人事の持つべき「公平・公正」①(公平)
人事として仕事をしているとよく聞く言葉が「公平」と「公正」だ。
「公平」とは「かたよらずに、えこひいきがないこと」(広辞苑第6版)とされ、「公正」とは「①公平で邪曲のないこと。②明白で正しいこと」(同上)とされる。
公平とよく似た言葉である「平等」は「かたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこと」(同上)とされ、辞書の上では似たような意味のようだ。
置かれた環境はみんな違う
人事として仕事をする上では、「公平」は機会均等、「平等」とは結果の均等という意味で区別して使われる。
会社では数多くの従業員が働いており、事務所で働く人もいれば、実験室で研究する、製造現場で深夜の時間帯に製品を作っている人もいる。それだけいろいろな人がいれば、有給休暇の取り方ひとつとっても取りやすさは違う。製造現場では暑かったり、危険を伴うこともある。
従業員一人ひとりの有給休暇の取り方や労働環境を平等、つまりまったく同じにすることはできない。むしろ、それぞれの現場に即した形で、従業員一人ひとりの満足度を高める方が、現実的で効果的だ。
それが会社の「働きやすさ」だと思う。
「公平」は個人の納得感ではかられる
ここで「公平」が出てくる。全社でルールを定め、そのルールを守る。もし、労働条件が異なる場合は、その分処遇の差をつける、といったことである。
しかし、「休暇の取りやすさ」や「仕事のキツさ」など、人事が取り扱う多くの事柄は客観的数値に表せない。休暇の取得日数といったデータを集めてみても、上司の方針や組織の人数など「休暇の取りやすさ」に影響する要素は含まれていない。
「公平」とは客観的なデータよりも、一人ひとりの心の中にある納得感であることの方が多い。
時空間を広げてみよう
現実に「公平」な取り扱いをするには、時空間を広げて考えてみることが大切だ。
ここまでは「いま」に限定して話を進めてきたが、「過去」に目を向けてみよう。去年と今年でいきなり休暇の数が5日増えた、給与が10万円上がったとしよう。従業員は喜ぶだろうが、一方で「どうして今なのか?」「去年もらえなかったのはおかしいんじゃないか」という声が出てきてもおかしくない。
会社の方針が変わった、社会的な動きに追随するなど、「過去」と「いま」で会社を取り巻く環境が変わったのかもしれない。
もしくは、社内各部門の実態を比べてみたら、特定の部門だけ処遇が著しく悪いことが発覚した、つまり「いま」の時間軸の中でも他と比較したときに公平性が欠けていたのかもしれない。
または、将来を見たときに、ここで勝負をかける必要があると決断し、「未来」のための先行投資なのかもしれない。
時空間を広げてみると、「いま」の見え方が変わり、答えが見えてくることがある。
「過去」から「未来」に継承
「公平」は、時空間を広くとらえるほど強度が上がる。制度やルールの歴史を学ぶ、制定当時の担当者の思いや取り巻く環境を深く知っておくといったことだ。
作られた「過去」当時の環境や事情、解決したかった課題、そこからどういった経緯で「いま」に至ったのか。そうしたことが分かってくると、自ずと答えは見えてくる。
過去が見えてくれば、そこには会社として培ってきた歴史や文化があり、脈々と受け継がれてきた組織の思いも見えてくる。その中でも大切なことを「未来」に向けても守ることが、その組織において公平に処遇するということである。
やっぱり人事は保守的だ
「公平」とは納得感であることはすでに述べた。不特定多数の納得感を醸成するには、突飛なことでは難しく、過去に引っ張られることは多い。
その点で、「公平」を旨とする人事はやっぱり保守的だ。過去に縛られてしまう。でもだからこそ、人事が決めたことなら間違いない、と安心してもらえる。
そんな風に社内で信頼される、「公平」な人事でありたい。