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食べて整う麻婆豆腐

こんばんは。
ひんやりし始めた秋の始まり。

鍋を食べ始めました。


今日の食日記

テレビでひたすらに激辛を食す番組を見ていられない。

食の一種のストレス発散方法か?というほどに、各々の辛さの極地を目指し競うように食べるあの光景を「僕も食べたいなぁ」と到底思えないし、辛さの中に旨さが!という言葉にも、どこか違和感さえ覚える。
麻痺した舌で味の奥深さを捉えられると思えないし、捉えられたそれはなんとか辛いの感覚に片腕を必死に伸ばして捕まえたわずかな感覚なのでは?とおもってしまう。

もっと繊細に食の奥深さを味わいたい(辛いのは好きだが、舌が吹き飛びそうなほど火を吹いていてはストレスに他ならない)。

そんな前置きの中始まるエッセイは、麻婆豆腐のお話。

麻婆豆腐にこれといった思い入れはなく、中華料理を食べに行っても麻婆豆腐をスタメンに入れたことは、記憶上一度おそらく一度もない。

実家にいた頃は、レトルトの麻婆豆腐の素を使った麻婆茄子がよく出ていて、一つの実家の味だったと思い出した。そのくらいだ。

特段、麻婆豆腐をすすんで選ぶほどではないが、肯定派ではある。
(そういえば、学生の頃の食トレで片栗粉の塊がだまとなった麻婆豆腐を思い出した。必死の思いで食したのは、量が多かったわけではなくただだまの塊が気持ち悪すぎた。辛い思い出だ)。

鎌倉に行った時、そんな特段の思い入れのない”麻婆豆腐”を食べてみたいと、「かかん麻婆豆腐」にいくことになった。
東京にも店を構える麻婆豆腐一筋のブランド力に、これは食べないと、使命感に駆られながら初日にランチタイムを迎えた。


今日のお店

8月も終わりに差し掛かった鎌倉も、まだ秋の訪れなんてどこにも感じることはなく、ただ灼熱の中海沿いを・山の麓を歩き続けた。
涼のひと時を迎えようと、かかんに入店した。

麻婆豆腐とご飯。ルーローハンが選べるよう。
かかん麻婆豆腐というくらいだ、麻婆豆腐と白ごはんを食らおうではないか。


シンプルに麻婆豆腐を堪能するセット

2種類の山椒とともに、丼いっぱいに盛られた麻婆豆腐をレンゲに並々とすくい一口で放り込んだ。

たっぷりの油に浮かぶ艶々のラー油状の痺辛エキスは、直接的にパンチを効かせてくる。
熱々を乗り越え、つるりと豆腐の喉越しを味わえば、世界が変わったように強い痺れとスパイシーな辛みがマグマのように燃え始める。
胃袋のどこにいるのか、容易にわかってしまうほどに、着火されたエナジーはみるみる大きくなって、気づけば汗がこぼれ始める。

「はぁ、うまい」。

その一言が漏れたとき、確かに味の奥深さを掴み取り、辛さと同じくらいにその”旨さ”を感じ取ったのだ。タイミングを逃すまいと、かき込む白米が、どんどん甘くお米本来の味が力強くなっていくではないか。

これがご飯に合うという感覚なのか。

改めて、ご飯のお供の定義を再確認した気にさえなった。

山椒をブレンドしては、味見を繰り返し、どんどん痺れる、どんどん辛くなるその麻婆豆腐。でもきちんと旨いは最も大きなウエイトを占め、手が止まることを知らない。

吹き出す汗を上手に拭き取りながら、涼しい店内でサウナのように繰り返す。

「なるほど、麻婆豆腐は辛さに比例するように、美味くなることができるのか」。
止まらない白米を口にほうばりながら、麻婆豆腐に・何よりもかかん麻婆豆腐にリスペクトを込めてそう思った。

食べ終えたその時の大きな深呼吸は、まるでサウナ上がりの”整った”状態だった。

美味しいひとときに、ごちそうさまでした。
では、また次回。




今日のお店:かかん麻婆豆腐 鎌倉本店(神奈川県鎌倉市御成町13−12)



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暮らしのヒントになれば、と。

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