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【試し読み】『植民地朝鮮と「出産の場」――産婆と胎教の衛生史』
植民地朝鮮において産婆や胎教がいかに存在し機能したのか。
日本統治下にあった20世紀前半の朝鮮では、「出産」をめぐって日本人の役人、医師、朝鮮人産婆、優生学者などが、新聞・雑誌でさまざまな言説を展開しました。
『植民地朝鮮と「出産の場」――産婆と胎教の衛生史』(扈素妍 著)では、そうした「出産」をめぐる朝鮮社会の葛藤を、新聞・雑誌などの言説空間に注目して浮かび上がらせます。
このnoteでは、執筆の経緯などに触れる「あとがき」の一部を特別に公開します。ぜひご一読ください。
***
本書は私が2023年京都大学文学研究科へ提出した博士論文「植民地朝鮮の「出産の場」における風習と「生政治」――産婆制度と胎教言説を通じて」を加筆修正したものである。去年四月に日本学術振興会から科学研究費助成金(研究成果公開促進費、課題番号24HP5078)の交付を受けた。
出版が内定されてから何度もこの原稿は完成したといえるのか、出版は時期尚早ではないかという疑問を自分に投げかけてきた。文章はいつ完成になるのか。誤字が一切ない文章なら完成した文章になるのか、それとも自分が完成したと宣言する瞬間完成になるのか、出版したら完成になるのか。私は日本語が母語ではないため、他の人より深い不安を抱いているかもしれないが、このような懐疑はだれでも抱えているだろう。最後に「あとがき」を書いて載せるのも自分をこのような不安や懐疑から「完成」へ導き、これで終わりだと自分に言い聞かせるためであるのか。
私が産婆に惹かれたのは、修士課程二回生の時に水野直樹先生の授業で『望楼の決死隊』という1943年の映画を観覧し、産婆という女性職業に気づいてからである。『望楼の決死隊』という映画の内容をかいつまんで説明すると、朝鮮と満洲の境界に勤務する国境警備隊が主人公で、彼らが厳寒期に「共匪」、つまり共産主義匪賊と決闘し、朝鮮人住民が住んでいる地域を最後まで守りきるというものである。
映画では主人公「高津」主任の奥さんである「由子」がその村の産婆の役割を担っているが、後に朝鮮人居住者の女性が女医になって戻ってくると、その二人の上下関係が変化していく様子が描かれている。私はこの映画をみて植民地朝鮮に産婆は日本人しかいなかったのかという疑問が生じ、個人発表の主題として植民地朝鮮の産婆制度に着目した。しかし、当時は、明治期の日本に衛生思想が導入されたとき、果たしてそれまで人々が信じていたものとの関係はどうなったのかということに重点を置いて研究していたため、まだ産婆を研究するつもりはなかった。
ところが博士課程に入り、何かに取り憑かれたように産婆に関連する資料を掘り探りはじめ、一年目を終える頃には、産婆と出産衛生についての研究に踏み出していた。そして研究が進むにつれて、近代のほとんどの衛生政策がそうであったように、産婆も朝鮮の人々に容易に受け入れられなかったことを知った。そこには、新しいものに対する拒否感や不信感、また、被植民者として植民地支配者の意図に対する不信が大きく働いただろう。
つまり、「信じる」というものが問題で、特に近代は、慣習、風習など「伝統的に信じられてきたもの」と実験、証拠に基づく科学が綱引きをしていた時期であった。
現在、この綱引きは科学の判定勝ちのようだ。最近では、目に白癬ができたら、白癬になった目を手でこすり、その手を石にこすり返し、他人の家の玄関先に置いておく人はいないだろう。しかし、本当にそうなのだろうか。
今でも人々は近所の地蔵菩薩に合掌し、初詣に出かける。こうしたことは、宗教と言えるほどの深い信仰ではないが、生活に染み込んでいる、ごく浅く見えるが、簡単に追い出すことのできない「信心」である。このような「信心」は、宗教の教理のようなある種の論理に基づくものではないため、むしろロジックで論破し難く、駆逐しづらい。
しかし、これまでの多くの衛生史は、政策を作り、それを適用させる過程における法律制定を中心に研究されてきた。近代衛生における法律と警察の取り締まりという強制性は重要な特徴であるが、東洋でも西洋でも、この強制がそのまま被支配者に受け入れられた例はほとんどない。常にその間には綱引きがあった。私は本書を通じて政策と風習の間の綱引きに着目することで、衛生史、女性史に新たな視点を提示しようとした。
その綱引き、いわゆるせめぎ合いが衛生政策と風習の対立だけで行われるのではなく、時にお互いを利用し、包摂することで続いていることを示すのが「胎教」である。産婆と出産衛生に関する資料を見ているうちに、胎教についてもよく目にするようになった。実を言うと私は、胎教を科学的にも、あるいは風習や迷信としても、真剣に意識したことがなかった。妊娠中に口にしてはいけない食べものや薬があること、そして妊婦の病気も胎児に影響を与えることは知っていたが、それはすべて科学的に証明されたことであり、胎教とはまったく関係ないと思っていた。
しかし、他方で、胎教を旧時代の風習や迷信だとも思っていなかった。韓国人としては、あまりにも自然に妊娠していれば胎教は重要でしょうと、漠然と妊娠から出産に至る過程の一部として捉えていた。これは、胎教がそれだけ出産の医療化の中に自然に溶け込んでいることを示しており、科学的に証明されたものと迷信的なものとの間に存在していることを示している。つまり、胎教という全東アジアが共有している出産風習は、近代に駆逐するべき迷信ではなく、妊娠した女性として守ることが想定されている何らかのルールのように定着したのである。
このような反目と駆逐、そして協力と伝存という近代出産衛生の全体像の究明は、「生政治」という大きな枠組みを語らずには成し遂げられない。なぜ、ある出産風習は迷信として駆逐され、ある風習は残されるのか。それは、「生政治」が人々の生活を密に結びつけ、その構造を作り上げるうえで、必要な取捨選択が支配層の意思だけでなされるわけではなく、また被支配層の行動だけでなされるわけではないことを示している。なお、その一方で、この巨大な構造は、増築と縮小を繰り返しながら、自ら生命力を持つように動いていることも、本書を通じて伝えたいところであった。
近年、韓国では男性と結婚も出産もしないと宣言した若い女性たちが増え、中国では「私が寝ている間は誰も私を搾取できない」と積極的に働かない若者が増えているという。結婚も出産も労働も、とても個人的なことであり、政治的なことである。しかし、だからといって、政策や制度がすべてを解決してくれるわけではない。政策や制度の手が届かないからといって、政治的でない事柄になるわけでもない。政治は人々の生活に影響を与え、また、人々の動きは政治に影響を及ぼす。一個人のアイデンティティから、生活、趣味まですべてが政治であり、また政治の影響を受ける。本書で産婆と胎教を「生政治」の構造の中で論ぜざるをえない理由は、政治というのが単に政治家によって立案、制定され、執行される法のみならず、人々の言説、行動、認識も政治であるためである。この本を通じて、妊娠した女性の体という極めて個人的なものが、「生政治」という巨大な構造の中に位置づけられ、管理や統制の対象になったのは、現代の新しいものではなく、歴史の中で築き上げられてきたことが伝えられたら幸いと思う。
(続きは本書にて…。)
***
著者略歴
扈素妍(ホ・ソヨン)
京都大学大学文書館特定助教。
2011年ソウル市立大学人文学部国史学科卒業。2016年京都大学大学院文学研究科歴史文化学専攻日本史専修修了。2021年京都大学大学院文学研究科歴史文化学専攻日本史専修研究指導認定退学。2023年同大学院同研究科博士号(文学)取得。奈良文化財研究所企画調整部アソシエイトフェローを経て、現在に至る。
主要論文に、「植民地朝鮮の出産風習としての胎教と生政治――「優生学」言説を中心に」(『朝鮮学報』第260巻、2022年)、「植民地朝鮮における出産風習と産婆養成政策」(『史林』第103巻第5号、2020年)など。
目次
序章 「出産の場」と「生政治」
1 研究背景――産婆と胎教の位置づけ
2 研究方法──フーコーの「生政治」と「言説」、そして〈現実〉
3 研究史──「出産の場」を支える四つの柱
4 研究目的──植民地朝鮮の「出産の場」を解明する
5 本書の構成
6 本書における用語と記号の定義
第一部 出産風習と産婆制度
第一章 植民地朝鮮における出産風習と産婆養成政策
はじめに
1 近代日本の産婆制度と植民地への移植
2 朝鮮の出産風習
3 日本人衛生医療関係者の見た朝鮮の出産場景
4 植民地朝鮮における産婆養成
おわりに
第二章 朝鮮人産婆の労働環境と社会的位置づけ――1920年代の新聞・雑誌に見る産婆の物語
はじめに――職業婦人としての産婆
1 植民地期女性の職業としての産婆
2 産婆が語る朝鮮の労働の〈現実〉
3 1920年代の産婆の経済的・社会的位置づけ
おわりに
第三章 産婆と風習のせめぎ合い、そして出産医療の〈現実〉
はじめに
1 「旧慣」を駆逐し、産婆を利用せよ
2 伝存する出産風習と衛生との葛藤
3 産婆が語る朝鮮社会と「出産の場」の様子
4 京城の都市貧民を取り巻く、出産医療の〈現実〉
おわりに
第二部 胎教と「生政治」
第四章 出産風習としての胎教と「優生学」
はじめに
1 前近代の胎教と植民地朝鮮における伝存
2 1930年代前半の優生学と胎教
3 1930年代後半の胎教を取り巻く論争
おわりに
第五章 韓半島にもたらされた「近代の知」と胎教――女性教育、民族改造、〈朝鮮学〉振興運動
はじめに
1 「女性教育論」と胎教言説
2 植民地期の「民族改造論」と胎教
3 女性医師・許英肅の民族改造論と胎教
4 1930年代後半の「〈朝鮮学〉振興運動」と『胎教新記』
おわりに
終 章 近代化する「出産の場」と女性
1 生き残った出産風習と植民地朝鮮の近代
2 「出産の場」を眺めるということ──本書のまとめ
註
引用・参考文献
初出一覧
あとがき
索引
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