9/2〜9/11(10日間)インド@コルカタ・バラナシ
まずコルカタで3泊、それからバラナシに移動して6泊した。東南アジア周遊での反省を踏まえて、滞在する地域を2ヶ所に絞った。
偶然
インドでの10日間は3つの偶然に本当に助けられた。おかげで何とかそれなりに楽しむことができた。
日本人大学生と出会えたこと
今回のnoteのサムネイルにしているインド人と出会えたこと
お腹の調子が全く崩れなかったこと
逆にこの3つの偶然が起きていなかったら、ただただ辛いだけの10日間になっていたと思う。
1.日本人大学生と出会えたこと
コルカタで2人の日本人大学生と出会うことができた。
1人はコルカタ空港の外のベンチで。深夜3時くらいだったかな。
コルカタに到着したのは9月2日に日付が変わる頃。それを承知の上で航空券を買った。当初は明るくなるまで空港内のベンチで待とうと思っていたのだけれど、外に出てしまった。バンドンを出た日から、まる2日ほど横になって寝られていなかったからか、かなり疲れていた。空港内で横になれるベンチを見つけられなくて、でもどうしても寝たくて、ホステルに向かおうと判断をして、外に出た。一度外に出てしまうともう中には戻れないことは、もちろんわかっていた。
使えると思っていた配車アプリが全く使えなかった。誤算だった。沢山の野良犬とぼったくりタクシー運転手を横目に、ベンチに座って明るくなるのを待つことにした。暑かったし、怖くて寝られるわけないし、しんどかった。
そこで明るくなるのを待っている間、偶然、同じ便でコルカタに来ていた1人の日本人大学生と出会うことができた。2人で明るくなるのを待って、15分くらい歩いて通りに出て、彼の持っていた現金でバスに乗って、何とかホステルにたどり着くことができた。
空港にATMや両替所が無かったのも誤算だった。入国審査の手前に両替所があったけれど、気にもとめなかった。これまでの旅で、入国審査→リュックを取る→ATM、の流れが確立されていたから入国審査の前に両替所があっても、利用しようなんて1ミリも思わなかった。
もしも彼に出会っていなかったらと思うと、ぞっとする。
コルカタで泊まったホステルでも、偶然、もう1人の日本人大学生と出会った。
コルカタでの4日間、ホステルに戻った時に、色々と情報交換できたり、思っていることを吐き出せたりしたのが、精神的にとても救われた。
コルカタの街の汚さ、臭さ、うるささはこれまでに訪れた東南アジアの地域のどこよりも酷かった。人のしつこさや、がめつさも、街の環境同様にこれまで以上に強く感じたし、かなり振り回されたと思う。”劣悪”と感じる環境で、英語が話せない自分にとって、日本語で想いを共有できる時間はとても貴重だった。
カンボジアでも日本人の大学生に出会った。これまでに出会った大学生たち全員、なんというか生命力みたいなのが本当に凄い。考えもしっかりしてて心から尊敬する。彼らからたくさんの勇気と知識を分けてもらった。
2.今回のnoteのサムネイルにしているインド人と出会えたこと
彼とはバラナシで泊まったホステルで、偶然、出会った。アメリカの企業のシステムエンジニアで、今はインド各地をぷらぷらしながらリモートで仕事してるって言ってた。俺がホステルに着いた時も、彼はベッドの上でパソコンを開いて仕事をしていた。
とても優しいお兄さんのような人で、配車アプリを使えるようにしてくれたり、仕事が無い日に一緒に観光してくれたり。
毎晩、テラスで一緒に過ごした。神を信じてるか、他にもスピリチュアルな話に興味があるか聞かれた。そこでの会話が、それまでのインドの捉え方を少し変えてくれた。彼の話の2割も理解できていたかどうかわからないのだけれど。笑
3.お腹の調子が全く崩れなかったこと
バラナシはコルカタで感じた劣悪さを雄に上回る環境だった。間違いなく不衛生な場所にいたのにも関わらず、偶然、一度もお腹の調子が崩れることがなかった。
セブで俺がお腹を壊していたことを知っていたドイツ人から、調子を聞かれて気づいた。そういえばお腹の調子良いなって。
ただ残念なことに、どうやら、インドの食に適応できたわけじゃないみたい。イスタンブールで、これまでの人生で経験したことのない辛い症状が続いた。お腹がゆるいとかいう次元を通り越して、上からも下からもこんなに出ちゃって大丈夫?体内に水分残ってる?って不安になるくらい。汚くてごめん。ネットで調べてみたら食中毒の症状だった。潜伏期間を考えるとバラナシで食べた何かが原因だと思う。かなり痩せた気がする。食欲もあまり無い。トルコアイスなんて1ミリも食べたいと思わなかったし。イスタンブール全然満喫できてなかったなぁ。。
まだ良かったのは、インドで発症しなかったこと。この症状をインド滞在中に経験していたら不安で堪らなかったと思う。衛生的にはそれなりに安心できる場所にいるから、まだ何とか冷静でいられる。めちゃめちゃ辛いけど。
4.おまけ
コルカタのホステルで出会ったロシア人と、偶然、デリーの空港で出会った。コルカタを離れてから丁度一週間後の午前3時。
瞑想
インドの見え方が少し変わった話について。
バラナシのホステルで出会ったインド人の彼は先述した様にSE。理系の自分にとって神の存在は科学的に考えてあり得ないと思っていたっていうのが彼の意見だった。
会話を通して、今も神そのものを信じ崇めている感じでは無さそうだった。ただ、昔と違って今の彼は人間の内に秘められた"力"を信じている様で、特に瞑想について色々と教えてくれた。
彼の話だと、瞑想してる状態は如何なる状況でも作り出せるってニュアンスだったと思う。そしてその瞑想してる状態だと、最適な選択ができるから人生がより良くなる。みたいな感じ。俺英語よくわからないから、もしかしたら違うかもしれないんだけど。笑
話を聞いていると、彼の言う“瞑想してる状態”の究極は"ゾーンに入った時"に近い感覚に聞こえた。意図的にゾーンに入れたら、そりゃ確かに人生の充実度は一気に増すなって思った。
大学4年の時、コロナで暇すぎて自己啓発本を読み漁ってた時期があって、その時に瞑想の重要性はそれなりには感じていた。実際、毎朝10分やるようにしていた。就職して、いつの間にか時間を割かなくなったけど。
仕事もやらなくなった原因の1つ。だけど俺にとって、朝起きてから10分間も目を瞑って心を空っぽにしたら、眠くなるだけ。それって二度寝じゃん。逆に二度寝しないように意識したら、全然心空っぽじゃないじゃん。ってなって、瞑想と二度寝がごちゃごちゃになったのが、大きな原因だったと今は思う。
彼の話では、自分の内側に集中する事が大切で、初めは難しくても続けていけば、ゆっくりと日に日に無意識のうちにできるようになるらしい。そしてその自分の内側に集中する為のヒントが、宗教から多く学べるって感じの話だったと思う。
そういえば、お墓参りしてる時とか今思えばびっくりするくらい穏やかな心でいられる。
覚えきれないくらいの(もう幾つか忘れてる気がするんだけど)たくさんのことを教えてもらった最後に、何か1つのモデルを信じるんじゃなくて、色んな角度から学びながらお前自身の道を見つけるんだ、的なことを言われた。それが嬉しかった。
何事においても、これが絶対に正しい。これを信じろ。これに向かって突き進め。って言われることや思うことが苦手。色んな情報を取り入れながら、想いや考えを更新していきたい。そんな風に思っていたから、自分の主張が強くなりがちな話題なのに、最後にちゃんとお互いの権利を分けてくれた感じが凄く嬉しかったし、こんな大人になりたいと心から思った。
彼は何故かウクレレを持ってきていて、毎晩弾いていたんだけど、それも彼にとっては瞑想だって言ってた。特にペーパーハウスの歌をよく弾いてた。めちゃめちゃカッコいいなって思った。帰ったらウクレレ買おって決めた。
彼に勧められた本があって即読んだ。
原作名は“Who will cry when you die?”。日本語版は日本人ウケ狙いすぎな気がする。
まあなんというか、よくある自己啓発本のうちの一つ。有名人の名言を羅列してるだけ。ベストセラーらしいけど、あまりお勧めはしない。ただKindleなら500円くらいで読めるよ。
本自体は大したことなかったけど、この本を読んで、一応社会人だった1年3か月間、心と時間の管理が全くできていなかったことを再確認させられた。仕事を辞めて直ぐに、海外来て自由にぷらぷらする毎日を送る中で、正直、1年3か月間の全てを忘れていた。笑
今のまま仕事に戻ったら、きっとまた時間と心を管理しきれないまま、信じられないようなペースで毎日を消化していくことになる。
ただ海外で自由に過ごしただけの100日間にするんじゃなくて、今後の仕事や生活をこれまでに比べて、少しでもより良いものにするための準備期間にしなきゃ勿体無いって思った。
コルカタに来て、経験したことのない喧騒の中で、かなり振り回されていた感じがあった。バラナシではそれ以上に。目の前で起きる事に、嫌な気持ちになることや、少しイライラすることが少なくなかった。
上手く言葉にできないのだけど、彼と話してから、自分の内側に集中することを意識してみたり、ヒンドゥー教のお寺やバラナシの文化から何かヒントが無いか探ってみたり。意図的にゾーンに入るみたいな超人的な能力はとりあえず置いておいて、外的要因に左右されない自分を作ることならできる気がした。実際、バラナシ滞在の最後の方はちょっぴり穏やかな気持ちを作れる様になった気がした。
バラナシに少し慣れただけかもしれないし、あと数日でイスタンブールに逃げれるという事実が楽にさせてくれただけかもしれないのだけど。笑
彼と会って直ぐに、バラナシ空港からホステルまでのタクシー運転手とその取り巻きが酷くて、大変だった話をした。インドにうんざりしてたのがかなり表情に出ていたと思う。彼との出会いで、インドの見え方が変わったのだけれど、今思えばもしかしたら彼はインドの楽しみ方を暗に教えてくれたのかもしれない。
英字の本だから読むのめちゃめちゃ大変。笑
これが読み終わったらまた新しい本を薦めてくれることになってる。
反省
反省というか、後悔というか、本当に申し訳ないことをしたなあって思っていることが一つある。バラナシ・ヒンドゥー教・大学(BHU)にある寺に行った時の話。
寺の中でいきなり、息子と写真を撮ってくれって頼まれた。
これを皮切りに、俺の周りにめちゃめちゃインド人が群がってきて写真撮影会が始まった。最初は人気者になれたみたいで嬉しかったけれど、途中からこいつらしつこい!!ってなった。街中で写真撮るのを嫌がる芸能人に共感できた瞬間だった。
この写真に写っている彼らに撮影してくれた子を併せた3人が、俺に食べさせたい物があるからついて来いって。初めは断ったんだけど、どうしても引かなくて、最終的にこっちが折れた。この時食べたのがインスタのストーリーに食べてる動画を載せた🤢のやつ。
味はまずい歯磨き粉みたいな感じ。ひと口で食べろって言われたから、口の中いっぱいになって辛かった。
リュックを背負っている子は今日バラナシに来てたぶんこれから1か月くらい滞在するんだと。もう2人は英語喋れない現地の子達。リュックの子は来年入試をうけるとか言っていたけど、本当かよって。3人ともBHUとは全く関係なくて、ヤバい奴らに捕まったと思った。
🤢までの道中でチャイを奢られたり、あれ食べてみろこれ食べてみろって、色んな物を薦められた。体をベタベタ触ってくるし、これまでの経験上、馴れ馴れしくしておいて絶対最後にぼったくられるやつだって思い込んでいたのだけど、最後の最後までただただ俺をもてなしたかっただけだったみたい。リュックの彼が自身について言っていたことは全て本当だった。
自分の良くない思い込みの所為で過剰に警戒してしまって、親切心に欠けた対応をしてしまった。最後に謝ったら、逆の立場だったら僕も同じように思うよって言われたけど、申し訳なかったなってかなり反省した。もっと心を開けば良かったって後悔した。
海外に来ると、知らない人にはついて行かないっていう小学生が教わるようなことを忘れがち。海外に来て現地の人に優しくされるととても嬉しいのだけど、そういう交流が醍醐味だと信じすぎると、落とし穴が待っていたりする。特に、バラナシで泊まったホステルのスタッフからは誰にもついて行くなって再三注意されていたから、余計に警戒していた。この辺りの線引きがとても難しかった。
追加 9/12〜9/15(4日間)トルコ@イスタンブール
前述したように、食中毒であまり楽しめなかった。ルームメイトのバングラデシュ人と観光したくらい。
バングラデシュ人には合計で3人と出会ったんだけど、みんな日本にめちゃめちゃ理解があって、特に安倍総理をとてもリスペクトしているようだった。3人とも首都ダッカに住んでいて、バングラデシュに来る時は必ず連絡してって。
トルコはアジアらしいけど、イスタンブールに関してはもうヨーロッパだった。甘い香水にタバコの匂いが混ざった香りが街中に広がっていて、あぁヨーロッパだ。って思った。イギリスしか行ったことないのだけど。
あとはどこに行っても美男美女しかいない。1枚の写真に2万年に1人現れるかどうかくらいの美男美女が5人は写ってるくらい。伝われ。
それから、欧米特有?だと思うんだけど、公園に芝生が広がっていて、しかも綺麗に管理されていて、凄く気持ちが良い。
最後に
ビザの件から始まりイスタンブールでの食中毒まで、とことんインドに振り回された。
実は当初インドでやりたかったことをできなかった。クリケットが観てみたかったんだけど、ドバイで行われているアジア大会がテレビで見れただけで。
そのうち、バングラデシュのダッカで友人に会って、デリーでクリケットを観て、上記の憧れの彼が住むラジャスタンに行くっていう周遊ができたらいいなって思ってる。
海外に行くのって遠かれ近かれ、それなりにお金と時間を費やしてるわけで、滅多な事が無い限りはその国を嫌いになることはない。ただ色んなことが起きる中で、あまり好きじゃないかもって感覚を持つ瞬間がある。今回はその感覚に支配されてしまいそうだった。インドに来る前からビビっていたのもあったかもしれないのだけど。
東南アジア周遊のnoteにも書いたように、ホーチミンでは博物館がきっかけに、シェムリアップではある出会いをきっかけに、国の捉え方が変わった。そして今回のインドでも出会いがきっかけ。運が良いといえばそうなんだけど、驚くほど落ち着きのある大人を前にして、自分が未熟すぎることを痛感した。今後は自分の心の焦点を意識して、どんな環境や状況も上手く自分のものにするっていうか、受け入れていける様な人間になっていきたい。伝わらないか。自分でもよくわからん。でもまあそんな感じ。
出会った日本人は皆んな大学生。次の春休みも、来年の夏休みも、それに限らず授業ちょっとサボってでも、それなりの期間また海外に来れるんだから羨ましいなと思う。
出会った外国人は圧倒的に歳上が多い。皆んな長期の休みが取れて羨ましいなと思う。
今の俺は何というか、大学生と社会人の中間みたいな立ち位置な気がしてて、大学4年の時よりも“仕事”の解像度が高くて、より入念な準備ができる。今後の自分の働き次第では、もしかしたらこれまでに出会った外国人の様に長期の休みが取れる可能性だってゼロじゃない。そう考えたら、この期間はかなり特殊で、何と無く過ごして無駄にするのはもったいないなって。
残すは欧米“旅行”だし、なんなら今の俺ただの浮浪者なんだけど。笑
困っていること等
金が無い。
→金が無い。ユーロ高い。ドルも高い。💸朝晩が寒い。
→日中は心地良い涼しさなんだけどね。この先が不安。あそこ行きたい、ここ行きたいって欲張りがち。
→時間が足りない。もちろん金も無い。
本当に最後に
実は食中毒になった原因何となくわかっていて。ネットで色々調べたら、毒に打ち勝つ抵抗力があれば食中毒にはならないみたいなので、それなりに対策すれば問題ないです。もしこのnoteを読んでくれた人でインドに興味がある方、安心してください。
今回の食中毒の原因はおそらく、
ガンジス川の水しぶきを至る所で浴びたこと
→たぶん体内に入った何度か消毒し忘れて汚い手で食事なした
→食べてから、っあ消毒してないやって思い出しがちイスタンブールが少し寒かった
→ごりごりの真夏から、いきなり秋になった感じ、お腹崩壊してから上着買った(遅すぎ)お腹の調子良くないの無視して酒飲んだ
↓
リヴァプールのCL観たくて、でも酒頼まなきゃで無理した。後半から来たチュニジア人が紅茶頼んでて、そうだ、ここイスラム系の国だからお酒じゃなくても良かったんだって気づいた。
こんな感じで食中毒になりました。きっと防寒対策を怠らなかったり、胃腸に負担をかけなければ、お腹緩いなぁ、くらいで済みました。
今、ブルガリアのプロヴディフってとこに来ています。ブルガリアヨーグルト大量に摂取したら、すっかりお腹の調子良くなりました。
水、正露丸、ブルガリアヨーグルトで食中毒は治ります。
イスタンブールでもプロヴディフでも、肌寒いのに半袖短パンの人が多いです。
そんな中、シェムリアップで買った象の柄のダボっとしたパンツに、合わない上着を羽織っている東アジア人だから変に目立ってしまって恥ずかしいです。笑
今回も長々した文章読んで頂き、ありがとうございました。🙇🏾♂️🙇🏾♂️
隙間時間等にザッと文章羅列させてるだけなのでかなり拙いです。ごめんなさい。誤字脱字、読み辛い伝わり辛い箇所があったら遠慮なく教えてください。これまでのnoteも同様に。🙏🏾
では、プロヴディフ2日目の散歩に出かけます。🇧🇬
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