心身の不調と生きづらさの原因を探って行きついたひとつの答え
わたしは「大人の愛着障害」なのかもしれない。
そして、今までの心身の不調や生きづらさの根本原因はこれなのかもしれない。
現状でたどり着いた答えがこれです。
この気づきがあったあと、昨年の2023年にトラウマのフラッシュバックのような体験があり、もう逃げられないと思いました。逃げられないというか、向き合わないとずっとこのつらさを抱えたままこの先も生きていくことになる。そう考えると、途方もない無力感に襲われたんですよね。。。
その時の様子はここにも書きました。
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なので、わたしの取り組みが誰かの救いになることを信じて、大人の愛着障害をわたしがどう克服していくのか、考えながら取り組んでいく過程もこのnoteに記録していこうかなと思います。
根本原因は愛着障害にあり?!
このnoteを書き始めて、改めて俯瞰してみたらやっぱりここだよねって思った。
強迫観念や被害妄想、胃腸障害、下痢からの肛門ポリープ、摂食障害や月経不順、そしてパニック症なんかは元をたどれば不安から来ている。そしてその不安の原因は幼少期のトラウマ体験(性被害)だと思っていたんだけど、そのトラウマ体験は意外にも克服されているのでは?と思ってきていた。
トラウマ体験についてはこちらの記事を。
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今、学んでいる心理学でもそのトラウマ体験や愛着障害を核に取り組んできたつもりなので、自分でもだいぶ変化してきているな、とは感じている。だけど、わたしの性格上ちゃんと深堀して理解しないともやもやが残る。そしてそれが気持ち悪く感じる。なので深堀してこなかった愛着障害について深堀していったら、もっとどうしていったらいいかの方向性が掴めるような気がしたんですよね。
向き合うかどうかの葛藤の末
はじめて愛着障害という言葉を知ったのがいつだったか、もう思い出せないのですが、2022年に再度目にしてからずっと心に引っかかていました。心理の国家資格として公認心理師ができましたが、5年間受験資格の緩和措置が取られていた最後の年、わたしは受験を試みていた。だけど、その結果、2点足りずに不合格となった経緯があります。
この受験勉強はすごくしんどかった。それは勉強が大変というのもあったけど、その勉強を進めて行く中で自分の過去がえぐり出され、そこに塩を塗り込んでいくような作業だと感じたからに他ならない。
傷が癒えていないことをことごとく叩きつけられたし、そんなわたしが心理の資格をとっていいものか途中からものすごく葛藤して悩んだ。葛藤して悩んでいたから、不合格結果を受け取った時には「これでよかった」と正直、少し安心した気持ちになった。
責任感の強さは人一倍。(のつもり)
その時のわたしには、この資格を持つことが重荷になってて「正しく真っ当な人でなければいけない」という観念が強くなっていた。「正しく生きられていないわたしはその仕事をする資格はないし、してはいけない」と決めつけていて、どうしても合格したい!という強い想いを持てなかったのが不合格理由だと思っている。
でも、心に問題があることは自覚していたし、自分自身がその知識を必要としていたから、このあとに今学んでいる心理学講座を見つけて受講することにした。
ここではアメリカの資格がもらえることになるんだけど、その資格が欲しいから学ぶというより、その学び自体が自分を根本から癒せる機会になるのではないかと強く思えたからが大きい。実践的にどういう過程でトラウマを癒していくのかが学べると分かったから学ぶことを決めたんですよね。
そして講座を受けていく過程の中で、このnoteを書いて自己信頼の回復を図ることを決めた。そして書いていく過程の中で愛着障害について深く向き合う必要があると感じてきて今に至ります。
親密になるほど不安になる
わたしの一番の課題であり、問題だと思っているのが、親密になるほど不安になる感覚。仕事での付き合いはとても得意だと思う。というか、そう言えるまでたくさん学んできたし、たくさん訓練して実践してきたから程よく適切な距離を保って良好な関係を築くのは苦ではなくなったし、むしろ今では得意なんじゃないかと思うくらいになった。
でもプライベートとなると途端に距離感が分からない感覚がある。もちろん親しい友人はいるけれど、ごく少数。何が違うのかと言えばきっと自分の気持ち以外のなにものでもないんだと思うんだけど、プライベートはとにかく不安が常に付きまとって仕方がない。
異性関係では著明に出るから、わたしが結婚できない理由はこれなんじゃないかと自己分析している。親密になれないわけじゃないし、恋人ができないわけでもないけどとにかく不安と上手く付き合えなくなってしまうのが一番の悩みであり最大の課題かな。
絶対的な安心感の感覚
これは、Harlowの代理母実験というもので、上記のBowlbyの愛着(アタッチメント)理論の生物学的根拠となっています。それによるとおっぱいを飲むという生理的欲求を満たしてもらうだけでは愛着の形成には不十分で、接触の快感が重要でスキンシップが愛着(アタッチメント)の形成には重要であることが証明されていることになります。
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上記の記事の「触れる・触れられる」の項目のところにも書いたのですが、このスキンシップによるダイレクトな安心感を感じられたのがはじめて受けたアロマトリートメントだったんです。
記憶をたどる限り、親に抱きしめられた記憶がわたしにはない。それどころか、寄って行くと迷惑かな、近づいていいのかな・・・とかそういう緊張感のような身体感覚の記憶はありありと感じられる。
虐待を受けていたとかそういうわけでもないし、一般的な普通の家族だったんだと思うけど、細かくみていくと不穏な空気が流れていたし、母が一番不安を抱えながら生きていたんだろうなというのが今になると見えてきている。
このスキンシップの安心感は、本来幼少期に無条件に与えられて育まれるもの。
この感覚を作っているのがオキシトシンというホルモン。気持ちよく、安らいだ気分になり、幸福感を感じさせてくれるホルモンです。わたしにとってその効果はある意味衝撃的で中毒となったように感じた。若い時はそれが彼に依存してしまう最大の原因だったのではないかな、と思っている。そしてその安らいだ気持ちいい幸福感をずっと感じていたい思いつつも、また依存して醜い自分をみるのも嫌だという気持ちの狭間で苦しくなっている。
そういう意味では施術でオイルトリートメントをしている側でも、受ける側と同じようにオキシトシンが分泌されるということが分かっています。
こうして学んでいると、わたしが施術の仕事をしているのも、すべて自分の過去を癒すためだったんだなと思うと、感覚を大切にしてきたそんな自分のことが愛おしく感じます。
愛着についてはこのサイトが分かりやすかったのでぜひ気になる方は読んでみてください。
セルフマッサージの効果と限界
こうやって書き出してみると、いくら施術をする側でも触れられる側と同じようにオキシトシンが分泌されるとはいえ、全身を他者に完全に任せてリラックスすることはできないからやはり限界はある。
身体心理学の第一人者である皮膚という「脳」の著者でもある山口創先生の研究によると、上記の結果になったという。
自己受容感度の低い人は普段から自分を大切に想うことが少なく、自分自身の容貌や境遇を受け入れることが出来ていない。しかし、自分で自分にマッサージをすることにより、施術者である自分自身との関係が信頼のおける親密な関係になることで、自分自身を信頼して受け入れる気持ちが養われると言っている。
ただ、やはり「他者とのつながり」や「他者から大切にされている」といった感覚はセルフマッサージでは育めない。
だから、わたしの場合はもっと自分が受け手になることが良さそう。お風呂上りにボディクリームを丁寧に時間をかけて塗るのと併せて、もっと人にゆだねるという時間を取りたいと思う。実際にエステにしろボディトリートメントにしろ、施術を習いに行っている時は常に施術側と受け手側を相当な時間をかけてやってきている。その時はやはりメンタルも安定していたのを思い出した。だから、親密な人との信頼関係や安心感を育むのに、それがどれくらい効果を発揮してくれるのか実証してみようかなって思います。
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