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【ACの話】無意識が変わると、過去までもリアルになる
アダルトチルドレンの克服に取り組み始めた頃、どこかでヒントを得たものか。
私はそれ用のスマホアプリを使い、日々の気分の波だとかを記録し続けようとしました。
ですが、すぐにやめてしまいました。
2週間も続かなかったと思います。
数百円とはいえ有料アプリでしたし、アプリ自体はとてもよくできていたと思います。
でも、続かなかった。
何を記録していいか、まるでわからなかったからです。
最初は「なんとなく」で記録していました。
でもそれが何日か続いたら、アプリで問われている「気分」というものに対して。
自分事としてとらえているそれが、自分には全く無い。
気分は気分なので、そもそも考えるものではないと思いますが。
考えても考えても、気分とは何なのか?
記録する以前に、それが全くわからないことを自覚しては。
考えることが苦痛となってしまい、記録をフェードアウトしてしまいました。
レッテルにはこだわりがないのですが、あえて貼れば解離状態でした。
気分を記録しようとしたために、それを介して解離をはっきり自覚したわけですが。
気分に限らず感想だったり、しまいには自分のしていることでさえ。
自分のものだとか、自分がしているとかの感覚。
これが希薄な状態で、私は長らく生きてきました。
そんな解離から、確かに回復しつつあるのが今の私になります。
しかして、今現在の気分を含めた現実感を感じられるようになったことは当然のこととして。
不思議なのは、過去のことです。
濃淡は関係なく、総じて過去にお付き合いのあった人達の顔だったり、五感で感じるものだったりが。
とてもリアルに感じられます。
10年単位の時間が経っている人たちの、でさえ。
とはいえ、一旦話が戻ってしまうようですが。
その過去の私は、もちろん解離していました。
つい最近まで、ずっと続いていたようにです。
言ってみれば、過去のことと言うのは。
気分も感覚も希薄な私と、リアルな他人の関わりです。
もちろん当時は当時で、思うこと感じることはありました。
人はきっと、生きている以上はそういうものが生まれるんだと思います。
ですが、自分のそれについては、そのままではいけない。
いつも無意識に考えていた私でした。
話が今に戻り、私が変化したのは。
この無意識のところのはずです。
過去の記憶をそれぞれ当時の私のまま切り出せば、自分の思うこと感じることは、そのままではいけません。
それが今は、違う。
当時はいけないと思っていたけれど、今思うところは。
自分のどこかしこも、間違ってはいないのです。
なお、これは実際の失敗や反省などとは、次元の違う話です。
何かをするとか、決断をするとか、あるいはその結果を考えるとかいう以前に。
そもそもの私が思っていたことや考えていたこと、また気分も含まれますが。
表明すらしていない、自分の胸に秘めているだけのそれらを否定することなど。
どこの誰にもできなかったはず、ということです。
そんなこんなで、今では気分も自分のものだと感じられます。
ここ最近でそうなったばかりなので、まだ自分でそれに注意して、気づこうとしながらではあるものの。
アプリはもう、使わなくてもいいかなぁ?
長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございました!