怖さがどこかにある
こんばんは!
ケミオです。
昨日のEMDRの後、心が軽くなった感じがするのは前回書いた通りですが。
同時に、ソワソワしています。
心が軽くなったこと自体は、それでいいはずです。
そもそも、望んでいたことのわけで。
ですが、怖さがどこかにあります。
なにせ30年以上もどっぷりつかっていた、アダルトチルドレン的世界です。
いきなり抜け出すのは、怖くて仕方がありません。
そもそも昨日の今日ですから、心が軽く感じること自体がまだ半信半疑とも言えますが。
それはもうちょっと確かめればいいにしても、とにかく色々揺れ動いているのは間違いありません。
ただ一方で、確固となったように感じるところもあります。
親が何を考えどう思おうと、どうでもいいんだということです。
私のような困難を抱えている以上、これは何度も書いているフレーズですが、そう考えるべきなのは頭では前からわかっていたんです。
でも、それではいけないような気がして…というのが、これまでの状態でした。
意識していたわけではなくとも。
それが今になってようやく、腑に落ちる形で理解できては。
ちょこっと突き抜けた感じがしています。
だって、世界観も理想も思考や行動の出発点も、親と自分まるで違うじゃん!といったような。
どちらが正しい、というのはないですが。
全然違うのに、機嫌を損ねないことが頭にありながら親に合わせることなど、まるでない。
私の方であからさまに反発などはしませんが、親の思った通りに私は考えも行動もしないわけなので。
親は不愉快になるでしょう。
でもそれは、元々不愉快しか知らない人が、その通りになっているだけのこと。
知らんこっちゃありません。
ちなみにですが、実家を出ればそんなに親のことを考えなくても済むのでは?と言われれば。
それは、その通りだと思います。
また実際問題、必ずそうします。
とはいえ、現実の親を間近に見ることで、子どもの頃の自分が何に苦しんでいたか。
これは実家にいるからこそ、より確かなこととして確認できるのは間違いないと思います。
以前、私と似たような問題に悩まされる友人と一致したことですが。
子どもをアダルトチルドレンにする人の親は、根本的なところが変わることはないと思います。
絶対ないとは言えませんが、たぶん稀。
よって長い時間が空いても、自分を苦しめた親の姿は、高い確率でありありと見られるはずです。
また、このことはすなわち、子どもの頃が簡単に再現されてしまうということでもあります。
であるからには。
このリアルに再現された状況を克服してこそ、真の克服ではないか。
そう考えてもいます。
極力ごまかしのない状況に、身を置いているとも言えそうです。
と、プラスを捉えればそうなるものの、実際のところは不快な思いばかりさせられます。
また、以上はかっこつけて書きましたが、本当のところはやむを得ず、一旦実家に身を置くしかなかったわけでして(そもそもそうならざるを得なかったのは…ではありますが)。
とはいえ、不快になるのも時間の無駄のように思えてきては。
親の言動は変わらなくても、それに心理的に首を突っ込むようなことはしなくていい。
このことも、体を通してわかってきた気がします。
読んでいただいてありがとうございます!
今日もお疲れさまでした!
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