これからを生きる(「認知症の第一人者が認知症になった」を観て)
2021.9.23【78限目】
秋を楽しむ
今年の中秋の名月は、8年ぶりの満月にあたり1年で最も美しい月とされています。私の子供の頃や、子どもたちが小さかった頃は、ススキをとってきて飾ったり、おだんごを食べたりして、楽しいお月見でしたが、忙しい生活の中で、月をめでる習慣が少なくなっていたように思います。
近年は、家にいることが多く、夜に月や星を眺める心の余裕も、時間もたっぷりあります。秋の夜長にスズムシなどの鳴く虫たちの声を聞き、夜遅くまで起きて、自分の時間を楽しんでいます。
21日の夜は、雲の合間から美しい十五夜お月様を見ることが出来ました。いつもなら常夜灯を付けて眠るのですが、あまりにも外の月明かりが明るく、障子越しの月明かりで、部屋の中が薄明るかったので、月の光を感じながら、心地良い気持ちで眠りにつきました。
お彼岸を迎え考えたこと
お彼岸の22日は父の月命日で、お寺さんの月参りがありました。お彼岸は、夫の実家のお墓、私の実家のお墓、私たちのお墓と3か所のお墓参りをします。ご先祖様に手を合わせ、感謝の気持ちを伝えています。
最近、お墓参りに行くと、いつかはここに入るという事を感じ、身近な存在になっています。時々、ここに入ったら、父や母や亡くなった人たちと会えると思うようになって、あまりいやなことではなくなっているのが不思議です。
でも、そこにたどり着くまでの過程をしっかり生き切り、先輩方に“よく生きた”と言ってもらえるようにしたいです。
敬老の日を迎えて 長谷川さんから学んだこと
敬老の日関連の番組で、NHKスペシャル 「認知症の第一人者が認知症になった」(NHKオンデマンドで配信中)認知症医療の第一人者である医師の長谷川和夫さんが認知症になりました。その長谷川さんのお話に、心が動きましたので、お伝えします。
長谷川さんは、かつての先輩から授かった言葉がありました。「君自身が認知症になって、初めて君の研究は完成する。」と、そして生涯をかけて認知症と向き合ってこられました。
「自分の姿を見せることで、認知症とは何かを伝えたい。」と、自らの認知症を公表し、家族に支えられながら、講演活動を続けておられます。
長谷川さんの不安や家族の葛藤があり、その中から認知症を生き抜くための「手がかり」や「希望」を語っています。
長谷川さんの研究者としての立場と、認知症になってからの思い
約40年前に認知症のデイサービスを提唱し、実践した一人が長谷川さんで、それは家族の負担を減らし、認知症の人の精神機能を活発化させ、利用者が一緒に楽しめる場所の重要性を訴え続けてきました。
長谷川さんが認知症で、デイサービスに行くことになり、そこで、ゲームなどの楽しい活動をしても、笑顔はありませんでした。
「医者のときは『デイサービスに行ったらどうですか?』ってそうゆうことしか言えなくて、介護している家族の負担を軽くするためには非常に良いだろうぐらいな、素朴な考えしか持っていなかったよ。デイサービスに行って、みんなと一緒に楽しむ活動をしても、楽しめない人もいるので『今日は何がしたいですか?したくないですか?』って、ことから出発してもらいたい。一人ぼっちなんだ。俺は。あそこ(デイサービス)に行っても。」と、本音を漏らしておられました。
長谷川さんのお話から 認知症の人の側から見えたもの
講演会で「今日も家内が一緒に来ています。家内と一緒に暮らして、同じ苦しみ、楽しみを分かち合って過ごしておりますけれど、家にいるときでも、毎日毎日ひとつひとつのことに、笑っているということがとても大切だと思います。」と言っておられました。
また、「認知症とは何か、それは一つの救いだ。」と、長谷川さんは言っておられました。「余分なものは、はぎとられちゃっているわけだよね。認知症になると、認知症はよく出来ているよ。心配はあるけれど、心配する気づきがないからさ。神様が用意をしてくれた一つの救いだ。」
取材の後で「認知症になって見える景色はどんな景色か。」と、尋ねられて、「変わらない、普通だ。前と同じ景色だよ。夕日が沈んでいくとき、富士山が見えるとき、普通だ。会う人も普通だ。変わらない。」
「認知症の人は、急にぱっと認知症になったわけではない。普通の状態と連続しているんだ。だから、普通の人なんだよ。」
「認知症は、『暮らしの障害』なんだからね。お互いに心の絆っていうのを大切にして生活する。そして、その心の絆っていうのは、一人一人がみんな違うから、一人一人が尊い存在であり、一人一人が大切な存在であることを自覚して、そして、今、今の瞬間。過去はもうよし、今を大切にして、今何を自分が出来るかってことを努力して、そして、それを明日につなげる。未来につなげる。そういうことが大切じゃあないか。そういう人を育てていくことが大切。」
「『大丈夫ですよ。』と、言ってあげるだけでも、ホッとするだろうしさ。」
「老人で一番うれしいことは、まだ社会の役に立つことができると自覚できることである。」と、認知症の人の立場から、お話をされていました。
これからを生きる
私は、これから向き合うことになるだろう認知症については、母の晩年は、認知症を患い看護をしたこともあるので、母と同じように認知症になるかもしれないと、少し不安で、心配もしていました。
長谷川さんのお話を聞いて、もし、夫か、私が認知症になっても、二人で苦しんだり、楽しんだりして、一日一日を大切に、楽しく過ごせばいいと理解することが出来て、心が軽くなりました。
今では、医療も研究も進み、認知症の早期発見や治療法が進み、認知症に対する理解も広がってきています。夫が後期高齢者の運転免許の更新の時も、私が入院する時(白内障の手術)も認知症の検査がありました。
日本は、長寿国。これからは、医療も進み認知症の人が住みやすい世の中になっていきます。
「大丈夫。大丈夫。」ですね。
喜寿のお祝いが届き、思うこと
先日の敬老の日に自治会から、夫に喜寿のお祝いで、記念品とお佃煮の詰め合わせを頂きました。来年が77歳ですが、数え年で頂きました。長く人生を歩んできたご褒美です。
夫は、高校のソフトテニス部の部活指導員をしており、今日は、1・2年の新しいチームの初めての試合があり、まだ暑い中、一日中試合に付き添って外にいました。来週は自治会のゴルフコンペもあり、試合から帰って、三男とゴルフの練習に行って楽しんでいました。
毎日、体を動かして元気にしていますが、あらためて、もう喜寿の年だと、認識しました。この年まで、元気に過ごさせて頂ける幸せを感じると共に、健康寿命を長く続けるように、食事や体調に更に気を配っていこうと、改めて思いました。
【編集担当より】
晩年の祖母は、亡くなるまでの10年ほど認知症でした。男勝りな気丈な人で、経理の仕事もしていたことがあるので、実家のお金の管理を一手に引き受け切り盛りしていました。認知症に家族が気付いたのは、少し計算が難しくなってきた頃でしょうか。
家族や親戚、友人など人に恵まれ、娘二人(けい先生姉妹)が毎日施設に足を運び、孫や親戚も頻繁に顔を出していました。最後は、ほとんど寝たきりになっていました。それでも施設に行くと、楽しそうに笑ってくれました。(余談ですが、編集担当は祖母の初孫兼養子になっていましたので、今際の際まで認識してくれていたようです)
記事にもありましたが、祖母を見ていると認知症とは、幸せな部分もあるなと思っています。またそれまでの人生の在り方が、最後の時間に垣間見えるようにも思います。元々人が大好きで、人に愛される祖母でしたが、認知症が進むにつれ、毎日のストレスがリセットされるのか、いつも笑顔で楽しそうにしていました。またそんな笑顔を見て、毎日頑張ろうと思ったものです。(病院にいたときは、なぜか退院するときに看護師の方や同室の方が泣いて寂しそうにしているという現象が頻発していましたのは謎ですが)
健康寿命を以下に伸ばしていくかが、人生100年時代では大事なことかもしれません。医療の進歩で、身体の機能を維持することは、より容易になっていくかもしれません。脳の機能を維持することは、難しい部分もあるかもしれませんが、何事もトレーニングが大事かなと個人的には思っています。実は、このnoteも母親の脳をフル回転させることが目的の一つだったりもします。
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