K.The3rd.K

気軽なゆるさで、お堅い本音を書くアラフィフの戯言 戯言の寄せ集めなので、まじめに反応しないほうがいいっすよー でも、無駄でもないかな???

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最近の記事

うーん、悩ましい事。IT化?デジタル庁?DX?

目的が異なるとのこと。言ってることは尤もなんだよなー。 ただね、ファックスがようやくなくなった!ってPRする社会で(つまりIT化以前の問題)DXをやろう!!!って、結構頑張ってるね。応援したい! なので、もう一度言う。 基幹系と情報系くらいは理解する大臣であってほしい。情報の統合のリスクと、分散の意義くらい誰でも理解していることを共有してほしい。オードリー・タンほどの天性のものは求めていないから、がんばれ。 んで、なんでも繋げちゃえばいいもんでもないので、 このページ

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      Money Don't Matter 2 Night -Prince-

      最近、世間が「金」「金」「金」で、正直しんどいというか、原理宗教みたいで気持ちがよくはない。適切な価値なのかはなはだ疑問だ。 単純な代替手段がメインストリームにあるのは、気分的にゴースト相手に何か本気になっているようにも思う。 その熱狂(フィーバー)が沸騰するほど、エコシステムを破壊するし、目の前の課題としても、人を破壊するから。程よくしてほしいものだ。 そういえば、Princeもそうだけれど、フレディも、マイケルも、結局はショービジネスから入って、その拘束力と抗争した人物だったね。今はそういう人はいないし、そういう発想自体を思い起こす事が難しいのかな? さらにいえば、経験豊富な人ほど飼いならされやすいのが現代の象徴的な現象でもあるかな? あと、寿命を如何に長くしたいか、とか。 寿命は役割の分だけあればよいのだ。どうしてもそれ以上のものを求めるひとはその分雑多な事を頑張れば、長生きはある程度できるはずだろう。 誰かが「100年働いて、もっと稼いで税金を支払いなさい」と、言っているなら、まずは、その発言を無視するところから、自らの本来の自立が始まるのだろうね。(それは善意で言っているものか?よくよく考えればいいのだ、その判断の自由こそが民主的というのだから。) ※プリンスがメッセージ性の高い曲を作ったりするのをあまり聞いたことがないので、彼にしては珍しいタイプの曲だと思う。 "doesn't "を”don't”と、敢えて書く場合があると聞いたけれど、あまり興味がない。通じればいい。

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        「感覚と意識の【バランス】の上で、われわれは生きている」

        ※(「あなたの体は毒に侵されています」ってのは、あまり感心しないタイトルだけど。内容とも遠い話だし・・・・まぁ、いいんだけれど。) この動画の内容にあるけれど、それが「アート」だと、養老氏は気づいたという。 そういえば、「東京の空間人類学」(ちくま学芸文庫)という陣内秀信氏の一冊でも似たような事を書いてあった。 「都市の中身を構成する新旧織り混ぜた様々な要素とが巧みに混淆し、世界にも類例のないユニークな都市空間」と、東京は評される事があるという。 ということを書いている。それはヒトから見るとそうなんだよね。 その後に、養老氏のこのムービーを見ると、人類学だから陣内氏の評価は適切なんだと気づく。 それ以前に、人類がエコシステムの一部だという事は現代のコモンセンスになったので、人類学の目指すところはその基盤の上にある事だろうね。すると、戻ってきて、次に気付くのは「生物学」や「生命論」ということになる。 ※つまり、ヒトはその壁(ブルグ的・城壁内的)の内側で何かを認知してきたけれど、それが行き詰ったのが現代。 そこで、それぞれの分野の本物の専門家である陣内氏や養老氏や、そして生物学では「動的平衡」を展開する、福岡伸一氏ということになる。いずれの専門家も研究の到達点や通過点で「同じ価値基盤」に接続しているように見えることなんだよね。 その何れも、基礎に備わっているのは一般教養課程に他ならないので、もっと乱暴に言えば、義務教育なんだろうと思う。その義務教育が良い悪いという問題は除外しておくけれど、本来、その時期にすべきことだろうと思うんですよね。 つらつら書いていたら、結局、アートも科学研究も、生物学も、基礎学問も、エコシステムも、すべて繋がっていることに気付くんだ。そこに下手な壁を作らなきゃいいのに。写真なら、新しい文化なので、なおフレッシュさを失うには早すぎないか?って事も思ったりする。 で、養老氏のここでもいいたそうなのは、「体験・経験・感覚」の割合があまりに薄いので、世間が混乱しているのでは?と、言っているように僕には聞こえてくるんだ。 写真も僕は同じところがあって、写真表現や写真作家?というのは、写真は割と付属物なんで、例えば「歩行」(感覚)が僕の優先事項だ。その過程で写真がぽとぽとと、こぼれてくるみたいな感じ。まとめるのは人間に戻って「意識優先」でやってるって、気づいてくる。 今のところ、そこらへんまではわかり始めてきた。 今回も、いわば「専門性の壁」がメインテーマになっているかもね♪ そこに「権威」が付いたら、最悪だ。(個人的な意見)

        • 良く分からない事だけど、ありがとう♪

          今日は、某撮影のビジネスで一日の大半を使った。 それはそれで、良い収穫もあった。 別の話なんだけれど、本当に良く分からないけれど、このnoteのフォロワーさんが、急に今日だけで20~30人くら増えたので驚いている。 フォローしてくださった方々に感謝している。ありがとう。 あと、こういうのは誰かが紹介してくれたはずなので、その匿名の誰かにも、ありがとう。とお伝えしたい。 皆さんのところには、ゆっくりになってしまいますが、伺いたいと思います。楽しみにしています。 そのくら

          たまには、カメラとかの話もしたい。即興で楽しむ感じで。名取・東松論争からカメラの楽しさまで。

          名取・東松論争 これについては、シンプルに名言しておく。 名取洋之助について、私には評価の埒外である。名取と比べるなら土門拳が同時代では好きだといったら意味が通じるはずだ。要は写真と社会のつながりを重視しているという事なんだけれどね。 さて、たまにはカメラの話でもしたい。 手元にある、「キャノン 2d」(いわば、バルナックライカタイプのレンジファインダーカメラ)だ。北井一夫氏も初期に使っていたという情報は入手している。(国際的な写真家のnoteで学ぶ事が多い) で、手

          たまには、カメラとかの話もしたい。即興で楽しむ感じで。名取・東松論争からカメラの楽しさまで。

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          気分はバルナック式 ※Canon 2d+Color-Skopar 21mm f4

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          分からないことでもない記事 -価値観の混乱について-

          アメリカ人だったら、多分、同じような気分になりそう。 日本は、次にその波がやってくると思われるので、何かしらの心の準備がいるのかも???いやだなぁ。いや、心の準備じゃなくって実際の準備がいるのかもね。ちょっと大国とかそれを自負するところはセレクト外だなぁ。 ニュージーランドとか、オランダとか、ポルトガルとか、うーん、ぱっと思いつくばかりでは、今回ばかりはよく考えなければ。一時的な離脱で済みそうなのか?それとも、移住なのか?ってのも、別の考え方で平行して進めよう♪ まぁ、そ

          分からないことでもない記事 -価値観の混乱について-

          日常の都市景観

          ほんとうに都市ってやつは厄介なもんだ。 都市景観といっても、おそらく、こんな感じの言い回しが写真に見えてくるように感じてた。 写真は、日常を切り出しても「その意図のすべて以外の事柄」を写しこんでいるのが面白いところだろうと思う。 写真でなければ肉眼で歩くスピードで認識できる「違和感や何かの雰囲気の正体」を確認することは難しい。静止画の大きな特徴のひとつは、そういうものだろうと確認できるのだ。 都市というところは、必要に迫られて集まった色々な背景を持ったひとびとが残したさま

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          いつの間に?帝京大学って良く変わったね、1996年卒業生から見た「充実度」

          このサイトにちょくちょくたどり着くのだけれど、意図していたわけじゃない。が、よく見ると毎回帝京大学の「自分流」というキーワードらしき打ち出しと、バナーが見える。しかも遭遇率が高いので「???」って思ってたわけだ。 まぁ、一旦話を整理するために今日一日の振り返りでもしながら、時間を行き来してみたい。 今日は、うちの地域では地方選挙の投票日だった。 今回は、二択だった。 「もう選挙なんていかないなんて、言わないよ絶対」(槇原敬之さん、ごめんなさい、オマージュしました。)とい

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          ルパン三世のテーマ、懐かしい

          再放送か、リアルタイムか覚えてないけれど(だって、その頃はこどもでしょー)こどもでも、見れるいいセンスのがあったんだなぁって、思い出した♪

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          人権について、根本的な改善のためのアイデアとして(素案)デフリンピックの記事を見て。

          オリンピック・パラリンピック、デフリンピック、何れの取り組みもプロセスが逆である。1.これらの競技大会に一貫していえるのは、前提として障害を持つひとと健常者という境界線が強く意識される 2.競技種目の選定においても、本来はその壁をできる限り薄くしておくべきものである。 3.したがって、参加するメンバーに健常者・障害をもったヒトの別なく、全く意識せずに同等の結果がもたらされる競技を大会の種目として選定する思考が必要だ。 4.仮にそのような種目が少ないのであれば、そういった

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          写真作品の展示展開や表現の変化について

          さて、これも即興で纏めた写真達だけれど、ある程度の説明も要るのではないかとも思い、書いてみた。 https://note.com/ken_k_the3rd/n/ndf7ad8650f0f 今回のセレクトの参考資料はこちら。 https://www.designstoriesinc.com/panorama/sylvain_cardonnel/ 写真だけでは、どうにもならないので新たな展開を模索中。 参考資料を読んで即座にセレクトをした。解釈を広げるために。 「日本的」

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          「自然の法則と調和する都市」

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          「妖怪の孫」というのは、ここにいる限り誰でもなり得る -倣うなら良きものを-

          「妖怪の孫」 安倍晋三のコンプレックスの解消方法は、実祖父の誠実さや義憤にみられるような良質な資質に希望を見出さす思慮深さを持たず、安倍家の実父や実祖父に遠く実力が及ばない自らの欠損を安易に外戚の祖父、つまりWW2の戦犯である「キャッチ―な妖怪、岸信介」のネームバリューに頼り、安直な現代版の模倣に寄ったところにある。 そもそも大学をでていながら、そのレベルの一般教養も持ち合わせるつもりもなかった人物が、まるで鍵十字の独裁者に似たような「私的なコンプレックスの解消方法」を、

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          「未来の地球が果てしなく遠い」記事の楽しみ方を考えてみた

          最初にこの記事を読んで、浮かんだ言葉は「この記事は人類以外の誰かへの読み物ですか?」といった感じの感覚だった。 義務教育レベルでも、天体については少々学びますよね。 星座で言えば「冬の大三角形」とか、「オリオン座の一等星」などなど。僕の時代は教科書の進行と季節が「冬」だったので、そうだった。 今は知らないけれど。そもそも冬の方が大気にもやがかかったりしない、空気が澄んでいるケースが多いのでそうなのかもしれないね。 宇宙の話をするときに、天体観測を扱うのはいいんだけれど、

          「未来の地球が果てしなく遠い」記事の楽しみ方を考えてみた

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          堀込泰行さん(キリンジ)、こっちが好み♪

          こっちの方が届いてくる。 ギターの使い方も変わった。声と歌詞がちゃんと届く。 アカペラに近いほど、この方の声にはたまらん魅力があるね。ポエティックなことで。声がいいひとが素敵だなぁ。

          堀込泰行さん(キリンジ)、こっちが好み♪

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