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信じられない

こんにちは!

ケミオです。


私はそのままでいいし、幸せになってもいい。

このことを、ようやく体全体で理解し始めていると思います。


しかし、どうもまだ馴染んでないというか、信じられないような…です。

なにせ30年超。

出来事としての転機も、精神的な転機もありましたが、その間ずっと真逆のことしか考えられなかった私にとって。

これは、天と地がひっくり返るような自分に対する見方に違いありません。


とはいえ、私はそのままでもいいし、幸せになってもいいという考えを身にまとって見える世界。

これは、かつて全く見たことがない世界なのかと言うと、そうではないと思いました。


具体的には、物心がついてからの数年間、小学校低学年の頃までです。

これははっきり覚えていますが、私が親に合わせて自分を殺して生きるようになったのは、小学校中学年の頃でしたので。

ストーリーとしても、見事に辻褄が合います。

それまでは、今のような問題を抱えていなかったのは明らかですし。

私の見える世界をそっくり真逆にしてしまったのは、間違いなく親。


今の私に見え始めているのは、アダルトチルドレンとしての歩みを始める前には当たり前だった世界に、他ならないと思います。


と、冷静に分析して書いているように思われるかもしれませんが。

まだ心は、ドギマギしている状態です。

落ち着きません。


かつては自分も当たり前だった考え方(「考え方」と言うのも不自然なくらい当然の考え方)と、それを身にまとって見える世界なだけに。

それが疑いようのないものなのは、頭ではわかっています。

でも、信じられないんです。

信じるしかない、というより。

自分をそこまでわかったのなら、他にどんな考え方があるんだよ?と思っても。


当たり前ですが、自分が幸せになりたいと思ったら。

というよりここでの私の場合、そんな自分の気持ちがわかったら。

その逆を行く思いや行動は、難しくなります。

もしくは、できないと言った方が正しいかもしれません。


私がかつてしたように、自分を殺さない限りは。

わざわざ自分を不幸にするようなことは、不可能。


言ってみれば、私は後戻りできない状態になってしまったのに。

そこでどうしていいかわからない感じだと思います。


なんだか、自分でも願望なんだか事実なんだかわからないことを書いたように思います。

そして一方では、30年超の「幸せになってはいけない」は、まだ私の心にびったりとこびりついているはずでもあります。

そしてまだ、混乱もしています。


もうちょっと落ち着いた方がいいかもしれません。


読んでいただいてありがとうございます!

今日もお疲れさまでした。

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