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福沢諭吉の教育論考から考える

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大学時代に福沢諭吉の政治思想を学んでいました。それもあって福沢諭吉の教育論に興味がありました。彼が残した教育に関する論説を要約して紹介するとともに、現代の教員の視点からそれを読ん…
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記事一覧

福沢諭吉『徳育如何』③~自主独立の世論に合わせた道徳教育をすべし

こんにちは 以下の記事と合わせてこちらの記事で『徳育如何』全訳完成になります!! 前回の…

福沢諭吉『徳育如何』②~若者の不遜軽躁の原因は明治維新による社会の気風

こんにちは 前回のパートで教育の根本は先祖遺伝の能力、育った家風と、社会の公議世論であり…

福沢諭吉『徳育如何』①~教育における社会の影響の強さ

こんにちは  今回紹介するのは『徳育如何』という一冊の本として出版された小冊子です。緒言…

福沢諭吉「小学教育の事 四」~道徳教育

要約小学校で道徳心を養うために『論語』・『大学』を教科書として用いるべきだという意見があ…

福沢諭吉「小学教育の事 三」~ひっ算か算盤か

前回のパートでは小学校の初めに平仮名か片仮名か、楷書か草書か、どちらを先に述べるべきか論…

福沢諭吉「小学教育の事 二」~小学校で最初に教えるべき文字について

経済的な事情で退学せざるを得ない貧困家庭が多い中で、小学校の教育は何を優先させるべきかを…

福沢諭吉「小学教育の事 一」

こんにちは 子どもの抱っこで腰を痛めてしまいました。 腰を痛めると、すべての事のやる気が半減する気がします。 今回紹介するのは『福沢文集二編』(1879年8月)所収の四編から成り立っている「小学教育の事」の第一編です。 1872年に学制が発布され、日本でも全国的な普通教育が始まりました。『福沢文集二編』が発刊されたのと同じ年に、アメリカの教育行政をモデルとした教育令がだされています。しかし、就学率は50%にも及ばず、国民皆学には程遠い時代でした。このような時代背景のもと

福沢諭吉「中津留別の書」後半~日本の独立のため洋学を学ぶべし

こんばんは 子ども(3か月)の脂漏性湿疹がひどいのと、お食い初め前で何かと忙しく、ちょっと…

福沢諭吉「中津留別の書」前半~個人の自由独立と男女の平等

「中津留別の書」は1870(明治3)年、母と兄の娘を東京に迎えるために中津を訪れた際、故郷の有…

福沢諭吉「教育の事」後半~子どもの教育を全て学校に任せるな

こんばんは!! いやあ、後半の現代語訳疲れました。諭吉さんちょっとくどい(笑) 以下の記…

福沢諭吉「家庭の遊戯」~子どもと一緒に遊ぶことの大切さ

こんにちは!! 福沢の教育論に関する長めのものをまとめていって少し疲れました(笑)。 短…

福沢諭吉「経世の学亦講究す可し」~政治経済学で見識を養う

今回紹介するのは明治15年2月慶應義塾で論じた演説「経世の学亦講究す可し」です。前回紹介し…

福沢諭吉「物理学の要用」~自然科学を学ぶことの大切さ

こんにちは!! 今回紹介する「物理学の要用」はもともとは福沢の演説で、1882年3月22日の『…

福沢諭吉「人生」ー人生の目的と教育

前回紹介した「教育の目的」は1879年に執筆された未完結の原稿の第1章「人生」第2章「教育の目的」「第三章(無題・未完)」のうち、第2章の部分でした。  そこで今回は第1章「人生」を紹介したいと思います。どのような人生観をベースとして福沢が教育を語ったのか読み解いていきたいと思います。だけど、草稿段階で終わっているものだから、論のまとまりに欠いて非常に読みにくく、まとめるのが難しかったです。 要約教育の観点でいうと人生は「人の精神形体共に発達して共にその働を逞(たくま)し