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制約のない図書館で、自分を知ることができる

ケミオです。

こんにちは!


「こうしたらいい」などのアドバイス的なことは、全く書いてこなかった私ですが。

アダルトチルドレン、もとより自分自身のこととか好きなことがわからない人(もちろん私もそうであるわけですが)にとって、大いに良さげでなかろうかと思うことがあります。


図書館です。


たくさん本があって、好きに借りて持って帰って良い、どの自治体にもあるでしょうあの図書館です。


館内を回り、まずは興味関心の強いコーナーに入ります。

そこで目に留まっては、手に取ってパラパラめくってみた本。


それは、自由に持ち帰っていいんです。

お金は必要ありません。

(もちろん、ちゃんと手続きはしましょう)


と、ここまではごく当たり前の話。

一方で私がそんな図書館を良さげだと考えたのは、本が素晴らしいというのが理由ではなく。

制約が無いから、でした。


さらっと、お金のことにも触れましたが。

世の中の大概のことは、支出を伴います。

だから私は何かをいいなとか、やってみたいとか思っても。

まずはお金による制約を最優先にしていました。


その結果として、制約の故にできないとなれば。

自分の気持ちは無かったことにしていたのが、私だったんです。


もちろん、実際問題としては計算上の制約はどうしても、あります。

お金でも、時間でも。

現実生活を送る上でそれを踏まえるのは、必要不可欠と言っていいと思います。


ですが私の場合、だいぶ端折って書いてしまいますが。

小さい頃から、親の中にある制約をまずもって、嵌められていました(一方では私の考えることなどを、親はまるで理解しようとしなかったりもある)。


制約はお金だけでなく、例えば能力なんかもそうでしょう。

うちはこんな家庭、だから子供であるあなたもこの程度。

現実には、子どものことを「この程度」だと決めつけておきながら、他人に自慢できる成績を出すよう勉強をさせたのだから、極めてタチが悪い。

悪質です。


昔のことは本題ではないのでこのくらいにしておきますが、とにかく私は、親による制約により。

自分の気持ちが、出てこなくなりました。

生きている感覚も、希薄になりました。


話を図書館に戻します。


図書館には、制約がありません。

何に興味を持って、持ちかえろうとして、実際にそれをするのも自由。

そこでお金を払っている人は、いない。


その意味では、平等でもあります。

お金があるとかないとか、関係ない。

お金による制約を考えればそれが大きくなる人も、それが小さい人と同じように、高価な本だって楽しめる。


もちろん、テストの成績や学歴も関係ありません。


老いも若きもやって来るのが、図書館というところです。


私は、自由なんだと思いました。

そんな図書館内を回っている時に。


同時に、普段の自分いかに、親の考える制約に縛られていたか。

その強さも、大いに実感した次第でした。


なお、図書館とか本とかいうことになると。

「活字は読まない」なんて言う人も、いると思います。


ですが、本は大いに活字だけではないです。

実際、私も活字ばかりの単行本や文庫などは借りていません。

本は専門書を除けば、だいたい写真等がふんだんに使われているパラパラめくって見てるだけでも楽しい系の方が、頻繁に買うのはためらうくらい高価
だったりします。


図書館を使い始めて、ひと月半くらい。

私はそうした本ばかりを借りており、値段を合算すればもう数万円分にはなると思います。


もちろん計算はしていませんが、とにかく制約がないのですから、値段を見る必要もない。

ただ面白そうなのを、持ちかえればいいことになります(私の住む自治体の場合、本以外にDVDやCDだって借りられる)。


長くなりました。


とにかく、制約のない図書館に行くことで、まず自分から自然に生まれる興味関心を、ちゃんと肌感覚で得ることができては。

これこそ、紛れもない自分自身!

そんな気がしたものでした。


お付き合いいただきまして、どうもありがとうございました!

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