不登校からの卒業(21)
学校の空気を作るのは誰か?
~不登校を見つめる(4)〜
学校での集団生活、集団行動は、「空気」というものによって支配されていることはお話しました。
この「空気」が、楽しい学校生活も作り出せば、不登校やいじめをも生み出していると私は考えています。
そのことを裏付ける本があるのです。
たいへん有名な本ですから、お読みになった方も多いと思います。
山本七平(1977)『空気の研究』、文藝春秋
この本にすでに、この「空気」が「いじめ」を引き起こすことが既に記されているのです。
山本七平先生は、大東亜戦争の時から、日本は何も変わっておらず、論理的思考とデータによって物事が決まるのではなく、あくまで、その時の「空気」によって決まると、今から46年も前の1977年の時点で、おっしゃっているのです。
その山本先生の『空気の研究』をさらにわかりやすく解説し、この「空気」を打破する方法を解説してくださっている書籍がこちらです。
鈴木博毅(2018)『「超」入門 空気の研究』、ダイヤモンド社
鈴木先生の、この『「超」入門 空気の研究』の第2章に、
すべていじめは「お墨付き」を得て始まる
というところがあります。
ここでは、
内藤 朝雄(2009)『いじめの構造ーなぜ人が怪物になるのかー』、講談社
から引用し、いじめが最初始まる時の様子が、細かく描写されているのです。
「ほとんとすべてのいじめは、安全確認済みで行われている。」
ここに書かれている通りのことが、学校で行われてしまっているのです。
まさに、安全確認をして、自分達が反撃されたり、厳しく注意を受けないという大前提を作って、周りの子ども達もそれを止められない「空気」(前提)を作ってからいじめているのだと、書かれているのです。
私も、これまでご相談いただいたり、直接目にしてきたいじめを見てりして、まさにその通りだと思うのです。
ここで、問題なのは、この「空気」(前提)となる安全確認を、誰が許しているのか、ということなのです。
厳しいかもしれませんが、この安全確認を許しているのは、「学校の先生方」だと、私はずっと思っています。
それは、あまりにも厳しい意見かもしれません。
しかし、知らなかったで済むことではないのです。
この安全確認をさせてはいけないのです。
その前に、それができない「空気」を作り上げないといけないのです。
安全確認を止めることができないのは、あり得ることです。
先生方も、そこまで気を配ることは難しいことも承知しています。
しかし、学校全体として、絶対に、この安全確認をさせない「空気」を作り上げないといけないのは、先生方の責任だと私は思うのです。
なぜなら、学校は、どんなことがあっても、子ども達にとって「安心・安全の場」でなければならないからです。
それが成り立たないのであれば、学校に来ることはできません。
不登校になるしかないのです。
まして、いじめられるとなれば、戦場に送られているのと何ら変わりがないと言われても仕方がありません。
学校の「空気」を一番作っているのは、子ども達だという意見もあります。
しかし、いじめによってわかる通り、子ども達が作る「空気」は変化するのです。
テレビで行われる芸人さんの、叩いたり叩かれたりする様子を見ているのですから、そのくらいはどうってことない、という「空気」がもとからあるのです。
それを「いじる」という表現で誤魔化していることもあります。
それが、いじめの大前提となる安全確認になることもあるのです。
そんなことが、起こらないようにする「空気」を作ることができるのは、校長先生をはじめとする先生方しか無理なのです。
安心・安全な学校の「空気」を作るのは、学校の先生方だと私は強く思うのです。