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とにかく外に出る、とにかく見る、とにかく聞く

こんにちは!

ケミオです。


何年ぶりだろう?というくらい久々に、ただのプラプラ散歩を目的に、電車を使って出かけました。

もちろん、この時期ですので、桜が大きな目当てです。

写真では、空が青ければもっと映えたと思うのですが、間近で見たらバッチリちょうど、満開と言ったところ。

キレイでした。


なお、写真は中板橋付近の石神井川です。

そんなに近くに住んでいるわけではないのですが、ここに行った理由も特になく、適当です。

桜があることだけ、一応確認はしていました。


しかし今日は、桜より印象に残った瞬間が、不意にやってきました。

中板橋駅へ向かう東武東上線に、池袋駅で乗ろうとした時です。

改札に向かう階段で、懐かしさがぶわーっと、私を包みました。

その瞬間、顔がにやけてしまったのが自分でもわかりました。


これは、私は東上線沿線で生まれ育ち、池袋駅のその階段は、浪人時代から学生時代の途中まで数年間、毎日のように上り下りしていたからです。

とはいえ、なにか特別な思い出や、思い入れがあるわけではありません。

なので、この場所に心が動かされるのは、全く想定外でした。


この懐かしさが今の私に、何か影響なり作用なりがあるのかは、今のところわかりません。

そんなこと、べつに考えなくてもいいくらい些細なことのような気もしています。

ただ、今日出かけてみた結果、この懐かしさを一つの例として、思いました。

「出かけて、色んな物事を見たり聞いたりすれば、気持ちが動いたり新しい発見をすることが無限大にありそうだ」と。


他にもありました。

「今や年季の入った、私が子どもの頃から活躍している東上線の車両に乗ったら、めちゃくちゃ懐かしい」とか。

「外に出ると気持ちが晴れ晴れしているのがハッキリわかり、逆に実家の暗さとそこにいる自分の気持ちの沈み具合の大きさもよくわかった」とか。

「昔住んでいたところの近くにあったスーパーの本部は、ここだったのか」とか。


いずれも、普通の人にとっては大したことではないと思います。

しかしアダルトチルドレンである私は、数日前にも書いた通り、自分の気持ちを自分のものと認識し、認める経験が圧倒的に足りません。

それが、ちょっと出かけただけで、こんなにそれができるチャンスに溢れているのなら、続けない手はありません。

トラウマ治療にはお金がかかっていますが、こちらはそんなにお金をかけなくてもよいのです。

休日に用事がなければ、ドトールでコーヒーを一杯飲むために、1時間かけて出かけるくらいでもいいかもしれません。


と、偉そうに書いておきながら、単に空気が暗い家には極力いたくないというのも、噓ではありません…。

とはいえ、外出して得たことを積み重ねて整理していけば、「自分がこんな人間だ」というのがもっと具体的に、見えてきそうな気もしています。


今日もお疲れさまでした!

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