『私エフィカシー』の改造計画
私は今、転職活動をしながら家庭にて色々な取り組みをしています。
プライベートがっちりなものから、前職中から学習中のビジネスコミュニケーションの復習、心理学の入門知識やアンガーマネジメント方法そして、今日の午前は #SHElikes のコーチングに取り組んできた。
#SHElikes のありがたいことは、「優しいくて楽しい」かと私は思っていて(ただこれは人によりけりのようです)、今日もサクッと『楽しいコーチング』に行って来ました〜♪
『つまみ食い』のありがたさ
#SHElikes ではPRでも掲げてるように『定額で講座をつまみ食い』の通り、私は月5回コースを現在つまみ食い中です。
無職とは言え、ここだけに当てる時間がなく、始める頃も確実にクリエーターで行くかどうかが危ぶまれたので、まずは少しずつ始めて日にちが余ったらイベント視聴のアーカイブを見ればいいと思っていました。
思いの外、この考えが的中した理由が私の『段取力のなさ』と『要領の悪さ』でした。これに気づけなかったらガッツリ行って挫折…となってたかと思います。でも過去を振り返って自分の行動パターンからのチョイス。
契約も一晩おいて契約。
その日に契約したら1か月分は儲かったかも知れないけど、ひょんなところで後悔していたかもしれないと思うと、大きい買い物の前は自分の行動パターンの振り返りをまずしてみるは有効だったかもしれません。
そんなこんなで月5回を『つまみ食い』してみると無職のくせに1ヶ月目からスタート時期を見誤ったり、1講座分を食い損ねたり…という失態を冒したり…。
そう、5回受けられるんじゃなく、5回まで受けられるわけなので更新日をまたげば1回に戻るわけです。うかつにも段取悪くその最後の1回をスルーして突入した今月でした。
コーチング開始!
今日のコーチングはとても落ち着きのあるおっとりとしたコーチさんでした。『自分の理想と現在地の把握と進め方…』をゴールとして振り返りが開始されました。
1か月の振り返り
1年後からの逆算
2.からの次の目標
…といった感じで進んで進行〜。
『やれた!』という気持ちとwant toの気持ちを大事に、にすごく感銘を受けましたね〜♪
「やりたい!」が身体を動かすための脳の最大のエサなんだと知って、振り返る習慣があった時を思い出してみても納得でしたし、何よりも人生においてこういう風にコーチングってものがあって、活用していくのが今のステータスなんだな、と少し時代を感じてしまいました。
でも見聞をより深めたい私にはいい経験でよかったのかも知れませんねー。
1. 1か月の振り返り
とにかく私は自分のことを話すのがすっごく嫌いなんです。何か功績残したかと聞かれれば本当に何もないので、語りたくない!で来てしまいました。
なので『人生の棚卸し』にも無縁のまま35歳まで来た経緯があります。noteも本当、「うーん!」ではあったのですが、アウトプットの練習用につらつらとエッセイなら見る方にも許されよう…と書いている部分があります。Instagramも同様でアップです。
このような私にフォローくださる皆さんには申し訳なく、いつも頭が下がる思いです。
本当にお立ち寄りくださり、いつもありがとうございます。
そして本題ではそんな私の達成率を見てコーチさんが一言。
「やれたことがたくさんあったみたいですがそれで達成率45%の理由は?」
「結論から申しましてやっぱり朝ですね、朝上手く起きれないとが1日が本当に最悪なんです!」
もう即答です。
もともと睡眠障害のある私は現在、軽めの睡眠薬を処方してもらっているのですがとにかく眠るのが辛い。そして朝も辛い。何が辛いかというと目が覚めているのに身体が持ち上がらないんです。これでもか!、ってくらいだいたい30分くらいは格闘です。
参考までに今朝の話をしますと(いらんわ!と聞こえそうですが)
そんなこんなで年明けから1ヶ月に3割弱の達成率しかない私は、そんな日の午後になるとだいたい虚ろです。なので『やれた!』というより『なんとかやった…』という義務感が強いので、継続を考えたら修繕箇所があるように思えてならなかったのです。
逆に朝が気持ちよく起きられれば後はどんとこい!なくらい身体は動きます。
なので起床はできたら一番大事にしたい1日のルーティンです。
この1ヶ月、成功率を上げるため様々思案を巡らせ、試してきました。しかしやむを得ない事情が多大に加味し、思いきって6:00にゆっくりではなく5:00に起きるよう、自分の身体に鞭を打つことにした事をちょろっと話しました。
それともう一つは段取りを立てること、と振り返ります。
「やりたい!」って思っても私にはどういうルートでやればいいかという計画を立てないとサッ身体が動きません。念入りに計画を立てたつもりでも、時にはその時になって不足に気づきます。
そんなことを振り返って私には『決まったルーティンや工程があったほうがやっぱり動きやすい』という結論にも至りました。
そこで比較的に動ける午前中にできたら Have to を持ってきて、午後はWant toリストから「今日これやりたい!」をピックアップするのがきっといい!と思いたちました。
今、ちょうど試行中なので少し加筆修正してしばらくこれを継続しようと思っています。
2. 1年後からの逆算
1年後からの逆算、これは目から鱗でした。
年相応でなく驚かれると思いますが、脇目も振らず愚直に進んだ私に未来の想像など皆無でした。心のどこかで『決まったシナリオ』から出れない、と思ってしまっていたと振り返ります。
現状がこうなってですがゆっくり見る機会に逢い、方法がわかるとそれじゃあ私はいくら経ってもそのままだよね、と妙にこれまでの人生に納得してしまったのです。
「やりたい、やるんだ」
気持ちや言葉で言っても、当然進めない。
だって、シナリオがそうなっているから。なら、シナリオを書き変えるのは今しかないとも思えました。自分ひとりでは無理でもまずは自分が『なれる!』と信じることは根底にあるものにも通じますからとても納得できました。
ただそれ以上に大事なのは理想を立てることだけではなく、1ヶ月ごとに見直すことだと今日、理解しました。確かに「できた!」ものは継続したいし、新しく気づいたことも試行したい。途中、「have to だったなと思ったものは打ち消してください」とコーチに言われ、『確かに、消すより打ち消した方が記憶にも定着する!』とこの時間が少しずつ楽しくなりました。
3. 2.からの次の目標
ではそこからの次がこれです。
運よくテレワークの支援事業所へ行くための申請を昨日、福祉に済ませて来ました。ただやるのでは時間と血税が無駄になります。それに残り4カ月のスパンしかありません。
まさに戦イデス!
自分に奢ることなくでも達成感を得るためにどうすればいいか!
前職の気づきを元に全ての経験とスキルを全力…もとい、ほどほどに投球して頑張ろうと静かに心の炭火に火が灯ったように感じました。
(友人からも全力投球はするな、と言われるくらいに力の調節の仕方も模索してます。)
『私エフィカシー』の改造計画
私の目標は『誰か』だけではなく『自分の心の声にも耳を傾けられる』人間になりたいと思っています。これまでの人生の中で『他のために』と言われてきた言葉の解釈を私はどこか間違えてしまったと思うのです。
『他のために』は自己犠牲ではなかったはずなのです。辛い想いをして自分を犠牲にして何かをして、自分も他人も幸せかと言えばそうでは無かったように思えるのです。
「当たり前でだ、自分が満足でないのに他人にかまけて」という声が大半だと思います。でも私は今になって思うのはそれだけでもまた、なかったとも思うのです。
前職中ずっと考えの中にあったのは「そうだから」と自分が先立っても、その考えだけでは『ほんのちょっとその手を差し伸べたら救えた何か』を逃してしまっているようにも思う自分がいたからです。
なので「当たり前でだ、自分が満足でないのに他人にかまけて」は正当ではあるとは思いますがまた、自分主流の考えも助長させる諸刃の剣にも私は思う時があります。
また『利他』という言葉の解釈に私の好きな言葉があります。過去にこのように話した方がいます。
とても感銘を受けました。これでよかったのか、と。それまでの私のやってきたことは自己犠牲に等しかったと思います。でも頭でわかっていても人間定着した思考や行動は変えるのに時間がかかります。でもその全てを通して全てがその答えだとも感じています。
「経験は宝だな」。
これまでの私の愚直な人生も宝のように大切に紐解く中で、どこかのタイミングできっとどこかの誰かの役に立ってくれるかもしれない、そんな思いもあってnoteを書いています。
ちょっと横道にそれましたが、昔の私は過去をみ返るって本当に嫌いでした。確かに意味を比べても振り返りとは全然違うそうですね。振り返りを重ねるようになって次に活きる、繋がる楽しさを今、実感しています。
さいごに
これまでは悲観するだけの人生でした。
変われない、変わらないとずっと思ってました。でも『人生は変えられる、自分が変わろうと思えば』という答えが今の私の結論です。
だからと言って、1年後確実に変われる保証はありません。
でも、やらないよりやったほうがきっと違う手応えはあるはずなのです。
私はそう、実感しています。
私はたまたま今、他にかけるくらいなら、と自分の将来に投資する気持ちで使い道を決めてそれぞれ使っています。でも過去の我が家のように1日1日を暮らすのが精一杯の人もこの世にも日本にもたくさんいます。
なので実践が簡単ではないのも、現状の悔しさも思い出したび、相手に強いこと決して言えません。それにそういうことがまた全てでもないとも私は思うのです。
むしろそんなのにお金を使って、と思う方もいると思います。
なので私の言いたいことは『習い事が素晴らしい』とかではなく、きっかけがあればきっと欲しいチャンスはいくらでも巡ってくることを忘れてはいけない、ということに改めて気付かされたということでしょうか。
現代の社会情勢、子供も大人も習い事は簡単ではないですからね。我が家も本当に悲しい記憶しかありませんし(現状、継続が危ぶまれてます。。。)ですがそこを経緯して得た答えは『やらなければそれまで』であり『自分の中だけで終わらすかどうか』と思うのです。今、夢が叶わなくとも時間を経て違うカタチになって必ず巡ってくるから子供の時の想いは捨てたらダメンなんだ、と気づけました。
表現のカタチはいろいろだと思います。
でもその基盤づくりを20代にできなかった分、まずはこの1年、意味をゆっくり噛み締めて、私も寅(トラ)イしていきたいと思います♪