現代写真マガジン「POST/PHOTOLOGY」 #0013/GC magazine 『私の恋♾️瞬間♾️『螺旋』♾️』HOT RODDEES"G" 4th Drifting with you________.
▷POST/PHOTOLOGY by 超域Podcast 北桂樹
GC magazineについて
アートコレクティブ
GC magazine(以下 GC)は東京工芸大学の卒業生を中心に、現在は国内外を拠点に活動する15名前後のメンバーによって構成された、ZINE、写真表現、動画、彫刻的表現、インスタレーションなど写真というメディアの領域を拡張する表現を行う「アート・コレクティブ」である。現代写真研究者としても最注目である。
今年の3月には名古屋のコマーシャルギャラリーPHOTO GALLERY FLOW NAGOYAにて個展「KILLER”G”2nd Running alone pushin“G”Big Bang!! high ACE」を開催し、写真に対するメタ的な視点が作り出したインスタレーションは、今年最高の写真展だったのではないかとの評判すら出るほどの成功を収めた。この展覧会については、10月中旬発売の雑誌『写真批評』復刊2号にて展覧会評として紹介させてもらっている。
ZINE制作
GCは2021年、コロナ禍の中で東京工芸大学の卒業を迎える6人のメンバーを中心に結成された。卒業後も引き続き制作を続けていける「場」を構築することが目的でスタート。当初から現在も続く活動は定期的に対話の場を持ち、メンバー全員で1冊の「ZINE」を作るということである。中心となるメンバーは、伝統ある写真教育を受けており、個人としてもそれぞれに個性豊かな作品づくりを行っている。製作者としての強烈な個性のぶつかり合いの中で作り上げられてきたZINEは個性の集合である以上に、ひとつの作品として強烈なエネルギーを発するものとして毎回仕上げられ、これまでに製作されたその数は30冊を超える。
筆者がGCに注目するようになって以降だけでも、宅配ピザケースに入れたもの、ペリカンケースに入れられたZINEセットなどユニークなZINEを制作し、ブックフェアへ積極的に参加をし、徐々に注目されながら、GCという「アートコレクティブ」の個性を磨いてきたと言える。この活動がGCのベースとなっている。
それらの活動が徐々に浸透し、彼らはこれからの写真表現を担う重要なアーティストの一角として注目を集めはじめているというのが現状だ。
『私の恋♾️瞬間♾️『螺旋』♾️』HOT RODDEES"G" 4th Drifting with you________.
サイトスペシフィックなインスタレーション
今回は、地下鉄三田線の新板橋駅のA3出口を出て首都高をくぐった先のミクニビルにあるCOPYCENTER GALLERYで9月23日(祝)まで開催しているGC magazine の個展「『私の恋♾️瞬間♾️『螺旋』♾️』HOT RODDEES"G" 4th Drifting with you________.」について。
展覧会会場のCOPYCENTER GALLERYは、印刷会社が持っていたコピーセンターをアートギャラリーへと改装を予定している場所となる。いわゆるホワイトキューブへと改装をするために現在はコンクリートが剥き出しのスケルトンの状態となっており、「何か」から「何か」になる中間地点の状態が独特な雰囲気を持っている。この中間という特色は今回の作品にも重要な視点を提供している。地上階と地下があり、今回は展示スペースとしては地上階を中心に行われている。
会場に入るとすぐに目に飛び込んでくるのは六角形に組まれた仮設壁とその中央に置かれた白い車のシートだ。作品は、6枚の仮設壁に4台のプロジェクターでそれぞれプロジェクションマッピングされた6本の動画とそれぞれの壁の外側に設置されたメッセージ性のあるオブジェクトとテキストから構成されている。
アナログプロセスによって拡張された「オルタナティブ大伸ばし」
会場を奥に進んだ部分には、彼らの作品のひとつの特徴と言える、印画紙をつなぎ合わせて大判プリントを作り出す「オルタナティブ大伸ばし」によって創られたモノクロの4mを超える大作があらわれる。プリントはメンバーの手製の印象的な黒いフレームに入れられ「五曲屏風(実際には五曲は屏風にはない)」のように仕上げられ、3本の車のホイールに乗せられて鎮座されている。
赤いランプが仄めかす通り、これは暗室作業のアナログ作業によって手焼きで創られたバライタプリントである。
地下に続く階段の先には薄い幕がかけられており、背面からこの作品を制作した様子を撮影した動画がプロジェクションされている。立ち入りはできなくなっているが、奥にはモノクロの引き伸ばし機が90度回転させられた状態で固定されている。
彼らは、この大作をこの地下を暗室として利用し、壁打ちで大判のプリントを制作してたのだという。アナログプロセスによって拡張された「オルタナティブ大伸ばし」ということになる。
「決定的瞬間」という解けない呪い
写真表現における「決定的瞬間」とは
「決定的瞬間」は、20世紀を代表する写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンに関連して広く知られるようになった写真表現の概念である。
「決定的瞬間」は、ブレッソンの1952年の写真集の英語タイトル 「The Decisive Moment」 に由来すると言われている。 一方で、フランス語の原題 である「Images à la sauvette」 は「逃げ去るイメージ」という意味であり、必ずしも「決定的瞬間」を的確には示してはいない。事実、ブレッソン自身は、この概念を過度に強調することを好まず、むしろ写真の構図や事前の観察を重視とも言われている。
しかし、この「決定的瞬間」というあまりにキャッチーなフレーズが当時の写真の特徴をよく捉えていたこともあり、スナップ写真における支配的な規範となり、いまなお写真家を囚え続ける「呪い」となっている。
東京工芸大にて、写真教育を受けたGCのメンバーたち自身も自分たちが「決定的瞬間」に囚われていることを認めており、だからこそ今回の展覧会ではそこに挑んだのだと語る。
「決定的瞬間」の弊害
「決定的瞬間」は写真のある瞬間を捉え、時間を氷漬けにし、固定化させることを意味する。「シャッター」というトリガーによって、レンズの正面にある現象を不可逆的にフィルムに感光という破壊行為によって刻みつける。ある意味で、カメラという写真装置の特徴をよく捉えた言葉ではある。固定化された時間は主体のもつ時間軸から分離され、オブジェクト化されることで特別なものとなるというわけだ。これによってスナップ写真における「決定的瞬間」こそが芸術表現が達成されているというのが写真家の中に支配的な構造として固定化されていくこととなる。ここには当然産業的な背景も関係する。
今回のGCの展覧会ではこの「決定的瞬間」という写真家の呪いがターゲットとなっている。彼らの手によって「決定的瞬間」がもつ弊害が顕在化され、解体され、再検討されている点が特に興味深い。
「決定的瞬間」は連続した瞬間…つまり、流れる時間の中から「ある瞬間(ブレッソンのいうように時間的な問題だけではなく構図も含めてのもんだいであるが)」を特別なものとする「写真行為」のことである。
逆に言えば、これは「ある瞬間」を特別にする一方で、それ以外のすべての瞬間の価値を下げるとも言える。ここを切り口に「決定的瞬間」という写真の教典に批評的に切り込んだのが今回のGCの展覧会「『私の恋♾️瞬間♾️『螺旋』♾️』HOT RODDEES"G" 4th Drifting with you________. 」なのである。
先に断っておくが、GCは決して「決定的瞬間」を否定しているわけではない。「決定的瞬間」はある時代の写真的価値を反映しすぎている。それによってこれが写真そのものの特徴を指し示すかのように持ち上げられ呪いと化してしまっているということに批評的な視線を向けているのだ。彼らは「決定的瞬間」が写真表現がもつ豊かな側面のひとつでしかないということを改めて提示することで、その呪いを解き、「決定的瞬間」自体をもう一度可能性の中に解放しようとしている。「決定的瞬間」は誤訳と誤読からはじまった豊かな文化的行為であった。それを呪いとしてしまっているのはわたしたちなのだということだ。
ブーストのかかった瞬間の連続はすべてが決定的瞬間である
瞬間の連続=動画という必然性
先にも述べたが、「決定的瞬間」は連続した瞬間の中の「ある瞬間」である。瞬間の連続とはつまりエントロピーにしたがって、流れる時間である。GCが提示した6枚の仮設壁にプロジェクションされているのは4つのプロジェクターから映し出された動画である。これは瞬間の連続であると言える。
プロジェクションされた映像は、2台の車のそれぞれの助手席にカメラを持ったメンバーを乗せ、首都高速を走行し、お互いの車を動画で撮影し合った映像である。
まるで大学生のサークルのようなノリであるが、このブーストのかかった瞬間の演出が重要となる。何をやっていても楽しい、すべての瞬間が特別な時間であるという青春や恋愛の時間というような状態によって、「ブーストのかかった瞬間の連続はすべてが決定的瞬間」となる。「すべてが決定的瞬間である」ということはある瞬間を特別視しないという態度である。
「ある瞬間」を特別なものとする態度を否定することは必然的に「瞬間の連続=動画」という表現方法の選択をアーティストにさせる。わたしたちが作品に対峙し目の当たりにしているのは彼らによって演出された「決定的瞬間の連続」なのである。つまりこれを映像インスタレーションというようなことばでカテゴライズすることは作品の本質、言ってみれば写真表現の本質を見落としていることになる。この映像は動画であると同時に写真表現の拡張として提示されているのだ。
「♾️」というコンセプト。「♾️」による時間表現
作品タイトル中に何度も登場する「♾️」の文字。これはループする時間のメタファーである。GCは本作でさまざまな角度から時間を「♾️」化させることで、瞬間を「決定的瞬間」から解放することを試みている。
2台の車から撮影した映像は時間的に同期した「組み」になっており3組、計6本の映像によって構成されている。撮り合っているという映像は伝統的な写真における「撮影者>被写体」の視点関係を解体する。
6枚の仮設壁の中央に置かれた白い車のシートは時計回りにゆっくりと回転しており、撮り合っている映像を交互に切り替える。これによって鑑賞者の視点は切り替えられる2つの視点の中間にのどこか宙吊りにされる。「撮影者>被写体」という伝統的な視点は、「撮影者♾️被写体」の関係へと更新される。白いシートの点、すなわち鑑賞者の視点こそがこの関係における「♾️」の中心の交差した点である。どちらの車にも乗っていないこの白いシートからの視点はこのインスタレーション内において、撮影者からも被写体からも独立した新たな視点である。
白いシートが「時計回り」回っていることは、身体的にも概念的にもエントロピーの流れに沿った時間軸を通してこの「瞬間の連続」を共有していることを仄めかしているようでもある。新たな視点は共有された「瞬間の連続」の中で、どこから始まったわけでもなく、どこへも行きつかない宙吊りの時間、つまり「♾️」を体感する装置となる。
首都高速という環状線はその構造自体がはじまりも終わりもない「♾️」であり、その変わり映えのしない背景がますます「瞬間の連続」というものに鑑賞者を集中させる効果をもたらしている。
「写真というメディアについての作品」はメディアの領域を拡張する
引き伸ばされた瞬間、全記録時代の写真
現代はテクノロジーの進化によって全記録時代に入ってきている。ドライブレコーダーはエンジンの始動とともにすべてを記録するし、3cmに満たないウェアラブルカメラは襟元で4K映像を記録し続けることが可能だ。動画のクオリティがSD(480p)からFHD(1080p)、4K(2160p)と格段にあがったことで、撮影者は動画からある程度の品質を担保した瞬間を動画像から切り出すことが可能となった。現代は瞬間をさまざまな方向で引き伸ばしているというのが現実である。イメージセンサーとレンズの性能が上がり、ストレージの価格が下がることで、今後もこの流れはますます進むと思われる。
この現実を直視すれば、GCが今回の展示で示す「決定的瞬間」は今なお有効なのかという問いは極めてまっとうに写真について考える態度であり、写真について極めて誠実に向き合った作品であると言える。
写真についての作品
GCの写真について考えるという姿勢は、何を撮るかというモチーフの選択に対しメタ的な思考である。つまり上位にあたる思考である。写真は「決定的瞬間」を捉えるためのものというのはある時代の重要な思考であった。一方で、支配的になったその思考が現代にもたらすものは、現代における写真の可能性の否定である。
写真というメディアについての作品である「『私の恋♾️瞬間♾️『螺旋』♾️』HOT RODDEES"G" 4th Drifting with you________.」は「♾️」という瞬間の可能性を開く概念を提示するために綿密に練られた写真術の開発によって実現されている。
これからの写真は「写真術」自体の開発とともに「写真変異株」として顕れるというのが筆者の考える現代写真の重要な概念である。GCはまさにそれを実践に移しているといえる。
現代における「決定的瞬間」の再考は写真を拡張する。「写真というメディアについての作品」はメディアの領域を拡張するものである、重要な現代写真である。
まとめー現代写真研究者としての視点
「『私の恋♾️瞬間♾️『螺旋』♾️』HOT RODDEES"G" 4th Drifting with you________.」は「決定的瞬間」を現代の状況を踏まえて再考する機会を提供する。
GCは今回「♾️」の概念によって「決定的瞬間」からすべての瞬間を開放する。
「『私の恋♾️瞬間♾️『螺旋』♾️』HOT RODDEES"G" 4th Drifting with you________.」は新たな写真術の開発によって写真の可能性を開く展覧会である。
中間地点を使う戦略は支配的な構造を無効化する。