【ACの話】親の支配と自分の考え
こんにちは。
今の私は、ただただ様子見です。
何を?の前に、経緯をちょっとおさらいします。
私はアダルトチルドレンであり、解離やなんやらでずーっと苦しんでいました。
子どもの頃からと言っていいかもしれません。
30年近くにはなるでしょうか。
その間、うつを繰り返してもいます。
おかげで私の職業的なものは、てんで滅茶苦茶。
そこだけ切り取って客観的に見ても、私という人間はまるで統一感がなければ実態も薄いかの存在ですが。
私の意識の中でも、それは全く同じ。
現実感がなく、生きている感覚さえ薄い気がしていました。
うつでない時も、いつもそんな状態であることが辛いものに思えてきては。
直近でまたもやうつの危機が迫った時、このままでは自分にサバイバル能力が全くないことを自覚しました。
「これは今、何とかしなければならない」
そう考え、行動に移しました。
14ヵ月ほど前から、EMDRならびに書き出すことを中心に、諸々の克服に取り組んでいます。
と、ごちゃごちゃ書きましたが。
とにかく常時の苦しみから逃れて、並に生きのびられるようになろう。
それだけのことではあります。
話が戻り、そこで「様子見」と言いますのは。
私自身は、「おそらくもう、これでいいんじゃないか」という状態にはなっている。
とはいえ、苦しみはいかんせん、長年続いてきました。
前に進むのは、まだ怖い。
石橋を叩くように、今の状態が変わらないことを変わらないことを確認して確認して確認して。
一歩進んでみよう。
そこで、ずっと自分の様子を見ているということです。
ただ、漫然と様子見をしているつもりはなく。
確認をし尽したら、自ずと前に進みたくなるだろうという算段もあります。
今はまだ、確認が済んでいないのでしょう。
くり返しになりますが、まだ怖い。
さりとて、では私のどういったところが、かつてと変わったのか?
「『これでいい』の根拠」と言っても、同じ意味になるそれはですが…。
細かいことを挙げれば、色々あります。
ですがその中で、最大のものを挙げるとすれば。
「親が自分と別になった」ことだと思います。
簡単に書いてしまいますが、かつての私が考えることだったりは。
親の許可を得られることに、限られていました。
もちろん、もうほとんどの場面において、私の目に見えるところに親はいません。
ですがいつも無意識に、昔の親への伺いを立てていた私でした。
かつ、それでOKになりそうな考えだったり感情だけを、自分のものにしていたことになります。
これが紛うことなき、子どもの頃に作られた親による支配の構造でした。
それが今や、消えたのが間違いなさそうな今日この頃。
かくして、親も家族も冷めた目で見ている私です。
昔は当たり前だったことでも、バカバカしかったり、意味ないと思えることだったりが、ボロボロ出てくる。
その「バカバカしい」も「意味ない」も。
アダルトチルドレンであり、イコール親の支配下にあった時は、タブーとされていたことです。
ですが今は、それこそが。
紛うことなき、自分の考えになっています。
なお、以上のことをいつも考えているわけではないことを、付言しておきます。
自分を振り返った時に、そんなことを思うというような。
今日もお付き合いいただき、どうもありがとうございました!