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機能不全家族を知ること
アダルトチルドレンの克服も、そろそろまとめを意識し始めました。
なので、それこそまとめのつもりで、今日は「機能不全家族を知ること」について。
私と似た問題に悩まされる、誰かの役に立つかも…しれない。
役に立たなかったら申し訳ありません。
でも、読んで頂いてありがとうございます。
早速ですが、私の生家はどういう機能が不全だったのか?ということについて。
今ではわかり切った結論から書きますと、子育てや教育。
これがまるで欠落していました。
一応申しておきますが、その意味するところは。
例えば、極端に言うと「お受験」がわかりやすいかもしれませんが、お金をかけて立派な教育を受けさせるみたいな次元のことではありません。
文字通りの、欠落です。
「具体的にどういったことが?」と聞かれれば、それこそなんでもかんでもだと思います。
子供の成長だったり、将来社会で活躍できることを願って家庭内で行われること。
それを子育てまたは教育と定義すれば、まるでありませんでした。
見方を変えれば、すべてが丸投げであり、人任せであり、他人事。
子ども(私)が何を学んでどのように育つかは、完全に学校次第。
学校次第にしているくせに、そこで意に沿わない姿を見せたりつまづいたりすれば、文句だけは一丁前に言う。
書き連ねていったらキリがなくなるのでやめますが、とにかくそんな親ならびに機能不全家族の有様について。
確かに言えることが一つだけ、あります。
「無理」ということです。
自分の父親と母親の組み合わせでは、叩いても引っ張っても子育てや教育は、出てこない。
それは今の親の姿を見ても、間違いありません。
母親は、考える、理解する、行動するの基礎的な力がありません。
父親は、そんな母親をただ思うままにさせることしかできません。
そこに、子育てや教育という「機能」は生まれようがない。
立派な機能不全家族の完成です(「機能」は他にもあると思いますが、ここではとりあえず子育てや教育に絞ります)。
一方で、昨日も書いたことですが。
こういう実態を自分でしっかりと知り、腹の底から理解することは。
アダルトチルドレン的苦しさを克服する上で、とても大事だと思います。
なぜなら、その実態から生まれたのが、自分の抱える苦しさであるから。
その実態がおかしいのであれば、自分の苦しみにも道理はまるでありません。
端的に言えば、親であり家族がおかしいのであって。
自分はおかしくないんだということ。
私は、そのくらい思ったっていいと思う。
自分がおかしいのでないなら、本当はどんなのが自分なんだというのはまた別の話ですが。
もちろん、自分の親や家族についての見方が、客観的かつ完全に正しいとは言えません。
でもそこは。
「私は~思う」でいいんじゃないでしょうか。
親も家族もおかしければ、本当は違う形であるべきである。
そう思うのが、間違いなく自分であるということと。
考える「違う形」というのは、親とも家族とも関係のない自分固有の経験から生まれたものであること。
これらは客観的かつ完全に、確かなことだからです。
今日もお付き合いいただきまして、ありがとうございました!