豊かな人生とは何だろう
というわけで、今回は何となく日本の動向を見ていて思ったことを書いてみたいと思います。
最近日本では将来を憂いている内容のものばかりです。たとえば最低賃金の話。例えば諸外国の通貨を円換算して比較して論じるのはまったく意味のないことだと思います。というのも、たとえば最低賃金が€10の国で水が$1の国と、最低賃金が1000円で水が100円の国、これはほとんど貨幣価値は同じバリューであって、「あの国では最低賃金が1580円だ、日本は終わりだ」というのはなんだかおかしい気がします。たとえば比べるのは最低賃金の上昇率であって、純粋に円換算で比較するのはまったくもってナンセンスだと言わざるを得ません。
それに始まって、しまいには日本は先進国か後進国になっているのかという話。これに関してはもうレッテルの問題であって、結論が先進国でも後進国でもそのレッテルがあることによって生活自体に変化がないわけで、これまた意味のない議論だと思います。
そして生活が厳しい……これはもうヨーロッパ諸国に於いても大差ないというのがヨーロッパ在住のぼくの肌感です。
でも、どうもイタリア人やスペイン人のほうが楽しそうだぞというのがヨーロッパでいろんな友達を通して感じたことです。老後の貯金を憂いて悶々とした日々を送っている人がいないからといって、貯金がすごくあるというわけでもない。
そのあたりがどうも日本のメディアにおける老後の話には何か裏というか、マーケティング的側面があるのではないか、と感じてしまうわけです。
日本は貧乏になっているとはいっても、たとえばスペインや南イタリアではiPhoneは最新のではないのも当たり前で、すごくいいものをたくさん食べていたり、いろいろなブランド品を買ったりといったことはありません。むしろ少ない。それも節約しているといった美談になるわけでもなく、単純にお金が少ないから買えないというそれだけの話です。
でもやっぱり友達と集まってお酒を飲んだり、朝バールで友達と簡単な朝食(イタリア人は朝にバールに寄って、仕事前にエスプレッソとクロワッサンを食べるというのがルーティーンの人がすくなくありません)を食べて仕事に行く、週末は集まってお酒を飲んだり土日はビーチに行く、こんな感じで過ごしていて、幸せそうです。
老後の憂いや経済の悪化(これに関しては諦めの境地にいるんじゃないかと思いますが笑)を嘆く生活もありませんし、芸能人のスキャンダルを袋叩きにして楽しむといった文化もありません。
まぁ、最悪なんとかなるだろう、くらいの気持ちで過ごしている彼らの姿からはちょっと学ぶべきものがあるんじゃないでしょうか。
生活レベルを落とすことは簡単なことではないですが、落ちたと思っている生活レベルは世界基準でいえばまだまだ高いものでもあると思います。物価上昇に関しては日本以外でも深刻な問題であり、それに伴う給料の上昇も正直あんまり見られないというのがヨーロッパに住んでいて感じることです。
狩猟時代、人は明日の食べ物を探して生活していました。しかし人は農業をはじめることによって食料の安定を始めましたが、天候の変動など、それによって先の未来を心配しなくてはいけないようになりました。
安定というのは、あるいは未来を心配する生活でもあるという、諸刃の剣なのかもしれません。
変えることのできない将来を憂いて、まだ到来していない未来の心配をして「今」を楽しむことができないのは非常に残念な事じゃないかなと思います。もちろん、備えあれば憂いなし、備えをすることは決して悪いことではありません。かといって、それが暗い影を落としているのなら、思い切って少し貧しい国に行って、自分の生活が豊かであることを再確認するのもいいかもしれません。裕福な生活こそ幸せな生活であると思っている人が日本には増えている気がします。
でも、小さな幸せを見つけられることこそが本当の意味で豊かな生活を送ることができるカギなんじゃないでしょうか。