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とんでもない間違いを犯してしまっていた気がする

こんにちは!

ケミオです。


自分の中で色々と、熟していくのを感じます。


もちろん、アダルトチルドレンの克服に関してです。

「これでいいんだぁ」と思えてくる。


ですが同時に。

冷や汗をかく思いがすることがあります。

自分で自分に、引いてしまうというか。


「俺はなんて長い間、自分の心をブロックしていたことだろう」

そう思ってしまった時です。

なんか、とんでもない間違いを犯してしまっていた気がするんです。


間違いと言えば、間違いだったかもしれません。

しかし、自分で意図してそんなことをしたわけではない。

子どもの頃、自分の心をないがしろにされていたことが原因です。


その、ないがしろの度合い。

これがいかにすさまじいものであったかを、今ではとてもよくわかります。

毒親は、全く自分のことなど尊重してくれなかった。


トラウマ処理が進んだ今、その過去をべつに怒る気持ちはありません。

それどころか、「そうなるしかなかったよな」という感じすらあります。

だって、この親なんだから、と。


言ってみれば、親そして家族に対する完全な諦めであり、完全な期待の放棄です。

これはある意味、怒るよりはるかに残酷なことのような気もします。

最終かつ不可逆的な結論を、下したということだから。

親の親たる部分も、家族そのものについても。


子どもの頃は、この結論を出すことはほとんど不可能だと思います。

自分の家族のことをそこまで理解できないか、理解できても。

自分でそういう結論を下すのは無理な気がします。

今いる親も家族もいなければ、自分がどうなってしまうかわからないから。

生きることが危うくなるから。


でも今なら、諦めも放棄もできます。

自分の自由です。


と言うより。

そもそもは、期待できない親から、機能不全家族ができて、自分も苦しんだ。

この間違いないロジックを心から理解するには。

「期待できない親」をそういうものとして、ちゃんと認識する必要もあります。


経験上はこれが、結構な難関です。

私自身も、本当に最近できてきたのをわかったばかりであり…。

親のことを客観的に見るのは、とても難しいことでした。


読んで頂いてありがとうございます!

今日も残り、良い一日をお過ごしください!

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