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福沢諭吉『徳育如何』①~教育における社会の影響の強さ

こんにちは 
今回紹介するのは『徳育如何』という一冊の本として出版された小冊子です。緒言にある通り、元々は時事新報の社説でそれをまとめたものです。

出版されたのは明治15(1882)年、自由民権運動が盛んだったころです。当時政府では、道徳教育の軸を西洋流とするか儒教とすべきかで政府内で議論が交わされていました。当時の子弟が品行を欠き、徳育が廃れているのを解決するために、儒教を学校の道徳教育の中心にするべきだと保守派は主張していました。それに対して福沢は反対し大きな議論を呼びました。それを徳育論争と言います。

道徳教育に関してだけでなく、福沢の教育観をうかがい知ることが出来ます。長いので、何回かに分けて紹介していきたいと思います。

要約

教育は肥料のようなもので、人の智徳の発達を助けるだけである。
人の智徳の発達の根本は、先祖遺伝の能力、育った家風と、社会の公議世論にある。

社会の公議世論(気風)は人の智徳を発達・退歩・変化させる原因であり、その力は学校の教育にも勝るものであり、誰しもその影響から逃れることは出来ない。

教えずに知る智があり、学ばずして得る徳がある。社会はあたかも智徳の大教場ともいえる。それからすれば学校教育の影響力は小さなものである。

現代語訳

緒言

この頃、若者が政治論に熱中するのを見て軽躁不遜であるといい、その原因を現在の教育のせいにする教育論者がいる。福沢先生がその誤りを指摘し、論者を啓蒙しようと教育論を一篇立案して、中上川先生がこれを筆記して『時事新報』の社説に掲載したが、これを一つの小冊子にまとめて学ぶ者のために出版しようといわれた。明治15年11月 編集者より
※当時、民権運動が活発化していて若者の運動が活発化していた。

本文

青酸は毒が非常に強く、舌に振れれば、即時に死ぬことになるだろう。モルヒネやヒ素を含む鉱物は少し毒は弱く、死に至るまでは少し時間がある。大黄(タデ科の多年草の外皮を除き乾燥させたもの)の下剤は、2・3時間以上経過しなければ腸に効果はでない。薬剤の性質はそれぞれ異なることを知るべきだ。また、草木に施す肥料もその効果に緩急の違いがある。野菜などは肥料を入れて三日もすれば青々しくなるが、樹木は冬に肥料を施してその効果は翌年の春夏に表れる。

人心は草木のようで、教育は肥料のようなものだ。この人心に教育を施して3日で効果が出るだろうか?いや、でない。冬期3か月の教育が来年の春夏に効果が出るか?いや、でない。少年を就学させて習字・素読から徐々に高度なことを学び、やや物事の理を理解して目指す方向を定めるには、早くて5年、一般的に7年は必要だろう。これを草木の肥料に例えれべ、効果がでるのは最も遅いものといえるだろう。また、草木は肥料によって大いに成長するが、ただその成長を助けるのみで、その成長の根本は空気と太陽光線と熱と土壌と水分である。空気の湿度が極端になったり、太陽光線が物に遮られ、土壌がやせて水分が足りなくなったものは、たとえ肥料を施しても効果が少ないだけでなく、全く意味のないものもある

 教育もこのようなものである。人の智徳は教育によっておおいに発達するが、ただその発達を助けるのみで、その智徳の成長の根本は、先祖遺伝の能力、育った家風と、社会の公議世論にある。蝦夷の子どもをどれほど教育してもその子一代ではとても一流の大学者にはすることはできない。源義家の子孫に武人が非常に多いのも、能力が遺伝している証拠として見ることができるだろう。また、武家の子を商人の家でもらい受けて育てれば、おのずと町人気質となり、商家の子を文人の家で養えば、おのずと文学に志す。幼少の時より身に付けたものは、その血統でなくても自然に養父母の気質を引き継ぐのは多くの人が知ることで、家風は人心を変化させる有力なものであると言えるだろう。

また、戦国時代には武人が多く、出家した僧侶まで戦に従事したのは、延暦寺・三井寺の歴史を見ればわかるだろう。社会の公議世論、すなわち時代の気風が仏門に入り慈善の智識を持った者を、殺人戦闘の悪業をなさしめた例である。社会の公議世論は人の智徳を発達・退歩・変化させる原因であり、その力は学校の教育にも勝るものである。学校教育はもとより軽視すべきではないが、古今の教育かがやたらと多くのことを期待し、あるいは人の子を学校で教育すれば思うがままに人物を陶冶することが出来るだろうと思うが如きことは、甚だしい妄想であり、空気・太陽・土壌がどのようなものかを問わず、ただ肥料だけに頼って草木が生い茂るのを期待することと同じである。

ことわざで、「門前の小僧習わぬ経を読む」というのがある。思うに寺院のそばで遊んでいる子供たちが自然に仏教に触れてその臭いを身に付けるとの意味だろう。すなわち仏教の気風に影響をうけたものである。仏教の気風にあたれば仏となり、儒教の気風にあたれば儒となる。周囲の空気の感化されて一般の公議世論となった勢いは、これを止めようとしても止められない。いかなる独主独行の士人(教養のある人)であろうと、これから逃れられないのは、伝染病が流行っている地方でひとりだけこれから逃れる術がないようなものである。独立の品行はまことに褒めるべきだが、おのずとその限度があり、限界を超えて独立しようとしても人間社会の中にあっては決して出来ることではない

例えば、言語では、一地方に独立独行、万事他人の事であると称する人でも方言を用い、壁を隔ててこれを聞いてもその地方の人であることが分かるだろう。今、この方言は誰に学んだのかと尋ねれば、これを教えた者はいない。教える者無くしてこれを知っているのである。すなわち地方の空気から学んだものと言わざるを得ない。あるいは空気の力によってそうなるように迫られたものともいえる。方言のみならず、衣服・飲食の種類から家屋・装飾・遊び道具にいたるまでも一時一時代の流行に他ならない。流行の衣服を着て、流行のものを飲食し、流行の家屋に住み、流行の物で遊ぶ。

この点から見れば人はあたかも社会の奴隷であり、その圧制をこうむり、少しも自由がなく、どんなに有力な士人であっても古今東西にこの圧制からま逃れたものを聞かない。有形の物は皆そうである。そうであるあるならば無形の智徳も、社会の圧制から逃れられる理由はない教えずに知る智があり、学ばずして得る徳がある。ともに流行の勢いにしたがってその範囲から出られない。社会はあたかも智徳の大教場ともいえる。この教場の中にあって小さな学校を見れば、どのような学制、教則があっても、その教育はわずかに人心の一部分に影響を与えれば十分であるということは必ずしも知識がなくても分かることである。

考えたこと

自身の教育観への理解と社会の気風

 福沢は「社会は智徳の大教場」としてその影響力の大きさを高く評価している。これは当たり前のことかもしれないが、実際に社会の中で目の前の事しか見ていないと気づきずらい。なぜなら当事者にとってその社会のあり方や価値観は当たり前だからである。例えばドラマの「不適切にもほどがある」の時代の1980年代においては、教師の体罰や根性論などは当たり前であった。当時の教師はそれらを疑問に思った人は少なかっただろう。これは社会の気風の影響と言えるだろう。時間軸を基準とした社会の気風の違いに気付いたときに人は「時代だなあ」と思うわけである。
 教育を授ける者は現在の社会を客観的に観る力が大切である。いくら時代にあらがってもその教育は効果を上げないだろう。例えば、現在の生徒に対してむやみやたらに根性論を説いても伝わらないだろう。教師や親は自分の教育的価値観がどのような社会の影響を受けて形成されてきたのかを自己理解し、生徒または子どもとともに生きる現代の社会のあり方を理解したうえで、それに合った形で教育をすることが大切だ。何も過去の価値観が無駄と言っている訳ではない。「古臭い」とされる価値観の中にも普遍的なものは存在する。それをそのまま伝えるのではなく、時代の気風を捉えてそれに合った形で伝えることで初めて世代を超えた継承が成されるのである。

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