無意識に親の反論がある
おはようございます!
ケミオです。
関東地方は台風が接近しています。
今年は、台風の当たり年なんでしょうか?
去年は全然なかったような…。
ところで、私は車が好きです。
いわゆる走り屋とは全く違いますが、街中を走る車に目が行ってしまう程度には。
昨日も散歩中、傍を通ったピカピカのBMWを見た時のこと。
「お~かっこいいな!」と。
しかしその時は同時に、思ったんです。
「これって、子どもの頃に禁止されていた感情だっのでは?」と。
そのまま散歩を続けながら、このことを少し考えましたが、間違いありません。
現実に言った記憶はありませんが、子どもの頃に「BMWがかっこいい」なんて言ったとして。
このように反論されることは、明らかだからです。
「BMWなんて高いだけよ。あなたが好きになったって無駄よ」
親の反論の正否は脇に置いておいて、私にはきっと。
子どもの頃に当たり前だった、こういう反論を念頭にした心のブロックが、今でもいたるところにあるに違いないと思った次第です。
BMWをかっこいいと思ったり、車を好きだったりする感性は、私の中では昔から変わらないことだと思います。
しかしそれらを思っても、どこかそれが自分にとってはいけないことのような気がして、ブロックしていた。
その代わりは、いつも子どもの頃に強いられた感性です。
だから自分がどこにもいないような感じになり、苦しさを感じるようになった。
そんなところのはずです。
車はその一例にすぎず、私はほとんどすべてに物事に対して同様になっていることは間違いありません。
ただ、このことは既に少しずつ、変革している気もしています。
変革が始まってから昨日の気づきがあったのかもしれませんが、それはわかりません。
とにかく、例えば昨日は、このシーズンには毎年ある戦争関連ドキュメント番組を見ていましたが。
以前に同様の番組を見た時と比べても、感情移入してしまっては、心が揺さぶられているのを実感しました。
俳優さんの上手な演技によるホッコリしたシーンを見ては、自分の顔もほころんでいるのも実感しました。
一方で、子どもの頃の私は、戦争の話に興味関心がない親に合わせなければならなかったのであり。
また、俳優さんやなんやより親が立派だと、認めてあげなければならなかったのでした。
書き出してみるとたいそうバカバカしいのですが、長い間の私は。
無意識に親のそんな反論に縛られては、自分の心を押さえつけていたことになります。
そのおかしなことに気づいたなら、また、変革が始まっているのなら。
このままそれが続くのがいいのは、間違いないところです。
自分はなんてバカなことをしていたのだろうという思いもあります。
とはいえ、親の反論に沿って思考してしまうのは、完全に長年の癖です。
一瞬でスパッと、思考と行動を切り替えられるようには思いません。
しばらく地道な点検を繰り返さなければならないと、思うところでもあります。
読んでいただいてありがとうございます!
今日も良い一日をお過ごしください!
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