逆境の中にこそ夢がある!
今回の紹介は「熊本地震4.14」です。
8年前の4月14日、4月16日と震度7の地震が熊本を襲いました。
この2日間は夜に発生しており、まだ寒さが残る夜に避難したことが昨日のようで、避難所でも大小の余震が何百回と続き、体が揺れに対して敏感になっていったことを覚えています。
この8年間で、変わったこと、まだ変わらないことが明確になってきていますが、着実に復興は進んでいます。
先日は、熊本城の宇土櫓素屋根特別公開もありました。
実は熊本城は過去にも災害や戦争で被災してきました。江戸時代の地震では23回を数え、その中でも1625年、1633年、1847年の地震では、熊本城に被害があったことが明らかになっています。寛永2年6月の地震では、焔硝蔵爆発、天守・石垣に被害があったと伝えられ、
明治22(1889)年7月28日夜半には、金峰山山麓を震源地とする推定M6.3の地震が発生し、熊本城の被害は甚大で、石垣崩落42カ所、石垣膨らみ20カ所、崖崩落7カ所、さらに建物の損壊があったと残されています。
また、西南戦争1877年、薩軍が迫りつつあった2月19日に謎の出火で天守や御殿などが焼失しました。
熊本城もその都度、修復されて今に至っていることから、270年経っても守りの堅い城と言われているのもわかりますし、現在でも魅了される城となっています。
さて、話しは現代の話に戻しますが、熊本県益城町でも4月14日はさまざまなイベントがありました。
①県道高森線の4車線化事業が熊本市内から1.0Kmから新たに620m延伸。
②国天然記念物の布田川断層帯谷川地区落成式
③追悼式(ワークショップ、竹灯籠)
竹灯籠に込められたメッセージは、熊本地震を経験したからこそ、能登半島地震、台湾地震の被災されている方々の気持ちに寄り添い、熊本からもできる限りの支援と、共に前を向いて復興していこう、そんな思いで追悼式に来られた方が多くみられました。
この記事のタイトルは、蒲島知事の言葉からとっている言葉です。
4期16年を知事としての責務は今日で一区切りとなりましたが、さまざまな逆境がある中で、熊本県を第一に、県民に寄り添い開拓されてきた姿は素晴らしく、誇らしく思います。
次の世代へとバトンを託された木村新知事も、蒲島知事と同じく、これからの熊本県の可能性を引き出し、さらなる開拓と発展させていくという強い考えだと思います。
私も、この蒲島知事の言葉を活かして、自分の言葉として考えてみました。
「逆境の中にこそ夢がある」にプラスして、「逆境の中にこそ可能性がある、可能性があるから夢が持てる」という言葉を、これからの益城町や熊本県の発展に貢献し、辛い思いをされている被災地の復興のためにも出来ることをしていきたいと思います。
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