現代だからこそ読み解きたいファンタジー「モモ」
ある日ある天才が世界中の人間にパソコンを携帯させる事を思いついた。
いいや、「パソコン」じゃない。「電話」だ。「電話」なら老若男女知っている。
この超小型多機能パソコンは「携帯電話」として売り出せ!
そうだなネームは「スマートフォン」がいい。
2022年
驚くべき多産と膨大な広告により日本の「スマホ」の普及率は99%に到達した。
実際にそのスマホの便利さときたら驚くほどでした。電話・カメラ・ラジオ・テレビ・動画・地図ナビ・翻訳・ゲーム・コミニティーへの参加などなど・・・次から次へと便利で面白ろい機能が終わる事なく永遠にアップデートされるのです。日本はおろか地球に住むほとんどの人がそのスマートフォンを1人一台、いや人によっては1人2台持つようになったのです。
でもどうでしょうか? 便利になってあらゆる事がものすごいスピードで知ることができ、あらゆることがものすごいスピードで時短できるようになっているはずなのに、人々の時間は以前よりもなくなり、忙しくなっているのです。便利になったはずのLINEと言うコミュニティーアプリは「既読返信」と言う新たな「重要ではないが緊急」な出来事が生まれ自分の時間を削ってゆきます。
やがて「ながらスマホ」と言う言葉が生まれます。歩きながらスマホを見る。家事をしながらスマホで音楽を聴く、飲み会の席では真正面にいる友人と同じぐらいかたわらのスマホを操作していたり、食事もスマホを操作しながらです。電車などの移動時間は流れゆく街のうつろいなどは全く関心がなく、全員がスマホを操作します。
スマホは子育てにも大いに役立ちました。子供というのはとにかく手がかかります。好奇心のかたまりなのですから、危険も他人の迷惑もかえりみずにとにかく動きます。気に入らなければ大声で泣きます。でもそれはとても自然な事なのです。以前は親や周りの大人たちがつかず離れずに子供を見守り、何かあったら手を差し伸べたものです。
ですが、スマホでアニメ動画を延々と見させておけば、子供は「危険」も「迷惑」もかけずにずっとその小さな画面を覗いているのです。日頃息が切れるような忙しい毎日をおくるお母さんたちはスマホ一台で子供から解放されるのです。お母さんたちのお喋りの場でも、食事を作る時もスマホは常に母親が子供から解放される道具として大いに活躍しています。
大人たちは知らずのうちにどんどん奪われている自分の可処分時間も知らずに、どんどん便利になるスマホに時間を使うことになります。それは本来子供と向き合う貴重な時間でさえ倹約の対象となりました。
「モモ」の物語ではこれに気づいたモモと子供達が時間泥棒の「灰色の人間」に対抗しようと計画します。果たして物語はどのような結末に向かってゆくのか?
そして物語が終わった後の最後の章。作者はこの物語が実は人から聞いた話だったことを打ち明ける。そしてこんな言葉を言い残す。
「わたしは今のお話を過去におこったことのように話しましたよね。でもそれを将来おこることとしてお話ししてもよかったんですよ。」
作者エンデが語ったそれが何を暗示しているのか?現代の私たちはこのファンタジーで目が覚めるかもしれません。
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