「妖怪の孫」というのは、ここにいる限り誰でもなり得る -倣うなら良きものを-
「妖怪の孫」
安倍晋三のコンプレックスの解消方法は、実祖父の誠実さや義憤にみられるような良質な資質に希望を見出さす思慮深さを持たず、安倍家の実父や実祖父に遠く実力が及ばない自らの欠損を安易に外戚の祖父、つまりWW2の戦犯である「キャッチ―な妖怪、岸信介」のネームバリューに頼り、安直な現代版の模倣に寄ったところにある。
そもそも大学をでていながら、そのレベルの一般教養も持ち合わせるつもりもなかった人物が、まるで鍵十字の独裁者に似たような「私的なコンプレックスの解消方法」を、公共の事案として場違いな場所で実行したのが、致命傷だったのだろう。
タイムワープしたかのような話だが、歴史は、誰が権力者であろうと「固有名詞」が意味をなすのではなく、「固有名詞」は「時代の背景と弱点を突いて立ち現れる」のであって、その三本の矢は一本もあたらなかったに等しいが、「元の一本の太い折れない矢」はその地域性でいえば「毛利家」のそのもののだ。小豪族だった姿「初代」にそれは宿る。毛利元就というのは、ただの小豪族に過ぎなかった。ただ誰もが知る「地図」を形成した。
しかし三代目になって、ぽきりぽきりと折れていくのが小早川・吉川・毛利の三家に分かれた事をくりかえしたかのような空虚な「晋三」の「三」である。
さて、飛躍しすぎた。本質的なことに触れたい。
それは、関ケ原から400年を旅しても「人類が何も変わらない事」を示唆している。
また、世界共通の「人類(ヒト)」の持つ「プロトコル」でもある。
しかし、それから250年後の幕末でも、薩長という怪物と妖怪は、純粋な土佐や肥前ともことなり、また、1000年以上前に北関東あたりまで元来の住まいとしていた、蝦夷と云われる、現代の「アイヌ民族」の基となる系譜を侵略しつくし(坂上田村麻呂)、鎌倉時代に、坂東武者の土地と云われた関東の平野に「一度」、さらに明治維新で関東に政府を構築しても変わる事はない。
隠然たる権威と権力で「陰鬱な水面下の謀略を好む」陰湿さを列島にまん延させ、社会を閉鎖的に頽廃させ続けた権力者の権益保持のための憂鬱さの押し付け的な態度は、それ自体が罪深さでもある。
現代の新自由主義では、経団連は、ひたすら「イノベーションなしに、貨幣経済の利益と権力を維持しようと」政権とバーターのディールを行い続け、民衆という存在を集票マシンとすることに専念したように見える。
その方棒を担いだのは「SNS」であるし、自らの義務を放棄したのは、主にメディアだった。新たなる戦前だろう。経団連の振る舞いは狡猾に極み、権力者を見極めるのに本能的でさえあるようだ。
ようやく、近年その亡霊の陰?(亡霊に影かあるのか?笑)が薄れたと思っていたが、現在、残念なことにその亡霊を影でもう一度担ぎ上げているのは、連立政権のパートナーだ。
本来、鎌倉時代の日蓮の「立正安国論」で「国家諌暁を正面から実行した仏教」の最東端まで到達し、深化した派閥団体である。
国家諌暁どころか、国家滅亡の方棒を担いで20年ちかい。
支持母体の社会階層は、共産党とほぼ同じである。
それらが、対立している事自体が、そもそも権力に分断されている実相である。政治的に支持しかねる。こと、代表が変わったばかりだが、女性の竹谷氏はどうしたのだろう?浜四津氏は非常に残念だったが、その資格に十分だったのでは?
与党になって以来、最早「知性」と呼ぶべき行動は薄れていき、権力のシモベになっていった。そういう意味でも私も母方の「三世」であったのは事実であったので、私もまぎれもない「妖怪の孫」とも云える。
生まれて、3か月後に自らの意思と関係なしにその組織にいたのだから。自らその因習的態度を断ち切る必要があったのは自然な判断だ。仏法自体を否定しない以上、それと相反する組織に属することも支援することにもまったく理由がない。
さて、少し角度を変える。
人類の習性は変わらない。ただ、私のような縄文人的な性質の人間にこの島は住みにくいのだ。そもそも移動すらしにくいし、すべてが狭い。
「三」というのは、古来日本では良い数字だというが、私にとっての「三」は、祖父からの名を引き継ぐ「三」代目としての「三」であり、祖父は故郷を捨てて坂東に出てきた長子だった。私もそこから「三」世代目の長子だ。
故郷から距離を取り、祖父の良き態度であった、次の土地への移住を求めてもまったくおかしい事ではない。
名前だけの「国」という概念にとらわれては、自由も平等も博愛もあったものではない。(「美」「利」「善」であっても同様だ、それは価値を侵食するものに対する抵抗を日蓮のように行った価値教育体系の骨髄なのだから)
そして、より条件の良い地へ移動するのが本来の私のありようでもある。そして、それは生物としての「ヒト」の本来の姿であろうといえないか。
そもそも「国」というフレームワークについて、国を守るのであれば、なぜ国という仕組み自体を守るのか?明確にしなければならない。
私的に言えば「国」というのはその地域に所在しているひとびとが如何にその存在を尊重され、人間的な扱いを平等に受ける事ができ、文化的で最低限の生活が営めるか?という「ヒトというより人間としての知性と人間の存在の意義と可能性に最良の意義を与えるもの」だろうと考えている。
したがって「国」というものが存在する理由は「我々を知的文化的に守るもの」であり、「民が国という概念を守る理由は宗教的理由以外に存在しない」ということだろう。であるなら宗教性という普遍性の高い価値判断においても、原始的・原理主義的なものから、普遍性と現代性の価値の広さのうち、何をよすがにしているか?という判断を排除できないはずだ。
さて、晋三のように、祖父に倣うならば本来「より良き」要素を引き継ぐべきなのだ。その逆はたやすく、安易で、不誠実なケースが多い。世襲議員を見れば一目瞭然だ。近畿大学の創立者の子息のやり口、和歌山での選挙はいわば「支配地域での野蛮な印象操作」ですらあろう。
ヒトという種は、流動的であらねば「あっという間」に、よどみを発症する。それは権益を持つ者にとっての甘い罠だろうし、民の意図を分散させる事で簡単に実現する悪意ある政府の民衆操作であることは歴史を振り返れば例示に枚挙はない。
「安定」という偽善的な旗印が如何に「安定=権益の民衆支配の構造的強化制度の「安定」」であったか、思い知ったはずだ。
そして、「支配層の入れ替えだった明治維新」を模した「維新」という団体に付け入るスキを与えている。ちゃんと把握し、確認しなければならない。
「維新」という用語は「クーデター」とほぼ同義であり民衆一般に何も利益をもたらさない。
単純な、看板の付け替えが現象として顕れただけだ。
であるから内実も単純で何も見るべきものがあまりない。勢力の命名規則についても、文字通りだ。そして明確にしておきたい。
明治維新で有益な働きをした幕末からの人物は、はかったかのようにすべて明治初期にはいなくなった。
つまり維新には国家観などはほぼ存在しない。人材などもとよりいない。単純な現象であるし、計画された狡猾さを持っている。
これも、ある種の「妖怪」だ。妖怪は日本の風土史に有用な価値があるが、使い方でこうも逆転する運用になるのも、不思議なことでもある。
「妖怪の孫」
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冒頭にもどろう。
コンプレックスを解消するなら、その背景が大きいほど、安易な道筋とは決別しなければ、世間のいう「親の七光り」であろうし、それは偽物のブランド志向をあおるものでもある。ブランドは「内実と印象が一致している」限り有効であるが、それが失われているのにも関わらず、それに経済的価値や政治的な旗印として「担ぎ上げられやすい」ものも含んだ用語でもあろう。
つまるところ、政治の最大の弱点は「ブランド志向」であるし、そこに評価すべき「実体」が失われていることに「無頓着」な我々市民の、マゾ的性癖の重層的な悪循環がもたらす「ヒト」という種の悪癖を見つめなければならないだろう。
それなしに無意識に権力に加担したときに最悪のケースが歴史的に立ち現れる「腐敗」ということだろう。■
#安倍晋三
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