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誤保護?逆保護?それとも収奪?

おはようございます!

ケミオです。


一にも二にも、アダルトチルドレンを克服するために書いている、このnoteですが。

実は書くことで解決や理解が進むことは、もうあまりない気がしてきました。


そのことだって、おそらく2~3日前に書いたことの繰り返しです。

そして、せっかく読んでいただいているのに恐縮ですが、私自身はそれでいいと考えていたり。

ことアダルトチルドレンに関しては、書くことがなくなれば、それはもうほとんど解決したようなものと考えられるからです。


なので今回書くことも、中身はアダルトチルドレンに関係していますが。

それはこれまでのような、思いや気づきの発露ではありません。

私の意識としては、完全に雑談です。


お題は、親の過保護あるいは過干渉。

アダルトチルドレンには至って当たり前だった人が多いと考えられる、親の姿勢です。


私の親も、全くもって当てはまります。

子どもの頃のあれこれを挙げたらキリがないですが、今だって洗濯も掃除も食事をこしらえるのも、さも私がまるでできない体で接してきます。

私は、「バ〇にするなよ」ではなく、「バ〇かよ」と言いたい。


子どもの頃は、過保護過干渉の通りにしないと怒られました。

今はそういう姿勢は、無視しています。


個人的経験については流して書いてしまいましたが、過保護も過干渉もそれを受けた側として、言わんとしていることはよくわかります。

しかし、「過干渉」はさておいても。

「過保護」という言い方に、私はとても違和感を感じています。


なぜなら、された側の私個人としては、保護されている感覚がまるでないからです。

むしろ、自分でやろうとすることやできることをする意思も、それに伴って発生する選択も、奪われているようにしか思えないからです。

それをすることによって発生する経験や学びも、生まれません。

これって、保護とはまるで逆じゃないのか?と思ってしまいます。


「保護が過ぎる」という意味においてはもちろん、それは問題があることを含んだ言い方だと思います。

しかし、「そもそも保護でもなんでもないじゃないか」と。

生きる力を育む経験も学びも取り上げていることに他ならない「過保護」は、保護よりも虐待に等しいものだと思います。


私はそのような意識があったので、親が過保護だなとは思っていても。

そこを中心とする話を他人にすることも、noteに書くこともしていませんでした。


では「過保護」でなければ、なんと言うのがより正しいのかと考えてもみましたが。

なかなか難しい…。

誤保護?

逆保護?


そもそも「保護」という言葉自体、親の視点しか入っていない気がします。

いっそのこと「保護」を捨てて、「収奪」とか?


読んでいただいてありがとうございます!

今日も良い一日をお過ごしください!

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