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日本史の手遊び

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Twitter企画“歴創版日本史ワンドロワンライ”で発表した掌編物語をまとめました。
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記事一覧

天の岩戸

天の岩戸

「まったく、スサノオどのにも困ったもんだ」
天安河の岸には高天原の神々が集まり思案にくれていた。
この世界を治めるオオヒルメの弟であるスサノオがこの地に来てからというもの、勝手気儘の振る舞いが目に余り、途方に暮れたオオヒルメは天岩戸に篭ってしまった。以来、この地はもちろんのこと葦原中つ国まで真っ暗になり、作物は枯れ、禍々しきモノまで跋扈するようになった。
「中つ国では高天原に対する信頼が薄らぎ、こ

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竜田川

竜田川

 彼の前に一幅の絵が広げられた。
「竜田川ですね」
「はい、これを屏風に仕立てるのですが、あなた様の歌をぜひ添えたいのですが‥」
「はい、わかりました」
 答えた彼の脳裏に以前訪れたかの地の風景が甦った。
 紅葉を求めて彷徨っていたところ斑鳩の地に着いた。せせらぎに誘われて川辺に行くと唐紅の布が敷き詰められていた‥いや、もみじ葉が川を埋めているのだ。こんなことは神代にもなかっただろう。
  千早ふ

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四天王寺縁起

四天王寺縁起

「戦況は芳しくないな」
 敵の本拠地に勇んで来たものの既に稲城(いなき、稲を積んだ砦)が築かれ、味方は攻めあぐねていた。
 この戦いは何としても勝たねばならなかった、我が国を仏土にするために。これは、この国の人々にとって善きことなのだから。
 敵の矢が味方の兵にまた当たった。兵士たちの士気が次第に落ちてきた。
「まずいことになった‥」
 彼は立ち上がると近くにあった白膠木(ぬるで)を伐って来ると、

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同行二人

同行二人

    夕食を終えた曽良は机に帳面を広げた。
 今日は茶屋で団子を食し、そしてここの宿代は‥」
 まず本日の出費を記入する。
 そして今日の旅を振り返り書き連ねる。
 今回も師匠は旅日記を刊行する。だが、事実をそのまま記した内容ではない。旅の中で詠んだ俳諧が生きるように旅自体を再構成するのである。
 自分が日々付ける記録はその資料になるのだ。

 周知の通り、松尾芭蕉には多くの門弟がいたが旅に随行

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母の思い出

母の思い出

廃藩置県が行われ、沖縄にも本土と同じような新式学校が設置されました。
しかし、この地の人々は日本風の新式学校に懐疑的でした。
しかし、私の母はこれからはこうした教育を受けなければ駄目だろうと、親族の反対を押し切り、独断で私を師範学校附属小学校に入れました。
私はこのことを生涯感謝しました。母は無学でしたが先見の明があり実に賢い女性だったといえるでしょう。
#歴創版日本史ワンドロワンライ · 20

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少納言の回想

少納言の回想

 あれは二月の二十日頃のことだったかしら。
法興院の積善寺という御堂で故関白さま(藤原道隆)が一切経の供養をされたことがありました。
 中宮さま、女院さま、中宮さまの妹君もお集まりのなか、関白さまが青鈍の御指貫、桜の御直衣をお召しになってお見えになりました。その御姿は立派で中宮さまの美しさとともに家族や友人知人に見せたいと思いました。
関白さまは私たち女房に軽口を仰りその場を和まされました。
また

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光源氏誕生譚

光源氏誕生譚

盛者必衰ーー
その人物のことを考えるたびに浮かぶ言葉だ。
帝の御子として生を受けたものの臣籍降下。
左大臣まで上り詰めたものの、帝を輔弼する地位を目前にして太宰府へ左遷。
従者が謀反に加担したらしい。彼の預かり知らぬことのようだが‥。

彼が太宰府から戻ったのち、再び官位を極めたらどうなっただろう。
ふと頭の中に物語が浮かんだ。
帝の庶子で眉目秀麗で学問も詩文も得意な好青年はどのような人生を歩むの

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秋風記(あきかぜのき)

秋風記(あきかぜのき)

久ぶりの旅はやはり楽しいものだった。
各地の仲間との交流、名物を食するのもよかったけれど、何といっても芭蕉師匠の「奥の細道」を辿れたのは有意義だった。
詠まれた風景が自分の思っていたものもあれば、全く異なることもあった。
いずれにしろ、今後の自分の俳諧には役に立つだろう。

『秋風記(あきかぜのき)』を書き終えた諸九尼は、今回の奥州の旅をこのように振り返るのだった。
#歴創版日本史ワンドロワンラ

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維新の志

維新の志

彼の脳裏にいにしえの英雄、憂国の士の姿が浮かぶ。諸葛亮、屈原、魏徵‥。
彼らは国と民のために自身を顧みず尽くした。
自分も彼らに倣おう。

汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ
溷濁の世に我起てば 義憤に燃えて血潮湧く

見よ九天の雲は垂れ 四海の水は雄叫びて
#歴創版日本史ワンドロワンライ   3月7日。お題:維新
“昭和維新”で検索したところ、“青年日本の歌(昭和維新の歌)”というものが出てき

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真葛さんの物語

真葛さんの物語

初めてこの地に来た時、なんて寂しい所だろうと思った。
何しろ自分が生まれ育ったのは花のお江戸のど真ん中だったのだから。
一歩外に出れば人も多く賑やかで異国の珍しい文物だって見聞出来た。
それに比べてここは‥。
しかし、暮らしていくうちに、この地にも良い点が多いことに気付く。
例えば、夫が持って来たこのお煎餅一つにもとても面白い物語があるのだ。
舅姑を養うために嫁が作ったという、このお煎餅には彼女の

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法律学校

胸を膨らませて彼は教室に入った。
中には自分と同じ志を持つ若者たちでいっぱいだった。
御一新以降、この国も西欧のような近代法が施行されている。
“法律”とはどのようなものなのだろうか、田舎住まいだった彼には今一つ分からなかった。そこで東京に行くことにした。東京には法律を学べる場所があるからだ。
だが、官立の学校は米仏語で授業をするので彼には理解出来ない。
がっかりした彼の耳に朗報が届いた。日本語で

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振袖火事

「まったく若い娘の情念とは大したもんだねぇ」
「お菊の振袖のことかい」
「え、梅野って名前じゃなかった?」
「とにかく、その娘の振袖が今回の大火を起こしたっていうじゃないか」
「どういうことだい」
「花見に行った時、その娘がある若者に一目惚れしてしまい、そいつが着ていた着物と似たような柄の振袖を仕立てていつも着ていたそうなんだ。だが、娘の思いは叶わず十七歳の年に世を去ってしまったんだな。両親は娘を

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養老の滝

 今回の御幸は、美濃国は如何でございましょう。有名な養老の滝もありますし。
 左様にございます。孝子・源丞内の物語の地でございます。貧しい源丞内は年老いた父親を養うために毎日、山に行き薪を取って生計を立てていました。老父は既に目も耳も悪くなり、楽しみといえば酒を呑むくらいでした。
 ある時、いつもにように山に行った源丞内は誤って足を踏み外し谷底に落ちてしまいました。暫く気を失っていた彼のもとに芳し

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百合子の嘆き

同志小林が亡くなったそうだ。
日本のプロレタリア文学運動の中で傑出した彼が世を去ってしまった。
惜しいことだ。同志にはまだまだ多くの作品を書いてほしかったのに。
聞くところによると彼は特高に殺されたらしい。なんということだ。
真摯に生きる作家を抹殺するこの国は変わらねばならない。
そのために私はやらなければならないことが多くある。頑張らねば。
#歴創版日本史ワンドロワンライ  2月1日 お題:同志

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