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たまには、カメラとかの話もしたい。即興で楽しむ感じで。名取・東松論争からカメラの楽しさまで。

名取・東松論争

これについては、シンプルに名言しておく。
名取洋之助について、私には評価の埒外である。名取と比べるなら土門拳が同時代では好きだといったら意味が通じるはずだ。要は写真と社会のつながりを重視しているという事なんだけれどね。

さて、たまにはカメラの話でもしたい。

手元にある、「キャノン 2d」(いわば、バルナックライカタイプのレンジファインダーカメラ)だ。北井一夫氏も初期に使っていたという情報は入手している。(国際的な写真家のnoteで学ぶ事が多い)


で、手元のCanon 2dがたまたまあったので、レンズを交換して使っている。そんなに写真を自由に撮れる時代じゃないのが残念だけれど。あらゆる意味で。

僕はあまりフィルムの管理などが得意ではない、ずぼら人類である。
だから、このバルナック式を使うのはとても楽しいのだけれど、さらに楽しいと言っては語弊があるけれど、36枚のフィルムを使い切った後、そのままパトローネからベロだしをして、無意識に再利用してしまう悪癖があった。それがこのような冒頭の写真を結構な枚数生み出した。だめだけど、面白い。

カメラって、造形的な面白さがあって、見ているだけでもシミジミと感じ入る雰囲気がある。
実際に、関東カメラあたりに行けば、直せる個体も多い。(緑色の基盤を使わないプリミティブな個体に限る)

基礎的な要件さえ、体得していれば、割と適正に近い写真はすぐに撮れるし、フィルムの装填も楽しいインターバルになる。ちょっと一区切り、という感じ。デジカメだと、そうは行かない。

特に、ある程度のデジカメとの付き合い方ができてこないと、いつまでもひたすらシャッターボタンを押し続けるという無間地獄に喜んで陥る羽目になる。なんの修行かとも思う。

それに対して、バルナックみたいなちょっと一区切りのペースがつかみやすいカメラは、撮影のペースを自らの本然的なペースにより戻してくれる。うれしいのだ。

しかも、中古ばかりだが、基本的になぜかそこまで高価ではないものがほとんどだ。
バルナック式のソ連版でもある、FED2あたりになると、シャッター音が盛大になるので、おー、今確かにフィルムに露光しただろう!という喜びはひとしおである。しかもFED2あたりは、ソ連製のインダスターあたりで撮影すると、そのシャープさは驚愕のものがある。

そんなことも、たまには思い起こしていると、写真を撮るってのが、すばらしく広い価値から自分に合うものを見つけて、楽しめる事に改めて気付いたりする。

写真行為ってのは、純粋に楽しく、良いアドレナリンがでるし、リズム感なんだよね。
最後に、ひとつ思っていることは「楽しい事とリズム感」で、街を歩くと最高に楽しい。

では、また。

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