いつの間に?帝京大学って良く変わったね、1996年卒業生から見た「充実度」
このサイトにちょくちょくたどり着くのだけれど、意図していたわけじゃない。が、よく見ると毎回帝京大学の「自分流」というキーワードらしき打ち出しと、バナーが見える。しかも遭遇率が高いので「???」って思ってたわけだ。
まぁ、一旦話を整理するために今日一日の振り返りでもしながら、時間を行き来してみたい。
今日は、うちの地域では地方選挙の投票日だった。
今回は、二択だった。
「もう選挙なんていかないなんて、言わないよ絶対」(槇原敬之さん、ごめんなさい、オマージュしました。)というより、もっと強烈に思ってた。
行くもんか!30年行ってなんも変わらなかったじゃんか!って、この一年ほどは勝手に葛藤していたのだ。ある意味、怒り心頭だった。隠しがたいほど態度にも表れていたはずだ。
そうはいっても、政治が生活と結びついていることは、大学生時代から理解していたので(つもりかもしれないが・・・)、自ら投票を放棄した記憶はない。特に、この一年はいやいやでも、行っていた感じだ。この30年の間に投票先の考え方も変わった。それは別の機会にでも。
ただ、先の国政選挙の結果が、少々その気持ちの整理を促したかもしれない。さらにアメリカ大統領選は、確信めいたものを感じた。※アメリカ大統領選挙は特に、理解不能な結果に見えたので、その構造を確認するという作業を促している。
さて、そんなわけで、これ以上時代が反動に巻き込まれていくのを何とか食い止める一助になればいいなと思ったりして、一票を投じてきたのだ。結果は知らないけれどね。※反動というのは歴史用語で、進歩の反対。時間軸でいう単位的な後退かな?民主的だったら、政治体質が封建的にもどる。みたいな事。
そんな一市民の一票で何がかわるか?
なんて事は考えるだけ、野暮だ。やる事をやればいい。他人が何か言っても、その信念みたいことに紐づいた行動について、ほかのヒトからある種の押し付けがましいものは、参考程度で話半分に聞いておけばいい。ただ、あれ、これ使えるじゃん。というような身体で読める、共感できることには耳を傾ければいいのだ。
それが積みあがって、選挙結果がでてくる。(それを平然と無視する制度的欠陥が現在の選挙制度にはあるが、そこも、今は割愛。要は死票が多すぎる制度だってこと)
さて、そんな感じで投票所に行って、約5分程度?そんなにかからないで、投票を終えた。
最初に投票に行ったのは、学生時代(20歳)だから、実はこのサイトの運営大学が母校である僕にとって、このサイトと出会ったのがちょうど、「もう選挙なんていかないなんて、言わないよ絶対」と、完璧に決め込んだ時期だったのだ。「迷える子羊」ではない、「迷えるおじさん」だ。
(夏目漱石さんすみません。ストレイシープのくだりの「いくじなし」という呟きが聞こえてきそうです。三部作の一冊(三四郎だっけ?)を中学生の時に読んで、そのくだりだけが覚えている光景なんです、笑)
とにもかくにも、「迷える子羊」であったのは学生時代は間違いないので、ちょっと、こっぱずかしくもなったのだ。そういうところは学生時代から変わってないな。。。。ってね。ここまで書いたような事もほぼ本質的に変わってない。
大学に入って、最初に驚いたのは、誰も勉強なんぞしていなかった衝撃の光景だった。いや、本当は違うのだけれどね。時代もモラトリアムだったし、まるで、ドン・キホーテみたいに、時代遅れの人の感じだった。と思う。多分。だって、卒論をまとめるために入学したんだ!とか頭の中で息巻いていたからね。
割とそういう人もいたみたいだけれど、よく4年も通ったと思う。さっさと大学を辞めて、やりたい事に集中してもよかったのだ。けれど、そんな思考回路すらなかった。(だって迷える子羊だから、笑)
本格的に、大学の価値がわかり始めたのは、3・4年次だったかも。ゼミってやつが、稼働し始めたころかな。
「あ、これ、やりたい事だったかも」
つまり、あきれたり、バイトに邁進したりして、大学という存在のプライオリティを下げる作業をどんどんしていった時期なのだ。その文脈で、ようやくかい、ずいぶんと「実学」を売りにしていた大学だったけれど、色々な意味で「実学」の時間をくれたなー。と、思ったりしていたのだ。
だったら、もったいない使い方しないぞ。みたいな。
まるで、この数年の投票の動機と似ているじゃないか!
こんな時代に投票しても(ぶつぶつ・・)といいながら、仕方なく我慢して投票しては、結果をみて「なんじゃこりゃ?」と、ずーっと思っていた。
多分、団塊2世には割といるかもしれない。現在の50歳前後かな?
ただ、違うポイントは、「投票した」と「卒論書いた・まとめた」がイコールではないってことかもね。どう違うのかはちょっと書くのはやめておこうと思う。
なんでって、結果がなんであれ、政治に対する基本的な態度は変わりそうもないから。つまり、投票したら放置プレイにはさせないってこと。放置プレイさせたから、悪事をすぐしたがる。笑
まあ、みなまで書くとうるさい感じになるんで、それはここまで。
で、冒頭の「いつの間に?」ってのは率直な気持ちで、「実学」って、行ってたのは覚えてる、それが「自分流」ってちょっと温度が変わった。いいじゃん。もともと個人主義的な発想の人間だと自分の事を理解しているので、素敵だなぁ、今の学生さん、うらやましいな。って思った。
せっかく、こんな「総合博物館」なんてできているなら、久々に行ってみようかな?なんて気分にもなるのだ。そんなハイカラなもんはなかったからね。(卒業してから母校に行ったのは今迄で一度だけ。写真専門学校に約10年前に入るときに卒業証明書と成績証明書だっけ?のコピーをもらいに行った時だけ)
んで、感じいいので、はりつけておく。辻仁成さんとコラボしているようだ。
※冒頭の写真は、noteの仕様に沿ってお借りしている。ありがとうございます。僕のころと建物も全然違うね♪