あまのじゃく


title:ギャラクシー


母から
「境界例だから」


と20代前半の頃言われました。

この時の境界例とは
「まだ病気とは判断が難しい状態で
  はっきりとした病名がつかない」

境界線人格障害とは違います。
※パーソナリティー障害

私は人を傷付けたいと言う気持ちに
なったことがありません

そして
自分を傷付けたい衝動に
駆られることもありません

どちらかと言うと
依存心がなくて人に頼りたい気持ちが
凄く薄いんです。

物事を客観的に見てしまう質が
根底にあるので
相手と気持ちを共有することが
苦痛な方だと思います。

ただ
相手の気持ちを読むことが得意なのと
相手の懐に入って行くことが
何故かスッと出来るので

私がスッといなくなってしまう時
相手にはどうしよもない感情が
生まれるようです。

私の中で
気持ちが醒めてしまう訳ではなくて

「深入りするのは辞めておこう」

と言う自己防衛心が
早々に働くからです。

それは「生きる術」のようで
人に好かれ過ぎてしまう時の
相手に対しての対処方法が
幼い頃に身に付いているからです。

私は幼い頃
行為障害のある男女の兄妹に
目を付けられ死にそうな目に
遇ったことがあります。

だからか母にキツく
「人に好かれることは良くないこと」
 
と言われ育てられました。


自分が凄く目立つと言う
自覚はあんまりありませんが

いつの間にか人に囲まれてしまったり
子供や動物が異常に寄って来たり

いつの間にか私がいる場所での立場が
みんなの愚痴や悩み相談役に
なってしまったり

私が中心の会になってしまうので
自覚せざるを得なくなりました。

「慶子さん
   あまのじゃくっぽいところあるから」

???

「好きな人にだいっ嫌い!って」

あぁ
そういうことねぇ✨

これをカラーセラピーの時に
言われた時
もやもやしていた思考と視界が
はっきりしました。


私は本当の境界線人格障害の
お友達が数人いました。

「何でこんな行動になっちゃうのかな?」

はてな行動が激しく

「この子は果たして病気なのだろうか」

と考えざるを得なくなりました。

最近まで
病気とはやはり思えず
情を寄せると言うか
ただただ心配になり

「ハタチでこんな感じだと
   これからの人生も大変だろうなぁ」

以前
ウィノナライダーの
「17才のカルテ」と言う映画を見た時
この主人公が病気とは
私には思えなかったからです。

生きづらいだろうし
人間らしいけど
よくあることだよな…

こんなことしか思えませんでした。


実際に
境界線人格障害の人から
人情沙汰を起こされたりしたら
こいつはビョーキだなと思えるのでしょうが

境界線人格障害に限らず
白黒思考の人
双極性障害の人
てんかん持ちの人
弱視や斜視、先天性の目の障害がある人が
身近にいつもいたので

「大変なんだろうな…」

と共感出来るようにはなりました。

ただ
被害を被ることがやはりなかったので

普通の人から突然ぶちギレらたり
自分への悪口が止まらなくなったり
突然豹変されたり
そういう状況になると

「この人おかしいんだな」

ってさすがに思います。

普通に見える人
普通に生きている人
毎日が凡庸な人ほど

如何にまともな神経をしていないで
人と接しているか

このようなことが
日々観察しているとわかるんです。

私ひとりでは
判断が公平ではなくなるので

父にちょろっと聞いてみると
容易に判断が出来ます。


人と気持ちを共有したいと言うことは
人間誰しもある感情です。

「依存」という言葉に変わる
言葉があるのなら

説明が容易いのでしょうが

あまのじゃくとか
のめり込みやすい性格の方が
軽やかに愛らしく生きられる


かな✨

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