自分のことをよくわかっている、ギャルっぽい女性
こんばんは!
ケミオです。
アダルトチルドレンの克服に取組んでからの、自分の変化。
たまには、これについて顧みてはどうだろうかと、少し前から考えていました。
特に根拠はないんです。
「新しい発見や変化を起こすスイッチが、もしかしたらあるかもしれない」くらいの、軽い考えと言えば軽い考えです。
ことはじめに、私が7ヵ月前に別のブログに書いていたことを、振り返ってみたいと思います。
書いてあることが変わらない程度に、リライトはしています。
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Title:キャピキャピしていてギャルっぽい女性がきづかせてくれた、大切なこと
アダルトチルドレンを克服すべく取り組み始めて、1ヶ月くらいです。
その間、自分の内面はもちろん、他の人の行動もつぶさに振り返る中で、ハッキリわかったことがありました。
「自分で自分がどんな人間が、全くわかっていない」ことです。
もっと言えば、そんなことに関心さえも持ちませんでした。
おかしな表現に聞こえるかもしれませんが、自分のすることや思うことでさえ、我関せずだったと言えます。
そしてこれは、現実から解離した世界にいるからだと思います。
その世界での私は怒りや恐怖に支配されていて、現実の自分はどこにもいません。
いるのは、怯えてビクビクして敵意剥き出しの自分です。
そんな自分を省みることもまた、一切ありませんでした。
以上のことはしかし、自らを分析して気づいたことではなく、他人が気づかせてくれたことでした。
その他人とは、テニスでたまに会えば話もする女性です。
(失礼ですが、)年齢の割にキャピキャピしていてギャルっぽく、あまり見ないタイプかもしれません。
その「キャピキャピしている」というのは、誰に言われたことでもなく、あくまで彼女と接する中で感じた私の印象です。
でもそれは、彼女自身が持つ彼女自身の評価とも、見事に一致していました。
彼女のふとした発言から、わかったことです。
彼女は、自分で自分のことをすごくよくわかっています。
そして、そんな自分を揺るぎないものとして、受け入れています。
さらには、自分に自信を持っていることも、感じられました。
これらは紛れもなく私とは全く異なる姿ですが、本当は彼女のようであるべきだと思ってしまったんです。
現実に生きているというのは、きっとこういうことなんだろうと。
彼女の場合は、キャラクターが少し特異でわかりやすいものの、健全に育った大人はきっと彼女と同じなんだろうと思いました。
私は彼女と逆で、自分で自分がどんな人間が、全くわかっていません。
自分に対する認識がまるでないと言っても、同じです。
だから本当は苦しい時でさえ、苦しいことにすら気づかない。
当然、それに対処したりケアすることもでないままに、苦しさは生身の体を蝕んでいきます。
結果、私を待ち受けていたのはうつ状態でした。
今の私に、心身に出ている症状はありません。
でもその苦しさを取り除き、「自分で自分がどんな人間がわかる」状態にならないと、絶対にうつを繰り返すでしょう。
しかし今ここで、自分はどんな人間だろう?と自分に問うても、あやふやな答えにしかなりません。
だからとりあえず、小さなことから確認しながら、自分自身に対する認識を形作っていくしかないと考えています。
酸味のあるコーヒーが美味しい
あのお店のラーメンが好きだ
スポーツは楽しい
ちょっと頭がいい
面倒くさがりなところがある
…
などなど。
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なんだか懐かしい気持ちにもなりましたが、それはきっと、この頃と今とで生活環境が大きく変わってしまったせいもあります。
その他の変化についてもさっそく思い当たる節がありますが、それを書くことが大事だと思ったら、その時に改めて書いたらいいと思っています。
あまり肩ひじを張らずに。
今日もお疲れさまでした!