供達は大人や社会へのリスペクトの気持ち、そして自らが成長すること、大人になることへの期待感を失ってしまうことにもつながります。
それこそ負の連鎖になってしまいますよね。
そんな状況を鑑みて、冒頭の質問を投げかけてみているわけです。
もしも世界中の人が全員自分だったら
質問を投げかけられたほとんどの子が、ハッとしたような表情を見せます。
子供に限らず、誰であろうと世界中の人が「自分」という一人の人間の能力になってしまったら、とんでもないことになるのは容易に想像がつきます。
作れるもの、食べられるもの、住める場所、着るもの、享受できる娯楽は限定され、病や怪我に為す術もなく、また世の中の秩序はどうやって保てば良いのか。能力自体は皆同じなので、あらゆることが運任せになることでしょう。
例外的に、欲がない人ばかりになったりするとある程度平和な世の中を作ることも可能でしょうし、皆性格が同じなので、話は合うかもしれませんが。笑
それでも今の日常と比べたら、困ることばかりになるのは言うまでもありません。
今のようなこの世の中ができていることがどれだけ奇跡的なことか。私の生徒達も、この質問をされてそういうことを初めて考えてみた子がほとんどだったと思います。
子供達に気づいてもらいたいこと
質問した後は、目の前にあるものや、今いる部屋を見渡してもらったりします。「この部屋にあるもので何作れる?」「そもそもこんな家作れる?」タワーマンションに住んでいる子はより激しく首を横に振っていました。笑
そして「人ってすごくない?」「世の中ってすごくない?」という話になっていきます。
この質問をすると、子供は一瞬自分の無力さを感じてしまうかもしれません。そこですかさずフォローをします。
「子供の頃は能力が足りなくて当たり前。今の世の中を作ってきた人達、今いる大人だってみんな子供だったんだからね。学生のうちは大人になるまでの修行期間みたいなものだよ。」と。
そして結論。
「一人ひとりの力、一人ひとりが努力する日々の積み重ねでこんな日常が作られているんだよ。そして君もそういう社会を作る担い手になっていくはず。仕事の優劣なんて無くて、誰だって何かの形で社会の一員となる。皆必ず成長するし、自分のためだけでなく世の中のために成長するんだよ。」
そんなところで生徒に対してのこの話は終わります。「さて、その成長のためにまずは目の前のこの勉強をしよう。」という感じで通常の授業に戻ることになります。
特に受験生であれば、「受験っていうのは成長のチャンス。成長のきっかけや成長のコツをつかむことの方が、合格よりもはるかに大きな意味を持つんだぞ。この先大人になっても成長し続けることが大きな成功につながるんだからね。」といった言葉も付け加えます。
教え子達の変化
ここまでお読みいただいて、私の仕事の本質が少しわかっていただけたでしょうか。単なる「勉強の指導者」という言葉はもちろん、「モチベーター」という言葉でも収まらない領域の仕事をしてきたと思います。
この話をしたその場で明確に生徒の変化を感じるわけではありませんが、何らかの刺激を与えられたんじゃないかなと感じることは多々あります。
おそらく大人を見る目、世の中を見たときの景色、自分の将来像といったものに変化が生じたんじゃないかなとは思います。
この話に限らず、刺激となるような話は年がら年中していますが、受験が終わって指導が終了した後に本人から手紙をもらったり、お母さんづてに本人からの感謝の意を耳にする場合においても、受験の結果に関してより、このような「刺激」に対しての感謝が多かったりします。
それは私にとっても非常に嬉しいことです。そういう刺激を感じていてくれれば、その子は今後も成長し続けるはずですからね。
社会における批判的精神
最近の子供達に見られる傾向にとどまらない、世にはびこる批判的精神についても少しだけ述べておきたいと思います。
批判的精神、それ自体は社会を前進させる上で必要な考え方です。ただ、そればかりが膨れ上がってしまうのも考えものです。
多くのポジティブな要素を持った物事や人が、ほんのちょっとのネガティブな部分を切り取られて、そしてその部分ばかりがフィーチャーされ、世論によってそのポジティブが潰されてしまうとしたら、この先誰がポジティブなものを提供してくれるのでしょう。
一部そのような声に負けない強靭なメンタルを持った人が懸命に物事を前に進めようとするでしょうが、割に合わないと感じて、世の中への貢献に二の足を踏む選択をしてしまう人は山ほどいるのではないかと思います。
それこそ社会にとっての損失です。本来は有用なはずの批判的精神が、本来の役目を全うできるようなバランスを探し続ける必要があるでしょう。
理想を語ること
過剰な批判的精神に潰されることなく、一人ひとりの人間が持つ最大限の可能性が発揮されることがより良い社会への近道であることはもちろんですが、そんなことは究極の理想論でもあります。
ただ、私の仕事は子供を導くことです。子供に対してまず理想を語るのは当然のことだとも思っています。
だからこそ、私はこの業界で長年やってこれたのだとも思っています。
生徒からすれば、勉強することの意味、成長することの意味をわからせてくれる存在として、周りになかなかいない大人であると感じてくれているようです。手前味噌ですが。笑
現実の厳しさを説く大人はたくさんいますし、そうでなくても子供達は悲観的な現実をよく知っています。反面、子供達が知るべき理想的な現実を教えている大人が少ないのではないかと思います。
何かの形で子供に接している大人の方々には、自信を持って自らがもつ前向きな哲学を子供達に伝えて欲しいなと願うばかりです。
そうやって前向きなパワーをもらった子供達であれば、前向きに物事に取り組んで、より良い社会を作っていってくれるのではないでしょうか。
理想をいかに現実のものにしていけるか、さらにはそれまでの理想を超えたものを生み出していけるか。
理想がなかなか現実のものとはならずとも、理想を追い求めていくような取り組みが続いていく限りは、人も社会も前進していきます。
子供達から見た大人の姿
大人達の苦労の日々は、なかなか子供の目に届くことはありません。メディアによって子供達に届くのは、「良からぬ大人」の割合が多いように思います。
子供達から見た「良い大人」もメディアを通して目にするわけですが、子供にとっては「良い大人」は遠い存在だったりもします。「良い大人=すごいことを成し遂げた人」ということであることも多いと思います。そうなるとある種、歴史上の偉人を見るようなもので、自分の力ではたどり着けない場所にいると感じてしまう子が多いことでしょう。
そう感じてしまうのも、自己肯定感の低さが原因だと思います。「現在の自分に対する自己肯定感の低さ」というよりは、「将来の自分に対する自己肯定感の低さ」と言った方が正確かもしれません。「自己期待感」という言葉を作りたいところでしたが、近い意味で「自己効力感」という言葉があるようですね。
大人からの適切な声かけによって、子供の「自己効力感」というのは高めていけるのではないかと思います。
大人の「真の姿」を想像させる
良からぬイメージのついてしまった大人も含めて、何かに尽力している大人の多くは、私利私欲のため、名誉のため、動機は何であろうと、「今」を改善してより良い「未来」をつくろうとしていることは揺るぎない事実です。
今のこのような状況ですから、政治に携わる方や医療従事者の方の奮闘ぶりは子供達にも伝わることでしょう。しかし、そのような人達の奮闘だけでなく、あらゆる人の力で今のこの世界は作られています。そしてこのような苦しい状況の中でも何とか社会を維持できています。
同じ時代に生きている以上、大人達が費やしている時間や労力を子供達に少しでも想像させたいと思って、冒頭の質問を投げかけてきました。もちろん彼らが作っていく未来をより良いものにしてもらうためにも。
大人や社会へのリスペクトの気持ち、成長することや大人になることへの期待感。そういうものを子供達に根付かせるための話でした。
お読みいただきありがとうございました。