里親さんから受け取った『想い』〜今が苦しいステップファミリーのみなさんにも届いてほしい〜
ステップファミリーになった三年前、順調にスタートしたかに見えた継子との生活が一瞬にして行き詰まり、苦しみ足掻く中で出会ったnote。
整理するためなのか、記録するためなのか、吐き出すためなのか、ハッキリとした目的を持たずに、思いつくがままに綴っている私のnoteは、読み手を意識していたり、していなかったり、ものすごい転機を迎えたように大喜びした翌日に、しばらく書くこともできない日が続いたり、読み物としては纏まりがなく、かなりナマモノ感が強いのだろうと思っています。
そんな最中、誰か助けてーーーという、私の心の叫びは、言葉にしてもしなくても文章にダダ漏れているようで、ここぞというタイミングで、私の心を掬い上げてくれる優しい出来事が起きます。
これもnoteの中で。
ご自身が『里母』であるクリエイターの『森谷はち🐝』さんが、私の記事を読んで、このようなエールを送ってくださいました。
この記事を紹介することはご本人の承諾を得ていますので、特にステップファミリーのみなさんには、この、はちさんの温かい『想い』を一緒に受け取ってほしいと思っています。
どうぞ、ご一読ください。
はちさんが、なぜ、このようにステップファミリーである我が家に想いを馳せてくださったかというと、恐らく私が、はちさんの里子ノコちゃんのエピソードにツムギとの共通点を勝手に見つけて、「わかります!わかります!」と知ったようなコメントを送ったりしていたからではないかと思います。
「わかります!」というコメントは、できるだけしないように心がけています。
「◯◯したらどうですか?」というコメントも。
母との死別や、父の再婚、自身の離婚など、家族に纏わる様々な経験を通して、心が苦しいと悲鳴をあげているときの共感が更に苦しみを重ねていく辛さを味わってきたので、同じような境遇に置かれていると思っていても、ひとりとして、自分とまったく同じ気持ちになる人などいないと早くから悟ってしまったからです。
悲しみに関しては特に。
だから、できるだけそのようなコメントは差し控えようと気をつけながらも、あまりにもノコちゃんにツムギが重なって、ついつい書き込んだりしてしまったのです。
はちさんは、里母歴5年。
ノコちゃんは、小学5年生。
私は、小学4年生のツムギの継母になり、3年。
ツムギは、中学1年生。
母歴は私の方が短いのに、はちさんが書くノコちゃんの日常を覗いていると、「大丈夫、大丈夫、ツムギもそうだったけど、少しずつ大人になりますよ」と、まるで先輩風を吹かせるような思い上がった気持ちが、自然と芽生えてしまっていたのではないかと思います。
今回のはちさんの記事を読んで、ガツンと後ろから頭を殴られた気がしました。
(はちさん、いい意味で言っていますので、ご心配なく笑)
はちさんは知っているんだ。
私が、なんだろう、なんだろうと、宇宙人を観察するような目で見ていたツムギの言動の正体を。
知っているのに、まだ心を痛めることがあるんだ。
里親家庭については、浅い知識しかないので、あまりここで不用意なことを言いたくないのですが、はちさんから見た里親家庭へのサポート(例えば、定期的に通う児童相談所など)は、年数が経てば経つほど、非日常となっていき、共に成長してきた里子ちゃんと連れ立って行くのは、段々難しくなっていくのではないかと勝手に想像していました。
常に第三者(児童相談所の方など)の目があることが、ともすれば、煩わしさに変わるのではないかと。
けれども、それを前提とした家族の成り立ちからすると、それぞれがすごくいい関係を築いていて、だからこそ上手くいっている側面が大きいのではないかと、はちさんの記事を読むにつれ、感じるようになってきました。
里親家庭とステップファミリー、血の繋がらないこどもを育てているという共通点はあっても、その成り立ちは異なります。
その違いは、こども側に大きく影響するのではないかと思っていましたが、大人側にこんなにも違いがあるとは。
では、はちさんがおっしゃるような、ステップファミリーへのサポートについて考えてみると、それはまた、多様化し過ぎていて、難しいのだろうと思いました。
私もいくつか、ステップファミリー経験者の方が立ち上げたサイトに辿り着き、その中から答えを見つけようとしたことがあるのですけれど、これは我が家には当てはまらない…という点を選り分けながら読み進めるうちに、結局、これは上手くいった人の結果論なんだと、打ちのめされてしまうのです。
なんというか、結局、閉じられた世界であることが問題なのかな…と思います。
子育てというか、家族というか、一昔前までは開かれた環境にあったものが、一気に核家族化してしまって、何か問題が発生して初めて、自分から情報を取りに行かなくてはいけない時代。
それなら、性の話だけではなく、その先の、アタッチメントの重要さまで、みんなが知識として学べたらいいのに。
私も、ツムギと暮らすまでは、恥ずかしながら、子育ての大変さをあまり理解していませんでした。
私が成人した頃はまだ、行き遅れだの、クリスマスケーキだの、腰掛けだの、女性は20代で結婚してこどもを産み育てるのが幸せというような時代でした。
なんでもスタンダードがあった時代。
30代になるころには、そんな価値観が一気に変わり、女性の生き方も多様化してきました。
でもそれは、それぞれの多様性を受け入れることとは程遠く、いくつかの分断をしながら、カテゴリーごとにその地位を確立していったに過ぎないのではないかと思います。
大人たちがどんな時代を生きようと、こどもたちは同じように産まれてきて、同じように愛着を必要とし、同じように心を育てて成長していかなくてはいけない。
今こそ、社会全体で、垣根を壊し、相互にサポートし合いながら子育てができる環境を作っていく時なのではないかと思います。
それは、こどもがいてもいなくても。
ノコちゃんがお友達の名字が変わることを、普通に話しているように、ツムギがステップファミリーだということを公言しているように、次の世代でまた、新たな価値観が生まれてくるのかもしれません。
はちさんは『知る』ことが大切だと改めて感じたとおっしゃいました。
私の記事はその『扉』だったと。
今まで私は、同じ境遇のステップマザーさんが悩んでいるときに、私の経験が何かの救いになってくれたらいいなぁと思っていました。
はちさんとの出会いを通して、ステップファミリーではない方々にも、読んでいただける機会があれば嬉しいと思うようになりました。
「里親なんて自分にはできないわ。すごいわねぇ」と世界を分けないで。
「親の離婚や再婚って、今や珍しいことじゃないよね」と当たり前で片付けないで。
そして自分自身も、自分の目の前のことに必死になり過ぎず、優しい社会の一員になれるように、知らない『扉』をひとつずつ開けてみたいと思うようになりました。
はちさんの寄り添い方は、優しくて温かい。
私もそういう人になりたいと思いました。