見出し画像

二間でスタートした実家をDIY


「先生、お金持ちだったの?」

「全然全然💦貧乏だったけど、割の良いバイト見つけてさぁ‥赤本の添削」

「あぁ、もうちんぷんかんぷん」

「この風景懐かしいなぁ‥」

そう、
みんな長屋でスタートでした。
東京住まいと言うとお金持ちとかコンクリートジャングルと言うイメージがあるらしいのですが、私の住んでいる東京郊外(23区外)は朝ドラの「ゲゲゲの女房」が舞台になった場所なので、ドラマみたいにあんなに何にもないことはありませんでしたが、水木しげる先生が晩年買い物や散歩で散策していたのは、母が近所のスーパーでよく見掛けたとか、私がよく通った喫茶店や和菓子屋さんの常連さんだったとかで何だか古めかしいイメージで伝わりづらいらしいのです

下町のようにせせこましくぎゅうぎゅうな昭和レトロな長屋街ではなく、戦中に三鷹の天文台での飛行機の部品作りで集団就職する人達のために綺麗に区画整備された場所に沢山の長屋が建てられました。

その長屋を戦後
元々大工だった祖父が少しづつ少しづつ修繕しながら建て増ししたり、その後叔父と父と社員が加わり一軒家として新築にしました。その規模は信じられないほど広かったんです

何だか自分の自宅の記憶が曖昧なのは、私がまだ幼稚園の頃にその長屋が新築に移行していったので、沢山の人が関わって絡み合っているからでしょう

弟が産まれる前は
お正月は着物を着て旧道沿いにあった経師屋さんや職人さん達の豪邸?にご挨拶に行ったことを憶えています。

その豪邸?は土間があって着物で上がるのに苦労しました

それは母の実家の茅葺き屋根に囲炉裏のすすで真っ黒になった高い天井や柱とは全く雰囲気が違い、武家屋敷の残り香のようでした。

その武家屋敷とは違い私の住んでいた家はわりとモダンな造りだったんだと思います。

憶えているのは6畳と四畳半の二間しかなく、奥の四畳半は父の部屋だったのでレコードプレーヤーや書庫がありあんまり入ることはありませんでした。キッチンに床下収納があり、ぬか床に野菜を漬けていたり野菜を収納していましたが、軒下がまだあったので地続きのようでした。

何故か玄関が両隣で2つあり向こう側は広いタイル張りの浴室で、父の実家のイトコが毎日入りに来ていました。そのお風呂を炊く薪をくべる番を任されていたのが母です。母は実家もそうだったので慣れていたと思いますが、みんなが入った最後にお風呂を済ませていたので、私は一緒に入ったことは一度もありません。さすがに薪を割っていたのは父でしたが母の実家は祖母が薪割りから全てやっていました。

小学校時に上がる前に、駅前の家具店に勉強机を買いに行き2階の四畳半の部屋にモネの複製画の額縁を飾ってくれて私の子供部屋が出来ました。

だから建て増しをしたのは小学校に上がる前だったのです

この当時祖父の家の人達は私の家の斜向かいの長屋に仮住まいして、大々的に新築をしました。昔の建物は入り組んでいたので、記憶がごちゃごちゃになっていて、父の記憶とかなり食い違っているのです。何度も建て増ししていた様子で、私が毎日遊びに行ってたイトコの家は父はもう出ていたので話がぴったりハマらないのです。※父は話が噛み合わないと言う

祖父母が住んでいた部屋と叔父と叔母が住んでいた場所は全く違ったようで、離れにスロープのように繋がっていてこたつのあるモダンな部屋は日当たりもよく居心地が良かったので、人目を盗んでそのスロープのような廊下を行ったり来たりしたことがとても楽しかったのです

父が結婚前に祖父に
「お前はここに住め」と斜向かいの長屋をぽんと貰ってしまったのが大元なので、ほんとはもっと小さかったのを大工修行中の父が直し直ししていったのかもしれません

私の重い腰が上がったのは
ドラマ「団地のふたり」を見てからです

古い団地のリビングを小林聡美演じる50代のイラストレーターが、素敵にひとり暮らししてるのです。タイル張りのキッチンの壁、玄関との仕切りのガラス戸がステンドグラスのよう

増築とリノベーションを繰り返しインテリアも構造もちぐはぐになってしまった大切な実家は、3年前から父と断捨離とお掃除を少しづつしましたが、オシャレなインテリアと無縁な大工の父は「全然わからない😔(隈研吾のような)建築家は大工や建築士と違う‥お父さんはセンスがない(亡くなった叔父さんも)そういうのはインテリアデザイナーとかがやるんじゃないか?」

私にも出来るかも‥


自分のお部屋しか興味がない私が、何となく他人に言われてカチンと来てたことが積もり積もってたのもあります
家の中は整理整頓に掃除をしてとても綺麗に住んでいるのに、それが外からは観えない

○白いスロープのある家と指定してウーバーイーツの方に1度だけ隣の謎の豪邸と間違われた
○どんどん近隣が新築と建て替えが増えた
○近所で転落事故があった時に、警察官の方に玄関が3つあるので「この建物ひとつの家ですか?」

私の家
父が以前「何だかうちはみすぼらしいな‥」

カチンカチンカチン

父と私の玄関を綺麗に掃除してからネットで取り寄せたステンドグラスシートを夜中に使わなくなったクレジットカードを使い、老体に鞭を打ちながら(笑)綺麗に貼りました😊

シートをカットした残りは頑丈で大きなダイニング食器棚のガラスが、セロテープ留めが目立つのでそこにも貼ってみました!

10年前にリノベーションした際にキッチンの隙間が空いた所に、父が作ってくれた背の低い小さな戸棚たちは白くて綺麗なので大切に使っていますが、2年前父が食道がんの手術の前に新しいテレビのテレビ台を丁寧に作ってくれて、「これが最後になるのかな‥」私のバリアフリー仕様の平屋のひとり部屋

父に恩返しのために
もう少し、頑張ろう✨








この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?