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Money Don't Matter 2 Night -Prince-
最近、世間が「金」「金」「金」で、正直しんどいというか、原理宗教みたいで気持ちがよくはない。適切な価値なのかはなはだ疑問だ。 単純な代替手段がメインストリームにあるのは、気分的にゴースト相手に何か本気になっているようにも思う。 その熱狂(フィーバー)が沸騰するほど、エコシステムを破壊するし、目の前の課題としても、人を破壊するから。程よくしてほしいものだ。 そういえば、Princeもそうだけれど、フレディも、マイケルも、結局はショービジネスから入って、その拘束力と抗争した人物だったね。今はそういう人はいないし、そういう発想自体を思い起こす事が難しいのかな? さらにいえば、経験豊富な人ほど飼いならされやすいのが現代の象徴的な現象でもあるかな? あと、寿命を如何に長くしたいか、とか。 寿命は役割の分だけあればよいのだ。どうしてもそれ以上のものを求めるひとはその分雑多な事を頑張れば、長生きはある程度できるはずだろう。 誰かが「100年働いて、もっと稼いで税金を支払いなさい」と、言っているなら、まずは、その発言を無視するところから、自らの本来の自立が始まるのだろうね。(それは善意で言っているものか?よくよく考えればいいのだ、その判断の自由こそが民主的というのだから。) ※プリンスがメッセージ性の高い曲を作ったりするのをあまり聞いたことがないので、彼にしては珍しいタイプの曲だと思う。 "doesn't "を”don't”と、敢えて書く場合があると聞いたけれど、あまり興味がない。通じればいい。
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「感覚と意識の【バランス】の上で、われわれは生きている」
※(「あなたの体は毒に侵されています」ってのは、あまり感心しないタイトルだけど。内容とも遠い話だし・・・・まぁ、いいんだけれど。) この動画の内容にあるけれど、それが「アート」だと、養老氏は気づいたという。 そういえば、「東京の空間人類学」(ちくま学芸文庫)という陣内秀信氏の一冊でも似たような事を書いてあった。 「都市の中身を構成する新旧織り混ぜた様々な要素とが巧みに混淆し、世界にも類例のないユニークな都市空間」と、東京は評される事があるという。 ということを書いている。それはヒトから見るとそうなんだよね。 その後に、養老氏のこのムービーを見ると、人類学だから陣内氏の評価は適切なんだと気づく。 それ以前に、人類がエコシステムの一部だという事は現代のコモンセンスになったので、人類学の目指すところはその基盤の上にある事だろうね。すると、戻ってきて、次に気付くのは「生物学」や「生命論」ということになる。 ※つまり、ヒトはその壁(ブルグ的・城壁内的)の内側で何かを認知してきたけれど、それが行き詰ったのが現代。 そこで、それぞれの分野の本物の専門家である陣内氏や養老氏や、そして生物学では「動的平衡」を展開する、福岡伸一氏ということになる。いずれの専門家も研究の到達点や通過点で「同じ価値基盤」に接続しているように見えることなんだよね。 その何れも、基礎に備わっているのは一般教養課程に他ならないので、もっと乱暴に言えば、義務教育なんだろうと思う。その義務教育が良い悪いという問題は除外しておくけれど、本来、その時期にすべきことだろうと思うんですよね。 つらつら書いていたら、結局、アートも科学研究も、生物学も、基礎学問も、エコシステムも、すべて繋がっていることに気付くんだ。そこに下手な壁を作らなきゃいいのに。写真なら、新しい文化なので、なおフレッシュさを失うには早すぎないか?って事も思ったりする。 で、養老氏のここでもいいたそうなのは、「体験・経験・感覚」の割合があまりに薄いので、世間が混乱しているのでは?と、言っているように僕には聞こえてくるんだ。 写真も僕は同じところがあって、写真表現や写真作家?というのは、写真は割と付属物なんで、例えば「歩行」(感覚)が僕の優先事項だ。その過程で写真がぽとぽとと、こぼれてくるみたいな感じ。まとめるのは人間に戻って「意識優先」でやってるって、気づいてくる。 今のところ、そこらへんまではわかり始めてきた。 今回も、いわば「専門性の壁」がメインテーマになっているかもね♪ そこに「権威」が付いたら、最悪だ。(個人的な意見)