不登校からの卒業(22)
学校はなぜ同じでないといけないのか?
~不登校を見つめる(5)~
藤原和博先生と聞いて、ご存知の方も多いと思います。
東京都初の中学校の民間人校長として、活躍された後も、「教育改革実践家」として、活動をされていらっしゃる、たいへん有名な先生です。
この藤原先生が、2015年頃に行われた、GLOBIS経営大学院の「あすか会議」で講演された動画がYoutubeにアップされています。
この動画の中で、藤原先生が20世紀と21世紀の社会の違いを、とても端的に説明されていらっしゃいます。
この講演で藤原先生は、20世紀は「みんな一緒」、21世紀は「それぞれ一人ひとり」の社会だとおっしゃっているのです。
藤原和博先生 たった一度の人生を変える勉強をしよう
この違いを見たときに、まだ、学校は20世紀、特に昭和、平成という時代をひきずっているように思いました。
それは、今の日本社会を見たときに、学校が20世紀的な部分を引きずっていることは、ある意味で必要なことなことも理解はできます。
それでも、21世紀も20年以上過ぎた、今、もう時代に合わないところが多々あることは、間違いのない事実です。
だからこそ、文部科学省も、新しい学習指導要領に、一人ひとりに最も適した学びとしての「個別最適な学び」を明確に打ち出していることからも、わかるのです。
しかも、それだけではいけないので、「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実ということを、目標にもしているのです。
このように、今、学校は「みんな同じ」から「一人ひとりを大切に」という変化の過渡期だと言えるかもしれません。
大きな視点で見たときに、この過渡期だからこそ、一人ひとりを大切にしてほしいと思う子ども達が、「不登校」になってしまうこともあるのではないかと、私は考えています。
学校の変化が、遅そすぎるのではないかという意見もあるのですが、社会の変化に対して、公教育をそんな簡単に変えることが難しいことは、混乱をさけるためには、やむを得ないこともあるでしょう。
また、30年後、50年後の日本をどのようにしていくのかということをしっかりと見極めた上で、方向転換をする必要もあるため、そんな簡単に国の教育方針を変えることはできないでしょう。
それよりも、学校で働く先生方が、自分達が受けてきた教育と、子ども達に行う教育の方向が180度違ったとしても、それを実践しきるだけの力が必要なのです。
自分達が受けてきた教育とは、全く異なる教育を学校が行うことになったときに、働く先生方も、子どものご家族も、大きな戸惑いしか生まれないことは、容易にわかることです。
だからこそ、今、学校は、ようやく「みんな同じ」から「一人ひとりを大切に」へと、大きく舵を切り始めた、その過渡期にあるのではないか、そのために、ものすごくたくさんの不具合が生じているのではないかと、私は思っています。
それは、ご家族にも起こっていることだと思うのです。
ご家族が受けてこられた学校教育と、今の学校教育や社会の状況が、全く違ってしまっています。
それでも、ご家族が自分達が受けた学校教育を基準に、例えば、中学受験から大学受験までを子ども達に勧めた場合、子ども達が現実とご家族の勧めとのギャップに混乱することは、十分に考えられると、私は心配しているのです。