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【読書感想文】『奇跡の脳–脳科学者の脳が壊れたとき』
とあるアメリカの女性が脳卒中になるが、実はその女性は脳科学のスペシャリストだった。著者は「脳が壊れたときに自分の身に何が起こるのか」を直に体験しながら、壊れいく意識のなかで「脳が壊れたらどうなるか」を懸命に記憶に留めたのだった……。結果として、著者は8年のリハビリを経て脳卒中から回復する。本書は脳が壊れてから回復するまでの実体験を一冊の本にまとめたものだ。
どこかV.E.フランクルの『夜と霧』に通ずるところがある。精神分析医だったフランクルが、アウシュビッツのなかで死と隣り合わせになりながら「人間」を見つめたように、本書では脳科学者が自分の壊れた「脳」を観察し分析する。
読んでいると脳というものが、いかに高度なことをしているのかが本当によくわかる。
たとえば、コップを持つ、なんていう当たり前のことも実は大変なことなのだ。
まず、どこを持てばいいのか、瞬時に判断する。
コップの取っ手に向かって、寸分の狂いもなく指を添え、中に入っている水や飲み物をこぼすことのないように瞬時にコップの形状と重さを計算しバランスを取り、自分の口に運んで飲み物を飲むことができる。
こんな当たり前のことのどこがすごいのか、と思われるかもしれないが、脳が壊れていたらこのどれもできないのである。
まずコップが認識できなかったりもするし、コップを使って飲み物を飲みたい! と思っても体が動かせなかったりする。いざ体を動かせたかと思っても、思うように動かせず狙ったところに手が置けない。
コップを持つ、というのはあくまで一例だが、端的に全ての行動や思考も含めて、脳みそが行なっている膨大な処理や計算は、僕たちの想像を超えて凄まじいものであり、脳みそという機能を有していることはほとんど奇跡と呼んでも差し支えないものなのである。
もう一つ、個人的に面白かったのは、脳の機能が失われると、いろいろなものの境目がわからなくなる、というものだ。
境目がわからなくなるので、自分と世界の区別がなくなる。どこからが自分で、どこからが世界なのか不明瞭になると、全てが一緒になり、ただただ心地よい領域に至るという。
これは一種の、悟り、のような境地にも思える。自他の別のない、忘我の状態。
自分と他者、他者と自分。
自分と世界、世界と自分。
脳みそが「分けて」考えているそれらが、一緒くたになる時、自分=世界という等式が成り立ち、心が悟りに至った者のように穏やかになるのではないか。
脳という凄まじい高度な機能を当たり前のように有しているので、わざわざその当たり前について考えることがないが、よくよく考えてみると自分の行動の一つ一つ、思考の一つ一つのどれもが、まさに奇跡的に行えているものでしかないことに気がつく。
改めて思うが、こうして生きていること自体が、実はものすごいことなのである。普段自分が当たり前だと思っていることが、実は一番当たり前でないのだと知る時、自ずと湧いてくる謙虚な気持ちを大切にして日々を過ごしたいと思う。