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One life

第二次大戦の最中、プラハの子供達をロンドンへ避難させた男の物語(2024/6/22鑑賞)。

英語学校に通っていた時、「戦後」という表現を”After the war”を表現した生徒がいたが、先生曰くそれでは海外では通じないのだそうだ。なぜなら、世界では今も戦争が起こり続けているから。なので”After World War Ⅱ”となるようで、確かに世界の文脈で言えばそうだなと感じる。
当時は今よりも世界のニュースを見ていなかったのもあって、今のほうがピンときやすい。しかし当時も実際には戦争が起こっていた。

この映画を見たのは1ヶ月前だが、今はパリオリンピックが開幕したところだ。ある国の選手は数百人が戦争の犠牲となったため、参加者が数名しかいないところもあるという。最近はあまりオリンピックを見ないが(そもそも4年に1度だから最近でも数年前だけど。)平和の祭典、国際的な調和と言いながら、国ごとにメダルの数を数えている不思議な矛盾は今も続いているのだろうか。
今朝の日本のニュースでは呑気に数えていたようだが。

第二次世界大戦は、戦争という狂気に加えてナチスという集団がいくつものストーリーを産んでいるようだ。先日見た関心領域でも残虐な描写(正確には、残虐さそのものは描写されていない。)があったし、この映画でも一般市民や子どもたち、そして子どもたちを助けようとした勇敢な女性が犠牲になった。
子どもたちをロンドンに避難させるというと壮大な美談に聞こえるが、実際にはいくら崇高な動機があったとしても無制限に受け入れるわけにはいかない行政側の事情と、それを理解しつつ身銭を切って、いやそれ以上の自己犠牲を払って子どもたちのために立ち向かった主人公には驚嘆するほかなかった。
自分と全く関係のない、国も人種も違う子どもたちのために、何が彼をあそこまで駆り立てたのだろうか。

行政手続きが遅々として進まない中、彼の母親が行政官に言い放つ。そのセリフは怒っていたり、失望していたり、ましてや嫌味などの類のものではなかった。いや怒りは滲んでいたかもしれないが、とても誇りに満ち、清さも感じられた。
正確にもう一度聞きたくて調べると、このようなセリフだったようだ。

Young man, I have something to tell you. Sit down. I came here 30 years ago, from Germany, to marry. I raised my family here. My husband is buried here.
And what I have most admired about this country is its commitment to decency, kindness, and respect for others.
I raised my son in accordance with these values and he is in Prague, now, as we speak, putting these values into practice.
I am merely asking you to do the same. Is that too much to ask?

とても良い内容だと思う。特に”commitment to decency”というのは劇場で聴いた時からずっとその響きが頭の中に残っている。自分は毎日がとても楽しいと思って生きているが(驚いたことに、それは珍しいらしい…)、それでもハードなシチュエーションというのはやはりあって、そんなときに一応自分なりに大切にしているのは、相手を裏切らないとか、お客様本意でいるとか、誠実であろうとかそういうことであるが、それとは比べ物にならないくらいの高みに彼はいるのだなと思うと、自分なりの毎日の誠実さなど本当に些細なものだと思い知らされる。

でも、僕は僕ができることをやり続けていく。そしていつかプラハのあの地を訪ねてみたい。彼のような特別な人間に少しでも近づけることを願って。

後半のシーン、彼は讃えられるのを拒んでいた。助けられた数よりも、助けられなかった数を悔いていたのだろう。しかし実際に彼に助けられた人々と対面した時、彼は涙していた。
こんなにも多くの人を助けられたと実感して、嬉しかっただろうか。それとも、彼のことだ、やはり助けられなかった子どもたちを思ったのだろうか。自分を許せたことを願いたい。

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