不登校からの卒業(31)
不登校の真の解決とは(6)
他人と比べることなく、素直で、謙虚で、本当に心の優しい不登校になった子ども達なのですが、同じような子どもで学校に通っている子ども達もいます。
この子ども達もすばらしいのです。
学校に通っているかどうか、ではなく、その子ども一人ひとりがもっているもの、人間性で語られるべきことであって、通っているから良い、通っていないからダメというのはおかしいのです。
「学校に行けない、どうしよう、これではダメだ!」と言っているのは、実は大人なのです。
一つには、多くの大人が、不登校の経験がありません。
だから、不登校になったらたいへんだ、と思ってしまいます。
何がたいへんなのでしょうか。
何が問題なのでしょうか。
問題の本質は何なのでしょうか。
不登校の真の解決は、子ども達が
・素直であること
・自己受容、自己肯定できること
・謙虚であること
・他人と比較しないこと
・考え続けること
の5つを取り戻すことができれば、本当に不登校を卒業したと、私は考えています。
これが真の解決ではないかと思うのです。
この中で「考え続けること」は「不登校になった理由を考え続けること」と具体的に言い換えてもいいかもしれません。
学校に行かないことで、困ること、問題になることがあるとすれば、それは、コミュニケーション力だったり、対人的なスキルの問題なのかもしれませんが、それは、この5つを取り戻すことができれば、クリアできる問題だと思います。
外に出ること
勉強すること
学校復帰する
別室登校する
フリースクールに通う
進学すること
他の人と触れ合うこと
アルバイトをする
これらは、5つのことを取り戻すための“道具”でしかありません。
これらの“道具”を使って、この5つを取り戻すことができれば、不登校になったことを乗り越えたと言っていいと思うのです。
これらのことをできるようになったからと言って、不登校の真の解決をしたと私は考えていません。
なぜなら、子ども達がどこかで失ってしまった本来持っていた素晴らしさを取り戻すことができていない、自分を取り戻せていない状態のままで、不登校のことは解決したとは、とても言えないと思っているからなのです。
外に出ることができたり、学校復帰することができても、自分を取り戻せていないと、どんな人とも「対等」につきあうことができません。
自分を見失った状態のままでは、他人と「対等」にはつきあえません。
これが、私が不登校の真の解決が必要だと主張する一番の理由なのです。
社会で生きていくために、自分を取り戻すことが、どうしても必要だと私は不登校になり悩み苦しんだ子ども達から学んだのです。