気づいたら機能不全家族にいただけ
こんにちは!
ケミオです。
私もそろそろ、昔のことでもいいので、楽しかったことや嬉しかったことを本当は書きたいところです。
ここのところ、自分自身や親についての気づきばかりなので。
もちろん、それらは気分が上がるようなものではありません。
とはいえ、おそらく自分にとっては相当大事なことに違いない。
なので仕方がないと思うことにします。
今回は、父も入れての気づきです。
連載のように書いていた通り、私にとって最も厄介で問題なのは母ですが、もちろん父も機能不全家族の一員。
むしろ、最終責任者と言っていいかもしれません。
とはいえ、私と父との間に、私と母との間と同じような解決しがたい話はありません。
父のパーソナリティ的なところは、私自身が抱えている問題を考えるにあたって、直接重要ではないんです。
なのでこれから書く気づきも、至極単純な話と言えばその通りになります。
それは実際に、「父が何とかすべき話だった」と言うのは、酷のように私も思うところ。
気付いたことは、私が子どもの頃にも問題が見えていたはずだった機能不全家族について、父は何らの手を打たなかったことです。
無責任で通したとも言えましょう。
しかし、そこは理解できなくもないところもあるんです。
何度も書いたことですが、私の育った家庭の問題の大本は、精神的に幼稚で未熟な母でした。
なので問題に手を打つならば、まずもってこの母に対して、何らかの対処をしなければならなかったはずです。
でも、それはしなかった。
なぜなら、と言えば話が戻ってしまうのですが。
母が精神的に未熟で、幼稚だからです。
父も父で、そんな母を絶えず認めてあげなければなりませんでした。
それをやらないと母は拗ねると同時に、父自身ならびに成長し始めた私と弟からは、取り残されてしまうからです。
機能不全家族の問題をなんとかしようとすれば、それは家族がバラバラになるトリガーを自分で引く。
そんな状態だったと思います。
と言うより、より正確に言えば。
父は仕事の帰りも遅く、母を認めてあげることもできていなかったと思います。
そして、これは現実に起きたことですが、私が中学生の頃。
母は家出をして、別に住んでいくことになりました。
実際、家族がバラバラになったのです。
以上を振り返った上で、私の抱えてしまった心の問題と絡めてみますと。
私は、家族がバラバラになったことに対し、自分に問題があったような、また自分が悪かったような気持ちをずっと抱えていました。
罪悪感です。
しかし、今思うのは。
父のどんな事情をもってしても、子どもであった私が体を張って、母をなんとかしなければならなかったということにはならないはずです。
父は父でどうにもならなかったとは思いますが、だからと言ってそれも、私が苦しさを抱えたまま生きることの理由にはなりません。
どうにもならなくても、どうにかする責任は父にあったと思います。
家庭を設けた当事者は、父と母に他なりません。
私は、気づいたらそこにいただけです。
そんな私の考えは、よく聞かれる理想的で道徳的な家庭像には全く反しているとは思うんです。
しかし道徳的な家庭像は、私にとっては横やりになります。
実際、以上書いたように考えてはじめて、罪悪感は消えていきました。
苦しさはまだ残っていますが、それも。
「理想的でも道徳的でもなかった家庭にいたのだから、苦しかった過去については仕方がなかった」くらいに理解することでしか、この先も消えていかないと考えるところです。
そしてこれまた実際、そう考えると少し気分が晴れます。
そんなところで次こそ、親や家族を発端とするのとは違うことを書きたい…。
今日は夏の高校野球の地方大会の決勝がいくつか、行われる予定ですし。
読んでいただいてありがとうございました!
今日も良い一日をお過ごしください。