どれから見るか『ひめゆりの塔』映画の4作品
▽4つの『ひめゆりの塔』の映画
沖縄県は令和4年に本土復帰50周年になります。
この夏に「せっかくなんで沖縄戦の映画でも観てみようかな」という方向けに、沖縄戦を扱った映画の中でもひめゆり学徒隊の出てくる映画4作品(2022年現在)を観てみました。まずは概要からです。
白黒作品はカラーを見慣れている世代には見づらいのがあると思います(暗い場面も見えにくい)。
知ってる人が出ているとお話に入りやすいですが、全然知らない人ばかりだと「誰だ誰なんだか、なにがなんだか」となってしまいます。知っている俳優さんが出ているのが観やすいので、60代くらいなら吉永小百合・浜田光夫の出ている『あゝひめゆりの塔(1968)』、50代くらいなら栗原小巻・古手川祐子の『ひめゆりの塔(1982)』が見やすいかもしれません。それより若い人は『ひめゆりの塔(1995)』がおすすめです。
▽『ひめゆりの塔』と『あゝひめゆりの塔』の違い
タイトルと見ると『ひめゆりの塔』と『あゝひめゆりの塔』があります。これは大きな違いがあって、まず作った会社が『あゝひめゆりの塔』だけ日活なのでした(他は東宝)。これはもう凄まじく大きな違いで、『ひめゆりの塔』がドキュメンタリーかのような作りなのですが、『あゝひめゆりの塔』は青春ドラマ+沖縄戦のお話という感じです(最初は現代の踊っている若者と、なぜか渡哲也さん)。
当時の日活青春ドラマのノリがあって、若者は明るく元気に突き進む、でも避けられない困難(事故とか難病とか)があって命を落とすこともある。こういう型ができあがっていて、それで観客はスクリーンに引きつけられて最後は感動して泣くという形。舛田利雄監督は石原裕次郎の映画(嵐を呼ぶ男)なども作っています。
▽はじめに『ひめゆりの塔(1953)』ありき
白黒ですし、出ている人も知らない人ばかりです。なので初見では「きっと私は、今作をちゃんと理解できていないな」という感じがありました。というのは「誰がどうなった」「あの人がこうなった」というのがわかりにくいのです。
それもそのはず、今作はセミドキュメンタリーのような作品で、画面に中でどんどん事件が起きて、それに画面の中の人が振り回されるのを見ることになります。これは緊迫感はあるのですが、ひとつひとつのエピソードは追いかけにくいのです。
例えば、壕の中でケガをした兵隊さんが手榴弾で亡くなる場面です。
これならなにが起きているががわかりやすいのですが、今作の描き方は「なにかが起きた」→「そういうことだったのか」というテンポでどんどん進みます。この描きによって見る側は「なんだかわからないが、とてつもない状況に、もう既に巻き込まれてしまった」という疑似体験しているような感覚がありました。
はっきり言えば今作があって、その後の『ひめゆりの塔』映画があると思います。でも当時と違って現代ではこの作品を見て理解するのはかなりハードルが高いと思います。それだけ凄まじい傑作ではあるのですが。
▽どの『ひめゆりの塔』を見たらよいのか
それは『ひめゆりの塔(1982)』だと思います。はっきりいって今作は戦争映画の傑作と思います。
まずこのカラー作品の『ひめゆりの塔(1982)』は、白黒の『ひめゆりの塔(1953)』と同じ今井正監督です。それに、お話というか脚本がほとんど変更しないで作られています(こういうのを他に知らない)。
それでいて、白黒の作品とは比べものにならないくらいわかりやすくなっています。
これはちょっとした撮り方や、セリフの強調とかであって、でもそれだけで今作は
見事にわかりやすい作品になっています。脚本に関しては、『完成しているものなので基本一言一句変えない』という姿勢で挑んでいるように思います。
実際私も「ああ、そういうことだったのか」とかが多くあり、最後の方の重要な部分でさえ「こんなの気づかなかったなんて、私は何を見ていたのだ?」というのがありました。
脚本では描かれていて、監督さんもそのように作っていたのに、見ている側の私が『誰がどうしようとして、こういうことになった』という認識が追いついていってなかったのでした。
セミドキュメンタリーのような作品なので、何度も見ると気がつく部分が多いのです。それでもカラー作品の『ひめゆりの塔(1982)』から見て、そのあとで原点である白黒の『ひめゆりの塔(1953)』を見るとよいのではないかと思います。
まず残念なお知らせがあります。
なんと 『ひめゆりの塔(1982)』がDVD化されておりません。本当にこの事実が信じられないのです。
出演が栗原小巻、古手川祐子、大場久美子、斉藤とも子、蜷川有紀、田中好子、高部知子、音無真喜子、篠田三郎、津嘉山正種、矢崎滋、役所広司、下條アトム、中原ひとみ、井川比佐志、地井武男、田村高廣(スイマセン、私の知っている人のみです)というオールスターキャストだと思います。
今作まで「日本兵=市民を守らない悪人」というイメージが大きかったです。今作で日本兵を役所広司さんが演じることで、同じに見えてた日本兵に見分けがつき、より感動が増しました。特に井川比佐志さんがこの役をやってくれたことは、この作品にとって大きな意味があったと思います。「この作品はこんなにも深く描いていたんだ」という発見と同時に、感動が抑えられませんでした。こんなに凄いリメイクを他に知らないです。
次に朗報があります。
『ひめゆりの塔(1982)』はアマゾンプライムで見られます(AppleTVでも)。
なにしろDVDレンタルでは借りられないのですから、有料(レンタル400円)でも
見れるのが奇跡的に感じます。なぜに今作がDVDになっていないのか?、本土復帰50周年ということで、私はボックスセットの販売を希望しますし、出たら必ず買います。
▽これからの世代への『ひめゆりの塔(1995)』
そんなに完成しているのであれば、なぜ1995年に同じ東宝から『ひめゆりの塔(1995)』は作られたのか。それはきっと『ひめゆりの塔(1982)』では描き
きれなかったものがあったからです。
今作はあらためて『ひめゆりの塔』に取り組み、新しくお話を作っています(セミドキュメンタリーよりは、わかりやすいお話し)
。それでも中心にあるのは、ひめゆり学徒隊と呼ばれる女学校(沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校)の生徒約200人がどう戦争に巻き込まれたかで、ここは変わりません。
『ひめゆりの塔(1995)』の神山征二郎監督は、『ひめゆりの塔(1982)』で演出補佐をしています。今井正監督の思いを引き継いで、若い世代に何をどう伝えるかという作品だと思います。
他の作品ではまったく描かれていなかった、最後に自決しなかった人の姿が今作では描かれているのです。
私もこの自決の部分は少し気になっていて、先に言ってしまえば他の作品は最後にまったく救いはありません。特に『あゝひめゆりの塔(1968)』では観客を泣かせようとして「自決を美化される恐れのある描き方」をしてしまっています。
どうしても見る側は「自決しか方法がなかったのか」「生き残ることは恥なのか」「自決しないのはダメな生き方なのか」、そういう疑問が出てくてしまうのです。
作品の中では「なにがあっても生きて下さい」などと言っていても、最後に自決してしまっては、結局それだけが印象に残ってしまい「自決=勇敢な生き方」になってしまいかねないのでした。
本当はそうではないはずで、最後に自決しか選べなかったってことだったと思います。なのに今の人にはそうは伝わらないと思うのです。「それで結局最後は死んじゃうんだ」で片付けられてしまうようなズレが出てきてしまうように思うのです。そこで見て欲しいのが今作の神山征二郎監督の『ひめゆりの塔(1995)』です。
今井正監督の『ひめゆりの塔(1982)』がお姉さんで、神山征二郎監督の『ひめゆりの塔(1995)』は妹のような存在に感じます。どちらから見てもいいと思います。そして、どちらも見て欲しいです。
どの作品も確実に人が亡くなる場面が出てきます。銃で撃たれる、爆発で手や足が吹っ飛ぶような場面があります。なのでお子さんと見る場合は、親が先に見てチェックすることが必要と思います。中学生が見るには少し早いかと思います。高校生くらいからは受け止められるのではないかと思います。
もう戦争を体験した世代の方が亡くなっていき、それで「戦争ってなんなの?」ってことか進んでいきます。ゲーム感覚で「先に仕掛けた方が勝ちじゃねえ」みたいなことになってきます。
ひめゆり学徒隊のお話というのは、一般市民である女学生が現実に戦争に巻き込まれる本当にあったお話です。他のどんな戦争のお話よりも若い人にとって、入りやすくて伝わりやすいと思います。なのでこれからも見られていって欲しいですし、また新しく取り組んだ『ひめゆりの塔』作品が実写やアニメなどで作られていって欲しいです。